第25話 あんたはあんた

 ひと言囁いたきり、《声》はまた黙りこくっちゃった。ホルツバウアー家の車はさすがに最新式で、エンジン音も振動もほとんどない。だからこそ沈黙が際立って、私は落ち着かないことこの上ない。


 ほんと、どうしたの? いつになく声がおどおどしてるじゃない。あんたと私の仲で、今さら何があったって驚かないわよ。だからさっさと言ってよ、何なの?


 ――あの人も、マリアと同じだと思う。今、マリアが思った通り――お腹にいたのは、普通の赤ちゃんじゃないはず。


 そこまで促してやっと、小さな──実際の音量じゃなく、雰囲気ってことね、あくまで──声で、答えがあった。でも、どうしてこんなにもったいぶったのかは分からない。「神の子」ともあろうものが、ずいぶん物分かりが悪いんじゃない?


 だって、それは今私が思ったことだもの。あの感じ悪い子も、聖母──っていうと痛々しいけど、要は人類の未来を救うべく造られた超人を宿しているんじゃないか、って。あの時はイラッとしちゃったけど、あの子もあんたみたいな存在に困ってたなら、まあ、多少は余裕がなくなることもあったのかもね。雇い主の命令で必死で、とかだったのかしら。

 そう思うと、あの子に感じた苛立ちもちょっとだけ和らいで同情に変わる。あの子だって頑張って掴んだ仕事だろうに、とんだハズレの職場だったってことだし。お腹の胎児が実験体なら、先日の騒ぎの後で、雇い主もさぞナーバスになってるだろう。それで全て打ち明けたんだとしたら、賢明ではあるのかもしれないけど。この前会った時も、中々イヤな感じではあったけど──まあ、神の子だの何だのって荒唐無稽な話を聞かされたら、不機嫌にもなるだろう。


 ──うん……あいつは、みんな分かってるだろうね……。


 あ、もしかしたら、あんたはあの子の雇い主の名前も心当たりがあるのかしら。でも、そんなの教えてくれなくて良いよ。個人情報だし、私だって別に知りたくないし、知ってもどうにもできないし。ちょっとは嫌な思いをしたけど、あんたには何も関係ないことじゃない。


 「神の子」の声の歯切れが悪いのは、何か後ろめたい、言いづらいことがあるからみたい、と私は感じた。だから、努めて明るい――声は出せないんだけど、想いを送ってあげる。お腹を撫でてあげる。ホルツバウアー夫妻の実験について、この子はどうも悪いイメージを持ってるみたいだし、他の研究者についても責任みたいなものを感じちゃってるのかな、って思ったから。


 ――話しかけたのは、代理母の人じゃなかった。あいつ……自分じゃ動けないからって、乗っ取ったんだ。


 でも、子宮で胎児が控えめに身体を丸めるような動きを感じた後、「声」が伝えて来たのは想像だにしないことだった。


 はあ!? あんた、っていうかあんたたち、そんなことまでできちゃうの!? そんなこと、今まで一度も言わなかったじゃない!


 前言撤回、こいつに関しては驚かされることばかりだ。車のシートに背を預けた姿勢から、私は思わず跳ね起きてしまう。アンドロイドの運転手が、目に擬装したカメラを後方座席に向けてくる。もう、挙動不審ってデータを取られちゃったかしら。


 ――ごめん。ずっと黙ってて……。ごめんね……きっとマリアが怖がると思って。だから……。


 怖い? 怖いって何が? 私は単に驚いただけよ。……でも、考えてみればそうびっくりすることでもなかったかしら。頭の中が読みとれるなら、何ていうか、干渉するみたいなこともできるってことなのかしら。自殺した子の胎児だって、そういえば遠くまで聞こえる《叫び》を上げていたわね……。


 ――マリア、怖くないの? 自分も操られるかもしれないって思わない?


 おずおずとした《声》に言われて、初めて気付く。そっか、あの子は操られてたんだ。図々しい嫌な感じが胎児の、というかあの子の「神の子」の意識で、憑き物が落ちたみたいな怯えた様子が、代理母の本人の素の状態、ってことになるのかしら。自分が何を言っているか分からないで、知らないヤツが目の前にいる状況は、確かにきっと怖かったでしょうね……。しかもあの時、私はあの子を睨んでた訳だし。


 ――うん。あいつのやったこと、ひどいと思う。でも、私も同じ存在なんだよ?


 《声》は、恐る恐る、といった調子で念を押すように尋ねてきた。そこまで言われて、私はやっと「神の子」の真意に気付く。何よこの哀れっぽい声は。悪いことをして叱られそうになってるところみたいじゃない。上目づかいで物陰からこっちを窺う子供のイメージが脳裏に浮かんで、私は軽く溜息を吐いた。賢いのに――あるいはだからこそ、かしら。この子はちょっと考えすぎみたい。


 ああ、私、バカだったね。あんたの言ってることがやっと分かった。私に嫌われるかも、って思って言えなかったってことなのね。うーん、黙ってたのは嫌といえば嫌なんだけど。でも、結果的には良かったんじゃないかしら。だって、今更あんたのことを怖いなんて思わないもの。妄想の空耳だと思ってたころならまだしも、ね。だって、あんたはただの甘っちょろいお子様なんだもの。うるさく私を説得しようとする割に、私を操って無理矢理ってことはしなかったじゃない。というか、どうしてやらなかったの? 私をあんなふうに乗っ取って、お屋敷からこっそり出ることもできたんじゃないの?


 ――だって。それは良くないことだもの。人間は話し合うものでしょう? マリアの意思を無視してだなんて、ダメだよ。


 戸惑ったような響きの答えを聞いて、私は今度は思わず吹き出してしまった。これも挙動不審に見えちゃうね。でも、この子、やっぱりとっても真っ直ぐでバカ正直なんだもの。これは笑わずにいられないでしょ。この子を怖がるなんて、そんなことできっこないわ。


 ――マリアって凄いの? それとも変なの? マリアの反応、おかしいよ。


 非常識の固まりみたいに言われる筋合いはないわね。ま、あんたはあんたってことで良いじゃない。マッドサイエンティストや、何考えてるか分からない他の子は怖いかもしれないけど、あんたは違うんだから。


 まあ……死んでしまった子は、その方法を思いついていたら良かったのかもしれないけどね。代理母の身体を操ることができていたら、ふたりとも死なずに済んだのかも。それとも、あの可哀想な子も、あんたみたいに優しい子だったのかもね。自分の命よりも、他人の自由を優先するような……。


 ──そうかもしれない。分からないけど。そうだったら……良い。ううん、やっぱり駄目だよ。私たちがいなければ、誰も死なずに済んだんだから。


 あんたは、の赤ちゃんはあんたたちよりも大事なものだと思ってるのね。……確かに、まともな意識もない分、胎児の方がか弱い存在なのかもしれないけど。でも、あんたたちだって大事な存在じゃない? 少なくとも、あの時聞こえた悲鳴は、化け物の断末魔には思えなかった。きっと、あのもうひとりの「神の子」も、怖かったし寂しかったんでしょうね。そう思うと、私はあんたと話してあげられて良かった、かな。うん、無視し続けなくて良かった!


 ──うん……ありがとう。でも、だからこそ、私はこのままじゃいけないんだ。マリアも赤ちゃんも助けないと……。


 気持ちは嬉しいけどね。でも、ほら、「神の子」にも個性があるって分かったじゃない。悪い子もいれば良い子もいて──それは、人間の子供と一緒でしょ? そして、私が見聞きした範囲では、あんたはとってもできた良い子よ。だから、そんなに思い詰めなくて良いんじゃないの?


 ──マリア。でも……。


 お腹からは納得してない気配が伝わってきたけれど、私はそれを宥めるようにそっと手をあてて伝えてあげた。気にするんじゃないわよ、って。あんただって、好きでこういう風に生まれたんじゃないんでしょうにね。そうね、上でも下でも、何もかも思い通りって人はいないんでしょうね。

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