第13話 悪魔の子
「安全を確保します。私の後ろに下がってください」
「う、うん……」
悲鳴を、非常事態と認識したんだろう。今まで無言でついてきていた護衛アンドロイドが、すっと私の前に立ちはだかった。私も、言われるまでもなくお腹を庇いながら立ち上がる。耳の奥に蘇るのは、テロを知らせる警報だ。警戒して外出を避けるほどではないけど、いつ、何が起きるか分からない。
──マリア。気を付けて……。
自称「神の子」の《声》でさえも、心配そうな響きを帯びていた。声だけで色んな感情を伝えてくること、胎児にそんな情緒があること、私を心配してくれること。どれをとっても驚きだ。そりゃ、
悲鳴が聞こえた方角に耳を澄ませる。騒がしい気配はするけれど、立て続けに悲鳴が上がったりはしてないみたい。銃声も、爆発音も。ひったくりとか、誰か倒れたとか、それくらいなら良いんだけど。
「安全な避難経路を確認中です。動かずにお待ちください」
護衛アンドロイドは、端正な顔の裏で検索だか計算だかを始めたらしい。きっと、正しい判断だろうと思う。私ひとりならともかく、──「神の子」を自称する怪しげな存在だろうと──か弱い胎児がいるんだから。言われるまでもなく、大人しく逃げ帰るのが良いだろう。でも──まただ。また、《声》が頭の中に鳴り響く。
──助けて! 死にたくない!
「──っ!」
言葉通りの、必死の叫びだと分かった。そして、私のお腹から聞こえた声じゃないことも。どこか離れたところから、悲鳴を投げつけられたみたい。その証拠に、生々しい《叫び》に身体を強張らせた私の頭の中で、こちらは馴染んだトーンの声が訴える。
──マリア。声がした方に行ってあげて。
「嘘、でしょ!?」
思わず小さく叫ぶと、アンドロイドのカメラ・アイがぐるりと回って私を捉えた。不審な行動を記録しようとでもいうかのように。こいつには、どっちの《声》も聞こえてないのかしら。生きてる脳にしか届かない声だとしたら、そういうこともあるのかしら。だとしたら、私も声に出さなければ、自称「神の子」とやらと、こっそり話すこともできるかもしれないけど──
──お願い。あんな声、可哀想。何があったのか、確かめたいんだ。
声にも態度にも出さずに「こいつ」をあしらえっていうのも、結構な無理難題だと思う! 羊水にぷかぷか浮かんでるご身分を分かってないんじゃないの!?
──でも、事件ではないみたいだし。危なかったら、引き返して良いから……!
冗談じゃないって、断ってやりたいのは山々だった。危険を認識する状況になった時点で、立派な判断ミスのはずなんだもの。アンドロイドの指示に従っているのが良いはずよ。
──私と同じ存在かもしれないから……。
でも、そう言われると迷ってしまう。こいつの声にも悲痛なものを感じてしまって。それに──「神の子」と同じってことは、つまり私と同じ立場の女の子も一緒にいるってことなのかも。
「ごめん、ちょっと見てくる!」
「お待ちください。そちらは安全が確認されていません」
「そこで待ってて!」
アンドロイドの制止を振り切って、私は早足に歩き出した。妊婦は走るなんてできないからね。アンドロイドの命令受付の優先順位がどうなってるかは分からない──緊急事態だと判断したら、私の命令なんて無視されるのかもしれないけど、とりあえずは止まってくれた。後でホルツバウアー夫妻に履歴を見られたりするのかもしれないけど、パニックになってたってことでどうにかなるかな!?
公園も広くて色んな区画があるから、悲鳴が聞こえた方角なんて曖昧だった。でも、幸か不幸か私は迷わず「その場所」を目指すことができた。騒動を聞きつけた野次馬が向かっている方で、同時に、騒動を避けた人たちが逃げ出してきてる方だからだ。後者の中には、子供連れや、私みたいな妊婦もいた。何やってるんだろうって、途中で何度も考えた。今からでも引き返すべきじゃないか、って。引き返せなかったのは──シェリーやアニタの顔が頭を過ぎったから、かしら。あの子たちの最期に、私は間に合わなかった。でも、あの子たちの悲鳴を聞いていたら、きっと走っていただろう。怪しげな《声》に対する好奇心以上に、そんな思いに突き動かされてしまったのかもしれない。
「お願い! 赤ちゃんだけでも……!」
でも、
湖、ってくらいの大きな池が広がる一角だった。横断するように橋が渡されて、水鳥に餌をやったりできるようになっている。その橋の真ん中あたりに、シートが敷かれて、人が寝かされている。びっしょりと濡れた服に、張り付く髪。青白い肌。水に落ちたんだって、ひと目で分かった。それに、お腹がはっきりと膨らんでいる。妊婦だ。《声》の言うことを信じるなら代理母で──それなら、泣いてる女性は胎児の遺伝上の母親だろうか。
赤ちゃんだけでも、っていうことは、つまり代理母の方はもう絶望的、ってことだ。こんな状態からでも胎児は助かるのかどうか。慌ただしく行き交う救急隊員たち、彼らの緊迫した雰囲気に、私のお腹も張ってしまう。
と、緊急隊員のひとりが、野次馬にしては近くに寄り過ぎたらしい私に目を留めた。
「どうかしましたか。お知り合いですか」
「あの……えっと、もしかしたら、なんですけど。同じ病院で会った子だったら、って──」
「そうですか……」
問い詰めてる訳じゃない、単に緊急事態ってだけなんだろうけど。鋭い目に見つめられて、私は咄嗟に嘘を吐いた。病院ですれ違う代理母の子たちなんて、ろくに顔も覚えてないのにね。
緊急隊員は、少しだけ身体をずらして倒れている子が見えるようにしてくれた。よくそんなことしてくれたな、ってちょっと驚いたけど、その子の表情を見て何となく納得した。とても、安らかな顔だったのだ。目を閉じて微笑んで、幸せな夢でも見ているみたい。誤って池に落ちて溺れたにしては、不思議なくらいの穏やかさだった。
「最近、情緒不安定だったから……気分転換にって、外出させてあげたのよ……!」
胎児の母親であろう女性が、緊急隊員に支えられて宥められている。情緒不安定……? そうか、橋にはちゃんと柵がついてるものね。事故で落ちようと思って落ちられるようなものじゃない。じゃあ、これは自殺……というか心中なの? よそ様のお子様を道連れにして? どうしてそんなことができたの!?
「悪魔に憑かれただなんて! この子こそ悪魔よ……!」
この女性は、我が子を殺されたようなものだ。だから、怒る権利はあるはずだ。でも、代理母はフォロー体制も万全なはずじゃなかったの? どうして自殺してしまうほど思い詰めて、それが見過ごされてしまったんだろう。
「どうでしたか」
緊急隊員の問いかけに、私は無言で首を振って応える。人違いでした、って。私はまた間に合わなかった。他人の目に晒されるより、赤ちゃんだけでも早くどうにかしてもらわないと。
担架に乗せられて、ぐったりとした妊婦が救急車に消えていく。その間際に、弱々しい泣き声が私の胸を引っ掻いていった。
──悪魔なんかじゃないのに。どうして……。嫌、怖い。死にたくない……。
すすり泣く声は、車のドアが閉まると聞こえなくなった。物理的に隔てられたから、ならまだ良い。でも、何となく分かってしまう。結局、胎児も助からないんじゃないか、って。
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