第22話 母子の語らい

 私が代理母の自殺に居合わせてしまったことを、ホルツバウアー夫妻は重大に受け止めたらしい。検診と、数日間の経過観察で赤ちゃんに影響がないと分かった後でも、ちょっとした軟禁状態が続いている。

 これまでは公園での散歩や近所での買い物くらいは外出できてたのに、あの事件以降はそれも許されなくて、私は屋内でゴロゴロするばかり。その外出のせいでを見ちゃった、とも思われたのかもしれないし、何も知らない──自殺騒ぎのことさえ知らされていない──他の代理母たちと出くわしたら話を合わせられるか分からないと警戒されてるのかも。ほら、私ってバカだと思われてるからね。演技とかできないだろうと心配されてるんじゃないかしら。

 お陰で、カロリー計算がちょっと面倒だったりもする。ストレッチくらいはできるにしても限度はあるから、妊娠中は太る訳にはいかないから。ここでのご飯はとても美味しいのに、もうひと口、って訳にはいかなかったりしちゃうの。それが一番ストレスかもしれない。




 部屋の中で何をしてるかって言うと、胎児への読み聞かせ――もうあの子にはいらないと思うんだけど――とか、最新機器での芸術鑑賞とか。古典から最新作まで、音楽も絵画も映像もより取り見取り。だから、とりあえず時間を持て余すってことはない点だけは助かってる感じ。

 私のメンタルのケアは現状で十分だろう、っていうのがホルツバウアー夫妻の判断なんだろうな。だって夫妻の豪邸は天井も高いし各部屋も広々してるし、息苦しさを感じることはほとんどないから。普通なら、って但し書きがつくけどね。まあ、ゆったりとしたリビング、その白い壁一面をプロジェクタにして森や海の映像を映して、木の葉の擦れ合う音や波のさざめきなんかを流して。ディフューザーでそれっぽい香りまで漂わせたりしていると、うっかり屋内にいることを忘れそうにもなるのは本当だ。だから、夫妻が自宅の設備に自信を持ってるのだとしても、まったく正当なことだとは思う。


 ――どうせ作り物じゃない。もう地球上にはない風景なのに。


 でも、私の子宮に居座ってる例の「神の子」サマは、この好待遇がどうも気に入らないようだ。綺麗に管理された第七天の公園の方がまだマシなんだって。そこで目にする人の営みというか、生身の人間同士のやり取りの方が、この子には興味深いんだとか。そうね、公園への散歩もあんたのおねだりだったものね。希望を叶えてあげられないのは、可哀想だけど。でも、ホルツバウアー夫妻に言う訳にはいかない。彼らは、結局まだ私に「神の子」のことを教えてくれていないんだから。私は、何も知らないことになっている。


「もう。生意気言うんだから」


 代わり映えのない生活に退屈しないでいられるのは、この子と雑談を交わせるようになったからでもあるだろう。傍からは聞こえないボリュームの、口の中だけに収めた呟きも慣れたもの。音楽や映画の好みを語ったり、どんな本が読みたいかのリクエストに答えたり。この子にはまだ未知の感覚である、食べるとか飲むとかの行為がどんなものか、私の乏しい語彙で説明したり。合間合間に、これからどうする、って駆け引きや探り合いを挟みつつ、何ていうか、良好な関係が築けているのかもしれない。

 この子のお陰で、自分の置かれた状況も把握できるしね。他の代理母の子たちは、どうして軟禁状態に置かれるかも分からないままで不安な日々を過ごしているのかもしれない。それを思えば、私の状況はとてもとても恵まれている。


 今だって、私はゆったりとソファに掛けてお腹を撫でながら、拗ねたような「声」をしているこの子の話し相手を務めている。


「綺麗で、落ち着く眺めでしょう?」


 これは、ちょっとボリュームを上げても良かったかな。胎児への語りかけとしてとっても適切な言葉のはず。頭の中では、もうちょっと付け加えることもあるけどね。

 ……もうないからこそ、価値があるんじゃない。素直に情操教育されてなさいよ。あんた、知識はともかく情緒はまだまだ発展途上なんでしょ?

 まあ、生まれてもない胎児、ホルツバウアー夫妻の本当の赤ちゃんの魂とやらを思い遣れるくらいだから、優しさはちゃんとあるんだけどね。でも、赤ちゃん第一で私に誘拐を勧めてくる辺り、まだまだ世間の仕組みってものが分かってないみたいだし、色々バランスが悪いと思う。


 ――だって、こんなのよりもっと現実のことを学ばないと。今の地球がどうなってるか、とか。もっと下層の映像はないの?


「こんな景色、いつか見られたら良いわねえ。あなたが作ってくれるかしら、ジュニア」


 そんなのある訳ないじゃない。そりゃ、どっかに資料としてはあるんだろうけど。胎教に良くないに決まってるもの。ここにはないわよ。第一、そんなの見てどうするのよ。


 ――綺麗なものしか見せない方が教育に悪いでしょ。私は、一応この世界を救うために作られたんだから。第七天アラボトでぬくぬくしてるだけじゃダメなんだ。早く自由になって、人のために働きたい。


 そういう綺麗ごとばっか言ってるうちはまだまだなのよ。子供は、小さいうちは遊ぶのが仕事みたいなもんなんだから。ねえ、何年かおとなしく待ってれば良いの。きっと、チャリティだか見学だかで下層に行く機会もあるでしょうから。そうよ、教会だって色々寄付してもらってたはずだもの。


 ――でも、それって根本的な解決にはならなかったでしょ? その場限りの支援じゃ……。マリアも、そういうのは偽善だって思ってたでしょ?


 もう、精神感応テレパスなんて不便なんだから。私の記憶や経験や感情を――全てとは言わないまでも――覗き見ることができちゃうんだものね、この子は! そういうのはマナー違反でしょ、っていうのも私が教えなきゃいけないのかしら。


 ――だって分かっちゃうんだもの。私をこの身体から追い出せば、多分マリアの心はもう見えないよ。母体と胎児の繋がりは……特別なんだから。


 ああもう、すぐそこに繋げるんだから。あんたが何と言おうと、例の計画には乗れないからね。私が産むのが神の子だろうが普通の、遺伝子調整されただけのエリートだろうがどっちでも良いけど、赤ちゃんを連れ出すのは絶対ダメ。犯罪者になんかなりたくないし、下層に堕ちるよりはここで暮らした方が絶対良いに決まってるんだから。


「ほら、鳥の鳴き声よ。何の種類かしら、調べてみましょうねえ」


 リラックスできるはずの森の景色を眺めて、赤ちゃん向けの甘ったるい声を作りながら。幸せな妊婦っぽくお腹を撫でながら、こんな物騒なやり取りをしてるのは不思議だった。それも、ちょっと楽しくなっちゃってる自分に気づいたりして。この子、生意気ではあるんだけど、賢いのは間違いない。それでいて私に懐いてもいるし。だから、対等に本音で話し合えることに張り合いを感じてしまうんだろう。

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