第26話 見通し
「お嬢様、到着いたしました」
お腹の子とはそれ以上の会話がないまま、車は病院に着いた。アンドロイドにお嬢様、なんて言われるのもいまだに落ち着かないなあ。私が扱いに相応しい存在だからじゃなくて、お腹の赤ちゃんへの敬意なんだよねえ。今は良くても、ずっと勘違いせずにいられるかどうか、正直言って自信ない。いつもロビーで見るような子たちみたいにならないように気を付けないと。
それから、私と同じ、「神の子」を宿らさせられたあの子。あの子にまた会うのは、ちょっと嫌だね。できるだけロビーの隅っこにいるか、トイレにでも籠ってようかな? あ、あと、ドクターに教えてあげたほうが良いのかな。何を企んでるかよく分かんないし……っていっても、あの子の名前も知らないんだけどさ。他の子たちに聞けるほど仲良くないし、一匹狼を気取ってたのは、こうなると困ったかもねえ。
話しかけたつもりの心の声に、答えは返ってこなかった。いつもはうるさいくらいなのに、どうしちゃったのかしら。あんたたちに私を――代理母を操る能力まであるって知られたのが、そんなに気まずいの? あんたはそんなことしなかったし、多分これからもしない、それで良くない? それとも、また自分は存在すべきじゃないとか何とか悩み始めてるの?
――マリア、でも……。
ああ、うざったい。うじうじしちゃって。あんたが普通の子じゃないのは最初から分かってたじゃない。普通じゃないところがちょっとくらい増えたって今更よ。私はもうあんたなんて怖くないわ。
慰めるというか励ますというか、かなり気を遣ってあげたつもりなんだけど。子宮に感じる胎動は、相変わらず縮こまるような控えめなもの。それが何だか可哀想で――私は、プレゼントをあげてみることにする。ちょうど良く、天啓ってやつが閃いたんだ。
ねえ、ドクターにあんたのことを話してみようか。あんたとも話がしたかったんでしょ?
――どういうこと、マリア?
お、やっと反応が返ってきた。それどころか、声も力強くなったみたい。期待した通りの食いつきように、私も思わず口元が緩む。この子もやっぱりお子様ね、扱いやすいところもあるじゃない。そうよ、それに、これって結構良い考えだと思うのよね。
ドクター・ニシャールは「神の子」を欲しがっていた。人類の叡智を結集させた救世主は、下層にこそ必要だ、って。
――マリア、誘拐だって気にしてたじゃない。逃げてくれる気になったの?
私をバカにしてるの? あんたの話、詳しいところは分かってないけど、大筋ではちゃんと覚えてるわよ。胎児の――ホルツバウアー夫妻の本当の赤ちゃんの魂を圧し潰さないよう、あんただけを別の身体にダウンロードする方法を考えたんでしょう? だから、何も私や赤ちゃんごと逃げる必要は、必ずしもないんでしょう!?
──あ……!
「神の子」サマに驚きの《声》を上げさせられたのが嬉しくて、私の思考も勢いづく。
ドクターが用があるのはあんただけ。胎児に宿ったとかいう、神の子の人造魂だけ。だから、ドクターに手伝ってもらってあんたをどっかにダウンロードさせて、私はただの赤ちゃんを産めばウィンウィンってやつじゃない? 私には無理だけど──ドクターなら、あんたのダウンロード先を用意することもできるんじゃない? ホルツバウアー夫妻は、実験失敗でがっかりするかもだけど。でも、私は実験を知らないってことになってるんだから、責められることもないでしょう?
だって、夫妻は私に「神の子」の声が聞こえるかを尋ねたりしてきてない。あのふたりは、赤ちゃんと「神の子」は別の意識だってこと、
私をエスコートするアンドロイドの後頭部にはカメラはついてないよね、ってちょっとだけ気になったけど。でも、私は興奮を抑えられないで口をぱくぱく動かしてたと思う。声には出してないはずだけど、この名案を完全に頭の仲だけに留めておくことができなくて。きっと目を輝かせて満面の笑みを浮かべてて、傍からは怪しい女に見えたかもしれない。戒厳令はまだ続いているのか、今日の病院はどうも人気が少ないのが幸いだった。
でも、とにかく、私の興奮はお腹の子にもちゃんと伝わったらしい。車の中でしょげてたのが嘘みたいな、はしゃいだ声が帰ってきたから。
――そっか! それなら良い考え!
痛っ、立ち直ったのは良いけど、そんなに強く蹴らないでよ。大体、あんたのダウンロード先をどうするか、ドクターが協力できることなのかもまだ分からないじゃん。あくまでも、アイディアだけだからね。あんまりはしゃぎ過ぎないでね。
――ごめん。でも、少しは見通しができたよね?
そう、そうかもね。そんなに嬉しそうにされると、ダメだった時のことが怖いなあ。本当に、話してみるだけだからね? あと、ドクターを信用しすぎないようにね? 悪い人ではないかもしれないけど、善意が一番怖いってこともあるんだからね? もしもあの人についていくなら、私はストッパーになれないし。だから、話の流れやドクターの反応次第では、やっぱり駄目、ってこともあるかもよ?
──うん。大丈夫。マリアがいなくても悪い人や危ない場所には十分気を付けるから。
本当に? あんたに見分けられるか本気で心配だけど。
……それにしても、キモいほど努力したお医者様と造られた神サマの会話、かあ……私、ついていけないんだろうな。それも、両方ともすごいテンション上がってそう。通訳って言われても、できるかなあ。怪しまれないように、検診の時間の中である程度話をつけなきゃいけないんでしょうし。
それは、想像するだに面倒でややこしいミッションではあるんだけど。でも、お腹の子とああだこうだ言い合うよりはずっと建設的なこと、先のためには必要な一歩のはずだ。ドクターだって、私とは考えが合わないだけで良い人なことは間違いない、と思う。ちょっと出来過ぎじゃないかと思うくらい。
見通しができたからかは分からないけど、病院の受付へと向かう私の足取りは、ほんの少し軽くなった、ような気もした。
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