第31話 提案

 シャワーのお湯が――テロリストの血や内臓やその他色々身体の一部だけじゃなく――疲れも緊張も洗い流してくれた。


「生き返る……」


 ドクターが連れてきてくれたのは、病院のスタッフが夜勤だかの時に使うのであろうスペースだった。今はもちろん誰もいなくて、私は心ゆくまでシャワールームを独占することができた。テロリストに殴られたとこも手当してもらって、赤ちゃんも大丈夫って保証してもらって。それでも、「本人」に直接聞かないと落ち着くことなんてできなかった。


「……あんたは、本当に大丈夫……?」


 ――うん。マリアのお陰だね。


 私は何もしてないけどね。助かったのはドクターのお陰。あと、何よりあんたのお陰じゃない。


 ――でも、マリアが諦めないでくれたから。


 とくん、と。胎動から読み取るなら、感謝や愛しさ、気恥かしさってとこだろうか。私の胸にも自然に同じ感情が湧くのが不思議だった。……私も、あんたがいなかったから諦めてたかもね。あんたと色々話す前だったら、赤ちゃんの命より自分の命、とでも思っちゃってたかもしれない。

 テロリストに脅されたなら仕方ない、賠償金を請求されることもないだろう、って。計算高く考えちゃっていたかもしれない。他の代理母たち──奴らに酷いことをされてしまった子たちが、そう計算したとは思わないけど。その子たちの分まで、テロリストどもに言ってやることができたのは、あれほど怒ることができたのは、やっぱりこの子がいたからこそ、だろう。私を感化させちゃうなんて、あんたはやっぱり神の子なんじゃない?


 ──そんなこと……!


 はしゃいだみたいに、大きく動いた胎児に、微笑んで何か言ってあげようとした時だった。扉の外から、ドクターの声が控えめに響いた。


「――入っても良いか? テロリストと間違われる前に他の人質と合流しよう」

「あっ、はい。えっと──」


 意味のない言葉で返事しながら、私は慌てて身体にタオルを巻きつけた。着てきた服は血まみれだから──これもホルツバウアー夫妻が用意してくれた、質の良いのだったのにね──着替えも下着も看護師さんのためのを拝借しないといけない。サイズを選べないのは仕方ないとして、さっさと人前に出られる格好にならないと。

 ドクターに言われて耳を澄ませてみれば、確かに建物の外が騒がしいような気もする。微かなサイレンの音に、大勢の人が行き来する気配が、この病院を取り囲むようにざわめいている。

 人質……他にも、生きてる人質がいるのかな。代理母でもなければ、テロリストも積極的に殺す理由はないと思っても良いかしら? 会ったことがあるかもしれない医者や看護師が、全員殺されてる訳じゃないなら、良かった。そう……ドクターの言う通り、しれっと人質に混ざってしまえば、何事もなかったかのように振舞うこともできるかもしれない。いつもの私なら喜んで乗っていたであろう、論理的で合理的な判断だ。


 ――マリア……。


 お腹からの声に、緊張が戻る。テロが解決しそうだからって、でも、安心することはできなかった。知らない振りも、今は本当に賢い判断じゃないかもしれない。私たちにとってはこれで終わりじゃないからだ。誰の目も――アンドロイドのアイ・カメラの録画も――気にせずドクターと「三人で」話せる機会は、もう二度と来ないかもしれない。


「うん、急がなきゃね。――今、出ます」


 前半はお腹の子に向けて、後半は扉の外のドクターに向けて呟くと、慌ただしく服を纏ってシャワー室から出る。すると、ドクターもいつもの白衣に着替えてた。やっぱり替えは沢山置いてあるってことなのかしら。


「軍隊か何か、来てるんですか? あいつら、通信とかは抑えてたんじゃないの?」

「ああ。だが、代理母たちが戻らなければそれぞれの家庭が不審に思う。そちらからの通報だろう」

「ああ……」


 多分、胎児たちの遺伝上のご両親は代理母が脱走する方を心配してたんだろうな。問い合わせるにしても、病院を何時に出たかの確認とか、そっちの方。安全なはずの病院で……こんな、ことになるなんて、思ってもないはずだ。身体と心に傷を負った女の子たちの中には、もしかしたら死んでしまった子もいるのかもしれない。

 生まれる前に潰されちゃった赤ちゃん、それに子供を奪われた夫婦……どれもとても悲しいことだけど、私が真っ先に考えたのは別のことだった。とても身勝手、自己中心的かもしれないことでもある。


 これでまた、監視の目が厳しくなる。


 自殺騒ぎに加えて、テロの標的になるって実証されちゃった。私がホルツバウアー夫妻だったら、もう「子宮」を一人でうろつかせたりなんかしない。家に閉じ込めて、金庫に入れた宝石みたいに守るだろう。でも、私はそれで安全かもしれないけど、子供たちはどうなる!?

 せっかく銃弾から守ったのに、胎児の魂は容量の大きな「神の子」の魂に圧迫されて消えちゃう。それに、「神の子」の方は――魂しか持たない私の可哀想で可愛い子は、人殺しになっちゃう。そんなこと、させてたまるもんか。


 ドクターの浅黒い肌が、白衣に映えてた。このまま帰ったら、この人とも多分もう会えない。助けるためとはいえ、銃を奪って人を殺したことを、雇い主たちは重く考えるだろうから。それからこの人の出自のことも。私だってほんの一瞬、ちらりとだけどドクターの手引きを疑った。第七天アラボトの人たちはどう考えるか――答えは、分かりきっている。


 外は軍が来ている。もう、時間は無駄にできない。


「ドクター、お願い……ううん、取引があるの」


 ――マリア、いきなり話すの!?


 あの子の声が驚いている。うん、もっと前置きとかあった上で、じっくり丁寧に話せたら良かったね。でも、今しかないもん。私ってば、本当に間が悪くて嫌になるけど。周囲に人がいなくて、混乱している、今が絶好のチャンス。ドクターと話しをさせてあげるって言ってたもんね、約束を守らなきゃ。

 私はドクターを見上げると、ぺろりと唇を舐めてから、切り出した。


地獄ゲヘナに神様をあげる。だから、子供を助けて!」

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