第27話 銃口
お腹の子とのやり取りに気を取られてて、私は辺りの様子に全く注意を払っていなかった。病院のロビーを飾る名画のレプリカや、整えられた花壇の華やかさも、何度か見れば十分だしね。毎回毎回感動するようなものじゃないし。下手にきょろきょろして、嫌いなタイプの子たちに話しかけられるのも嫌だしね。いつもの検診の時だって、私はそんなに周囲を見渡すようなことはしてこなかった。すたすたと歩いて、空いてるソファを見つけて他の子をやり過ごしてたの。例の「神の子」の代理母を避けたかったから、今日はなおさらのことだ。
入り口からロビーを歩いてみて、何だか人が少ないなあ、とは確かに思ってた。でも、それだって全然不思議なことじゃない。代理母を採用している家庭は、今、最高に心配性になってる。だから、規定の検診さえできるだけ後ろ倒しにするってこともあるかもしれない。私の雇い主以上の、もっと凄いお金持ちなら、お医者を自宅に呼ぶことだってできるんだろうし。いつも小鳥みたいに
だから、私が初めておかしいと思ったのは、受付の美人さんの顔がやけに引きつってるなって思った時だった。いつもは朗らかな笑顔なのにあれ、って。それから、たたたたん、っていう軽やかな音を聞いた時だった。何か聞いたことがある音だな、って思った。懐かしいというか、馴染みがあるような――でも、最近は聞いてない……なんだったっけ、って。
これは──銃声だ。
そう、思い出した時には、私の斜め前に立ってエスコートしてくれてたアンドロイドが崩れ落ちていた。硬く無機質な金属音に、ああ、やっぱり人間じゃなくて機械だったんだなあとぼんやり思う。すらりとした青年の姿の機械が、やけにゆっくり崩れ落ちる。綺麗な白い床を汚すのは、赤い血じゃなくて黒いオイルと、ばちばちと火花を立ててショートするコード類。それが、私が見つめる先でごついブーツに踏みにじられる。憎々しげに。金属が擦れる嫌な音が耳に刺さって鳥肌が立つ。
「マリア・チャーチ……ホルツバウアー家の代理母だな」
「あ──」
吐息のような喘ぎを漏らす間に、マスク越しの低い声が、じわじわと頭に染みていく。状況を、脳がゆっくりと理解していく。声の主はブーツの主、アンドロイドを撃った銃の持ち主。美人さんの強ばった表情は、背後に銃を持った男が――それも複数いるから。影に紛れるように潜んでいたそいつらは、私にも銃口を向ける。顔を黒っぽい布で隠しているけど、目の周りだけ見える肌は浅黒くて
こちらを睨む真っ黒な銃口は、それこそ
「何……何なのよ……」
掠れた声で呟きながら、でも私には分かってた。私の名前と、それに雇い主の名前まで知られて待ち構えてたってことは、狙いは私――の、お腹に宿ってる胎児。
『テロリストにとって、君たちは格好の標的になる』
ドクター・ニシャール、あんたってば予言者ね。でも、予言なんて役に立たないのよ! ことが起きてからそうと分かるような予言なんて、絶望を増すだけ。なんてこと、よりによって、あの人と話せばこれから先が開けるかもしれないって時に!
――マリア……。
お腹の子の声でさえ、不安げだった。そうだよね、いくら賢い神の子で、
私が、守らなきゃ――でも、どうやって? 相手は銃を持ってるのに?
「誰か……っ!」
叫ぼうとしたけど、銃口がぐいと近づいて来て私の舌を凍らせる。さっきアンドロイドを破壊したのを見たばかりだ。機械でもあんなになっちゃうんだもの、私の身体なら――ううん、何より赤ちゃんが、ひとたまりもない。
「声を出しても無駄だ」
だよね、考えてみれば当たり前だ。恐怖によってだけじゃない、理性によっても、私は口を噤まざるを得ない。病院に入る時に誰も警告しなかったってことは、制圧済みだってこと。警察だか軍隊が来るにしても、いつになるかは分からない。こいつらを刺激して、良いことなんてあるはずがない。
でも、だからって言いなりになれるかどうかは全く別の話だ!
「――どうしようってのよ!?」
腕を掴まれてよろめいて、それでも精一杯の虚勢を張って睨んで見せると、覆面の下のテロリストの頬が笑った気がした。強がりを見抜かれて、嗤われたんだ。
「怯えるな。助けてやろうっていうんだ。お前の腹に巣食った、化け物から」
「この子は化け物なんかじゃない!」
「洗脳されてるのか。まあ、良い。連れて行け」
「どこに――っ!?」
――マリア、刺激しないで!
「神の子」の声は不安そうだった。心で繋がっている声だから、自分だけじゃなく私を心配しているのが分かる。まったく、この世間知らずに忠告されるなんて!
「化け物じゃない……」
こいつは、ただの子供なんだ。ちょっと変わってるけど、胎児と同じで生まれてさえない赤ちゃん。なのに人のことばかり考えて。この子は、神でも化け物でもない、ただの子供だ。
でも、食いしばった唇の間から漏れた呟きが顧みられるはずもなく。
私は、ただ無様に引きずられるしかなかった。
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