第14話 疑問に蓋をする

「マリア、本当に良かった……! 代理母が自殺したって聞いて、まさか貴女じゃないだろうとは思っていたけど……!」


 ホルツバウアー邸に戻るなり、私はイーファ女史に思いっきり抱きしめられた。公園での事件は、一瞬にして第七天アラボトを駆け巡ったらしい。お屋敷には、アロイスさん──旦那さんの方まで戻っていた。亡くなった──というか、イーファ女史の言葉で自殺と確定した訳だけど──代理母の名前は、報道されたんだろうか。私に何かあれば、夫妻に連絡がいかないはずはないんだろうけど、我が子を心配する想いは理屈じゃないってことなんだろう。


「ご心配おかけして……すみませんでした」

「いいえ! こんなこと、事前に分かるはずはないもの。貴女は何も悪くないわ」


 天使みたいな美貌のイーファ女史が、目に涙を浮かべているのを見て私の胸は痛む。見た目も頭脳も、ごく一握りの人類の頂点にいるような人が、私なんかにこんな頼りなさげな姿を見せるなんて。私は、たまたま事故の場所に居合わせてしまった訳じゃない。自ら進んで、事件の場所に足を向けた。ホルツバウアー夫妻に、アンドロイドの行動記録を確認する余裕はないみたいだけど、私は自分のやらかしを知っているだけに、夫妻の顔を正面から見ることができなかった。


 ──マリアは気にしないで。私の我が儘だったんだから……。


 《声》は……相変わらず、聞こえている。私が預かってる赤ちゃんは、ちゃんと生きている。でも、本当に大丈夫だろうか。人が死ぬところに居合わせちゃったんだもの。それに、あの弱々しい《声》は、本当にこいつの同類だったんだろうか。次代の人類を導くべき、造られた「神の子」とかいう。そんなバカげた研究を行う家庭が幾つもあるなんて信じられない。でも、《声》は聞き間違えなんかじゃなかったはずだ。死にたくないと叫ぶ声を聞いたからこそ、私はあそこに駆け付けたんだから。だとしたら──この子にとっては、きょうだいが死んだみたいにも感じられるんじゃないかしら。病院に行った方が良い気がする。次の検診まで、まだ間があるけど──


 ──止めて。イーファとアロイスには言わないで。私がことを、知られたくない……!


 そんなこと言われても。私、最近は代理母としてヘマしてばっかなんだけど。報告・連絡・相談は大事でしょ? 特に、雇い主に対しては。胎児あんたの体調に関わることを、言わない訳には──


「マリア、カウンセリングに行ってきてもらえるかな」

「えっ……」


 お腹の中の胎児とのやり取り──もうヤケクソだ、受け入れない訳にはいかない──に夢中になっていた私は、アロイス氏の言葉に反応するのが遅れた。きっと間抜けな顔を晒していたであろう私に、人間離れした美貌の夫妻は微笑んでくださる。バカな子供に言い聞かせる表情で。私が注射を怖がってでもいるみたいに。


「念のため、よ。大変なことがあったのだもの。一度、診てもらわないと」

「もちろん、これからすぐに、とは言わないが。明日にでもいつもの病院を予約しておこう」

「貴女だってショックだったでしょうから。貴女のためにも……ね、マリア?」


 あまりにも良いタイミングだったから、一瞬驚いてしまったけれど。でも、願ってもない提案、なのかもしれない。ドクター・ニシャールとは、前回の検診の時にちょっと言い過ぎちゃったけど。でも、あっちもプロなんだから蒸し返したりしないだろう。胎児のことも私のことも、確かにドクターからの保証が欲しい。何ともないって。今日の一件とはまた別に、お子様ではあるんだけど!


「は、はい。お気遣い、ありがとうございます。赤ちゃんのためですからね、もちろん……!」

「ええ、お願いね、マリア」


 慌てて頷いた私に微笑みながら、イーファ女史はそっと私のお腹に触れた。普通、他人に無断で触れる距離感じゃないんだけど、だから、これも子ども扱いの表れではあるんだろうけど──でも、まあ当然だろう。遺伝上の両親の知らないところで、赤ちゃんが失われてしまうかもしれない事件が起きたばかりなんだから。赤ちゃんが生きている証明を、直に感じたくなったとしても当然だ。

 それに、実際のところ、私は意思があって出歩くこともできる、外付け子宮でしかないんだし。雇い主にして胎児の遺伝上のご両親がなさることだもの、私の好き嫌いなんて関わる余地はないはずだ。


「いえ、良いんです。全然。いつもの病院に、明日、ですね。行ってきます」


それに、ホルツバウアー夫妻はさっき見た代理母の雇い主──と思われる女性──よりは遥かにマシだ。事故に居合わせたことを、代理母の不始末だって責めたりしなかった。それどころか、私のこともちゃんと心配してくれた。まあ、とってつけた感じもないではないけど、外付け子宮に対してはもったいないくらいの気遣いだ。怪しげな実験をしていて、その成果を私の子宮に送り込んだかもって疑惑と差し引いても、まだプラスの印象が残ると思う。


『悪魔に憑かれただなんて!』


 そう……あの女性は、ホルツバウアー夫妻と違って知的さを感じはしなかった。もし、万が一、神の創造とかいう実験をしているマッド・サイエンティストが何人もいるとして、きっと旦那さんの方のはずだ。勝手な偏見だし、失礼極まりないことだけどね。代理母ともそんなに打ち解けてなかったからこその、あの物言いだったんだろうし、あの子の言い分をしっかり聞いていたかどうかも怪しいものだ。


 だから──悪魔とか言ってたのも、根拠があってのことじゃないはずだ。取り乱して、代理母の子を非難する想いが、極端な言葉を選ばせた、それだけのはずだ。私のお腹に宿っているのは、神の子なんて大層なもんじゃないし、ましてや悪魔なんかじゃあり得ない。ちょっと出来が良いだけの、ただの人間の赤ちゃんだ。


『嫌、怖い。死にたくない……』


 ……そう考えるとしたら、あの《声》は赤ちゃんの悲鳴だったってことになるのかしら。それも、生まれる前に殺されてしまった赤ちゃんの。


 ──マリア……。


 ううん、そんなことは考えない。心配そうに頭の中から呼びかける《声》が天使のものか悪魔のものかも。私の仕事は、元気な赤ちゃんを産むことだけ。その後で、ベビーシッターとかとしてお付き合いが続くのかもしれないけど。それを望むなら、なおさら余計なことは考えちゃいけない。考えなくて良いことだ。


「今日はさすがに疲れたんで……そろそろ、休ませていただきますね」


 不安にも疑問にも全て蓋をして、私はホルツバウアー夫妻に微笑んだ。ゆっくり寝て──目覚めたところで、現実は何も変わっていないことは、よく分かってはいたけれど。

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