第24話 母親目線

 ホルツバウアー夫妻がどんなに赤ちゃんのことを心配したとしても、私を――代理母を、出産まで自宅に閉じ込めておく訳にはいかない。少なくとも、規定の時期に規定の回数の検診は受けなければならないから。


 という訳で、今日は本当に久しぶりの外出の機会だ。ドクター・ニシャールが待っている、あの病院へのお出かけだ。自殺騒ぎの直後の、あのカウンセリングの時以来ってことになる。つまり、またドクターと会って気まずい思いをするか、妙な勧誘だか脅迫だか懇願だかを受けるってことだ。しかも、今となっては私はお腹の中からも同じことを言われるのが目に見えている。胎児の魂を圧迫している「あの子」は焦ってるし、どうやらドクターの提案に魅力を感じちゃっているようだし。検診の間、黙ってくれているとは思えなかった。


 だから、外の空気を吸ったからって、第七天アラボトの青い空を見上げたからって、私の気持ちは晴れやかさとは程遠い。例によってアンドロイドの運転手を気にする必要はないから、聞えよがしに――お腹に対してね、もちろん――溜息を吐きつつ、後部座席に座ってる。


 ――マリア、もやもやするのは自分でも答えが出てるからでしょ? イーファたちは信用できない、胎児は助けなきゃ、って。


 頭の中では相変わらず「神の子」様が何か言ってるし。外出するからかドクターに会えるからか、今日はちょっとはしゃいでいるみたい。子供らしいのは良いかもしれないけど、まったく人の気も知らないで。……というか、精神感応テレパスである程度分かってる上で空気読まないんだからタチが悪い。今日は、ドクター・ニシャールとふたりがかりで私を説得しようとでも企んでるんじゃないかしら。


「お腹が重くなってきたからかなあ。歩くのが億劫だわ」


 答えてくれるはずがないアンドロイドの運転手に愚痴るのは見せかけで、本音はもちろん「神の子」への当てつけだ。あんたのお陰で気が重いわあ、って。


 人類の指導者となるべく、種々のデータをあらかじめ詰め込まれた「神の子」――その大容量の魂によって、本来の肉体の持ち主である胎児、ホルツバウアー・ジュニアの魂は圧迫されてじきに消えてしまう、らしい。実の親に実験台にされて殺されちゃう赤ちゃんが本当にいるなら、確かに可哀想だ。「神の子」がしきりに訴えてるように、自分のせいで赤ちゃんの魂が消えちゃうのが気まずいのも、分かる。


 でも、ドクターにこの子を委ねられるかというと、それも良い考えかどうか分からない。下層の連中のために「神の子」を攫えって、私の立場も意見もまるで無視してるじゃない。そんなことしたら、私は契約に反して雇い主の子供を誘拐した犯罪者だ。追われる身になるし、当然お金だってもらえない。下層でか弱い女ひとりで……っていうかお荷物まで抱えて、どう生きろっていうんだろ。赤ちゃんの命は大事だけど、私の人生だって大事なはずだ。


 ――そこは……私も手伝うし……生活も、逃げるのも。ドクターだって手引きしてそれきりってことはない、はず……。


 あのね、私は多分口うるさいママの気分になってるの。うちの子がちょっと危ない感じの大人と交際しようとしてたら、まともな親なら止めるでしょ?


 ──ドクターはちゃんとした人じゃない? 身分は明らかだし、人柄も……。


 でも、あんたに変な夢を見させてるでしょう。私にしてみたら、下層の子に甘いことを言って怪しい仕事をさせようとしている連中とあんまり変わらないのよ。あんたを利用するってはっきり言ってる人を頼ろうって気にはなれないわ。

 《声》がドクターを擁護するのはちょっと気に入らなかった。私がママだとか言ってた癖に。自分で稼いだこともないお子様の癖に。「神の子」は私が守るべきホルツバウアー夫妻の胎児とは別の存在なのかもしれないけど、それでも本当の意味では生まれてもいない赤ちゃんなことには変わりない。騙されたり失望したりって経験も、こいつはまだ味わっていないんだ。


 ──マリア、私のことを心配してくれるんだ……!


 柄にもないお説教をしたつもりなのに。子宮から帰る反応は、場違いに嬉しそうな《声》と胎動だった。ぱあっと、輝くばかりの笑顔を浮かべた天使の姿が目に浮かぶみたい。可愛いけど、でも違う、そういうことじゃない。もっと疑うとか、小狡こずるく立ち回ることを──って、私がそのつもりで全然できてなかったんだけど!

 まったく、神の子サマの胎教も、私の、私のこれからも、分からないことだらけ、どうにもならないことだらけなんだから!


「はあ……」


 憂鬱なような苛立たしいような気分で車窓から外を眺めれば、流れていく街並みは美しく整えられた「楽園」そのもの。――でも、前ほど魅力的に思えないのは、我が子を弄り回す研究者がたむろしていると知ったから? 代理母だけじゃない、もっとひどいやり方で女の子の身体を売買してる連中もうろついてるから? それで死を選ぶことになってしまった子のことも知ってしまったし。それとも、テロのニュースなんかを聞いたから? それも、私が標的に、って――


 あれ、そういえば、なんで私が狙われるの? そりゃ、好き好んで代理母に応募する女が一種の売女ビッチって言われて蔑まれるのは知ってるけどさあ。この前のドクターの言い方だとお腹の子が「特別」だからってことみたい。どうしてテロリストどもがそんなことを知るっていうんだろ。そういえば、「神の子」の研究についてやたらと詳しかった、ドクターの情報源も怪しかったっけ。


 ――多分、情報を流している奴がいるんだと思う。


 と、疑問が浮かんだのとほぼ同時に、答えが頭の中に響いてくる。流石は神の子。何でもお見通しって訳かしら?

 考えるのとほぼ同時に、照れたみたいな微かな胎動が感じられる。そんなことないよ、ってもじもじするところをイメージさせる、優しい動き方。精神感応だけじゃなく、私とこの子はこういうことでも意思疎通できるようになってるみたい。それはともかく――


 ――色んな研究成果を詰め込まれるでしょ? 論文の執筆者とか、誰の発明かとか発想かとかもインプットされるでしょ? そうすると人間関係も見えてくるから。嫉妬や足の引っ張り合いも、色々あるみたい。


 「神の子」の説明を聞いてみれば、色々と腑に落ちる。つまりは、私の雇い主夫妻の研究成果を台無しにしてやろう、ってことでテロリストの生贄に差し出すかも、ってとこかしら。その可能性を警告してくれたってことなら、あの人自身がテロリストって可能性は減るのかもしれないけど――はあ、知れば知るほど天国とは程遠いのね、ここ……。


 ――嫌になった? やっぱり逃げる?


 ……途端に声が弾むのが忌々しいわあ。どうかな、結局お金と安全って大事だし。次はおかしな研究をやってる人と関わらなければ――

 と、反論しようとしたところでふと気づく。

 この第七天で、私の雇い主について聞かれたことが、あった。それも、ホルツバウアー「博士」、なんて肩書をわざわざつけて! 病院で変な絡み方をしてきたあの子は、ホルツバウアー夫妻の同僚に雇われてるって言ってた。それはつまり、あの子のお腹にも怪しげな研究結果の凄い胎児が送り込まれてるってことになる? あの子は、直でライバルに探りを入れるよう、雇い主に言われてたってことなのかしら。それなら、例の「カウンセリング」の後に、思わせぶりなことを言ってきたのもつじつまが合う!

 ねえ、あの子は私と違って雇い主に色々教えてもらえてたんじゃないかしら? あんたがお喋りできるのを、分かってたみたいな口ぶりだったじゃない?


 いつもなら、私が考えたことにはすぐに答えが返ってくるものなんだけど。今、この時に限って、お腹の子は黙ってた。胎動もぴたりと止んで、まるで息を潜めてるみたい。

 おーい、どうしたっての?


 尋ねてからも、沈黙はしばらく続いた。


 ――あのね、黙ってたんだけど。


 そしてやっと声は、何かを恐れるような響きがあった。

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