第23話 逃避ではなく
はぐらかし続ける私に業を煮やしてか、くすぐったい胎動がお腹から全身に響く。それに、もどかしげな──子供が手足をジタバタさせる様子が目に浮かぶような、《声》が、頭に。
――でも……ほら、私がこんなになったのはマリアにも責任があるんだよ? マリアの考えてること、見たことを知ったから……。ね、だから責任を取るって考えた方もあるんじゃない?
そうそう、この子、冗談も言うようになったのよね。真面目に言ってたら図々しいって怒ってるとこだけど、おねだりっぽく可愛く聞こえるような言い方を覚えたみたい。もちろん、それで絆されるような私じゃないんだけどね。大体、私の心を覗き見したら、こんな綺麗なことを考える子にはならないはずだし。でもまあ、方便とか根回し的なことを学んでくれてるなら、悪いことでもない、と思う。
――マリアが優しい人なのは事実だと思うんだけど……だから、私の「お母さん」はマリアだと、本当に思ってるんだけどね。
はいはい、じゃあママの言うことを聞いてもう少しおとなしくしていてね。ついでに、生まれてからも私に抱っこされたら笑って泣き止んでね。そうしたら、引き続きベビーシッターとして雇ってもらえるだろうし。もちろん、ホルツバウアー夫妻から子供を取らないように、節度は守ってもらわなきゃだけど。
――ダメだってば。私は、イーファとアロイスの子供じゃないんだから。早く出て行かないと。ここにいては、いけないんだ。
「音楽もかけようか。モーツァルトの子守歌で良い?」
その話はナシ、って態度で示すために、私はわざとらしく大きな声を出して立ち上がった。お屋敷の主夫妻がいない間の行動については、私の裁量に委ねられている。もちろん外には出られないし、食べ物飲み物も管理されてるから、どの曲をかけるとかどんな本を読むかについての自由、って程度の話だけど。病院で漏れ聞こえた話によると、胎教のメニューも指定するお宅もあるみたいだから、私は大分信用してもらえてると思う。この点でも、ホルツバウアー夫妻はマシな部類の雇い主だ。……ねえ、それを裏切る訳にはいかないでしょ?
――マリア。時間がないんだってば。本当に。
子宮から頭に響く声を無視して、私は端末を操作するとBGMを切り替えた。胎教に良いって言う、私の耳にも心地良いクラシックの曲に。
「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。神に愛された、って意味なんですって。あなたも気に入るでしょう?」
だって、本当の神の子だものね。造ったのは、人間かもしれないけど。でも、すごい子なのは、私にだって分かるんだから。
――マリア……!
綺麗なメロディーでも癒しきれないお腹の子の焦りが、臍の緒と
そういう事情は、私はもう疑ってない。妄想やノイローゼで片付けるには、この子の声はあまりにはっきり聞こえるんだもの。私の貧相な想像力ででっちあげられるストーリーじゃないし。この子
だから、ダメってばっかり言ってるのは、悪いとも思ってるの。本当よ。だからあんまり責めないでくれないかなあ。
「歌もつけてあげる。……私じゃ、台無しかしら」
鼻歌程度だけど、音程を追うことに意識を向けると、頭の中の声をそんなに聞かなくても済んだ。そんなに、っていうだけで、悲痛な訴えに完全に心を閉ざすことはできないんだけど。ひどいことをしてるのも、分かるんだけど。
でも、「神の声」に耳を塞ぐのは、ちょっと前までみたいに現実から目を背けているからではないと思う。コリンズさんやドクターの言い分も、分かることは分かるのよ。私が絶対に正しい訳でも賢い訳でもないってことは、認めなくちゃね。他の人間のために危険を冒して行動できるあの人たちは、偉いし凄くはあるのよ。もちろん、私のお腹にいるあんたもね。生まれる前から世界のことを考えちゃうくらいなんだから。
それを、重々分かった上で──それでも、あんたはただの子供だと思う。ドクターが言うような
──マリア……。
そんな泣きそうな声しないの。どうせ羊水に浸かってるんだから。
私はあんただって生きてて良いと思うのよね。消えちゃうとかいう赤ちゃんが可哀想だ、っていうのは、十分分かるし私だってそう思うんだけど。でも、あんたは神様みたいに賢く優しくなれるはずなんでしょう。沢山の人を救って、地球を綺麗にできるなら――命の足し引きなんて良くないんだろうけど――そんなに気に病まなくても良いんじゃないかって、そう思うのはいけないかしら。
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