第30話 銃撃戦
「──っ」
大見栄切ったところで、死ぬのは嫌だし痛いのは怖い。だから私はお腹を抱えてぎゅっと固く目を瞑った。銃弾が身体だか頭に突き刺さるのは、肉が裂けて骨が砕けるのはどんな感じなんだろうって思いながら。
銃声が空気を裂く――でも、痛みは来なかった。代わりに、どろっと熱い何かが頭から降り注ぐ。とても嫌な、生臭い液体。これは、何なの? 怖い。気持ち悪い。
思わず、顔を上げて目を開けようとするんだけど――
「動くな! 目を閉じてろ!」
え? この声って……?
「頭を下げて!」
鋭い声、それに何発もの銃声に脅されるように、また縮こまる。視界が、闇に閉ざされる。
「貴様、何者だ!」
「突入だと!? 早すぎる……!」
そうすると頼れるのは聴覚だけ。部屋に響く怒号は、多分テロリストのもの。不測の事態に焦ってる? それに、銃弾が肉に刺さる鈍い音と、悲鳴や呻き声。銃撃戦を、こんな特等席で見られる(聞ける)なんて!
自分に弾が当たるかも、って考えより、周りで殺し合いが起きてるってことの方が怖かった。
下層(スラム)でも銃声を遠くに聞いたことはある。久しぶりに聞いて、馴染みがある音だなんて思ったくらいだから。でも、こんな人が死んでいく音を身近に聞いたことはなかった。そんな経験があったら私が死んでただろうしね。か細くなっていく息遣いに、血だまりに膝をつくぬちゃりという音。赤ちゃんを殺そうとしたテロリストも、死に際には母親を呼ぶなんて。
でも、そんな悲鳴や嘆声の中に、最初の声は入っていない。あんな強い口調、聞いたことないけど、あの声は――
――マリア……。
いや、それよりも赤ちゃんだ。それに、不安そうな神の子……ううん、私の子のか弱い声。……大丈夫。何が起きてるか分からないけど……最後まで、あんたのことは諦めない。流れ弾になんか、当たらないように守ってあげる。
血の臭いに吐きそうだけど。自分自身も胎児のように身体を丸めてお腹を庇う私の姿は、もしかしたら聖母って呼ばれても良いんじゃないかって。ほんのちょっと、ちょっとだけ、自惚れた。
そんな格好で、どれだけ時間が経っただろう。
「マリア、もう大丈夫だ。胎児は――無事か?」
「ドクター……」
お腹をしっかりと抱えすぎてすっかり強ばってしまった私の腕を取って。血糊で固まったようになってた目蓋を優しく開かせてくれたのは――声を聞いて思ってた通り、ドクター・ニシャールだった。
「……仲間割れ?」
白衣を血で赤黒く染めたドクターの姿はいつもの穏やかな様子とはまるで違ってた。だって、銃まで持ってて、しかもそれが手に馴染んでるっていうか、すごく
「バカなことを」
鼓膜を打つドクターの声は低く鋭くて、これも今までに聞いたことがない調子だった。うん、バカな質問だったよね。お花畑な人ではあるけど、人殺しの強盗どもよりは遥かにマシ、って思ったばかりだ。助けてくれた訳だし……テロリスト扱いされたんじゃ、ドクターも怒って当然だ。緊張を和らげるため、にしてはタチの悪すぎる冗談だった。
「ごめんなさい。……ありがとうございます」
「いや。間に合って、良かった」
私が生意気な態度を取らないで素直に頭を下げたのは初めてだったかもしれない。だからなのか、元々本気で怒った訳じゃないのか。ドクターはあっさりと頷いてくれた。――すぐに、軽く眉を寄せて、分娩台の上にへたり込んだままの私の全身をじろじろ見てきたけど。
「怪我は――ない、か? すまない、正直言って、多少の怪我はさせてしまうと思っていたが」
確かに、身体に貼りつく血糊の臭いも感触も不快極まりないんだけど、意外にも痛みは感じない。全身に力を入れて丸まってたことで、筋肉の強張りは感じるけど。ドクターが上手いこと弾を避けてくれたんじゃなかったら、私はものすごく運が良かったってことなのかしら。銃撃戦の中で無傷だなんて、奇跡じゃない!?
――私も、ちょっとだけ頑張ったんだよ。
そうだ、それに子供たち! 奇跡だろうと悪運だろうとどっちでも良い。この子たちが無事ならそれだけで良い――
「って、あんたの、お陰?」
「マリア……?」
お腹から聞こえた声も子宮をノックするみたいな胎動も、あんまり控えめだったから、その意味を汲むのに一瞬かかってしまった。その分驚きは倍増だったから、私はつい小さく叫んでしまってた。まあ、だって、ドクターならこの子のこともある程度知ってる訳だしね、大失敗って訳じゃない、よね? で、あんたが何をしたって?
――前にもあったでしょ。あいつ――私の同類が、マリアに話しかけて来た時。
言われてみればすぐに思い出した。色々あり過ぎてすっかり忘れてたけど、あの時、確かに普通じゃないことが起きた。図々しく私のお腹を触ろうとしてきたあの子――どうやら、本人じゃなく、お腹の「神の子」の意図だったらしいけど――、とにかく、その手が何もしてないのに払いのけられたみたいに引っ込められた。あれは、この子が守ってくれてたってことなのかしら。
――うん。
私の命の恩人だってことなのに、お腹の声はどこか恥ずかしそうな、囁くような調子だった。何よ、ここはもっと誇らしげにして良いとこじゃない? 助けてやったんだって、自慢しても良いくらい。それか、テロリスト相手に無茶しなかったのを褒めてあげなきゃね。あいつらを下手に刺激したら、もっと悪いことになってたに決まってるもの。
――そうかな……そう言ってくれると、嬉しいけど。
羊水の中で、胎児がゆらゆら踊ってるのが見える気がした。褒められた照れ臭さと、助かったことでの気の緩み。でも、どこか控えめに遠慮がちに。多分、こいつのことだから自分のせいで、とか思ってるんだ。
「マリア」
慰め、宥める言葉を探そうとした私の肩に、でも、ドクターが軽く触れた。そうだ、この人がいることを忘れかけてた。血だまりの中に座り込んでることも、襲撃事件の真っただ中だったってことも。
「マリア……一体どうした? 気分でも悪いとか……?」
「いえ、何でも。ちょっと、この子と話してて」
「この子――そうか、やはり、意思疎通ができるのか……!」
さすが、頭が良い人だけあって呑み込みが早い。それに、この人、自殺した代理母のことも知ってたものね。胎児が話しかけてくる、なんて荒唐無稽なことも、私がおかしくなったと思わずに受け入れてくれるんでしょうね。
うん、やっぱりこの人しかいないかも。お腹のふたりの子、胎児と、魂だけの子。ふたりともを助けてくれそうで、しかも私が頼ることができるのは。ドクターとふたりきりになれたこの状況は、切り抜けられることができた今となっては、むしろラッキーだったのかもしれない。いや、本当に切り抜けられたかは、まだ分からないのかな。
胎児のことを聞いて、ドクターの黒い目が好奇心に煌くのが分かった気がした。でも、そんな場合じゃないのは分かってくれているんだろう、彼は私に手を差し伸べてくれた。
「動けそうか? 早く手当てを」
「うん……いや、ダメ。待って」
身動き取ろうとすると、乾いて粘つき始めた血が接着剤みたいに私を分娩台に貼りつけていた。怪我はないとはいえ、思いっきり全身を緊張させていたから、筋肉が張った痛みは感じるし。それを無理やり動かして、立ち上がると――室内の惨状が、嫌でも目に入った。
血の海ってさあ、修辞的表現じゃなかったんだね。壁で区切られた部屋の中だからかもしれないけど、数ミリとはいえ確実に血が溜まってる。ところどころにある白っぽいのは脳みそで、黒っぽいのは……内臓? そのほか飛び出た眼球とか骨の断面とか。悪臭も、我に返ってみればそれなりに。私自身、血とか脳漿とかのそんなこんなを頭から浴びてるし。
生理的な気持ち悪さと、自分も転がってる死体の中にいたかも、っていう恐怖。それを免れた安堵。確かに無事なお腹の重さ、胎児の存在感。
「うえ、えええええええ」
状況を改めて認識するや否や、私は思いっきり吐いていた。朝食にいただいた、天然物の肉や卵や野菜、赤ちゃんのために選び抜かれた高価な材料と豊富な栄養がでろでろになって血糊に混ざる。ああ、もったいない。
「……まずは、身体を洗おうね」
ドクターの優しさと寛容さは本当に驚くべきものだった。何しろ、ゲロ吐きかけられても怒らないでいてくれたんだからね。……いや、ほんとごめんなさい。
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