第11話 神の子
でも、そうやって貪欲に吸収しようとする生活はストレスが溜まるもの、なんだろう。妊婦にストレスは禁物なのにね。だから、たまの検診以外の外出は、さすがに自分へのご褒美っていうか純粋な贅沢かもしれない。広がる青空も白い雲も、太陽の日差しも、下層ではお目に掛かれないものなんだから。紫外線対策さえしっかりすれば、思いっきり深呼吸して日光浴なんて、心身の健康に良い影響しかないはずだ。そう……だから、アンドロイドの護衛を従えて、それか、犬の散歩みたいにリードをつけられて──もちろん不可視のもの、高機能カメラとGPSで位置を把握されてるってことだけど──公園を散歩するのは、私の自発的な意思によるものだ。それ以外、あり得ない。でも──
──お願いを聞いてくれてありがとう、マリア!
どうして、子供がはしゃぐような声が頭の中から聞こえてるんだろう。そう、確かに朝も聞こえた気がしたの。絵本の読み聞かせはもう飽きた、クラシック音楽も気分じゃない、きょうは外に出かけたい、って。でも、胎児が話しかけて来てるはずはない……わよね? だから、私が
──マリアってば。
頭から聞こえる声を
──マリア。聞こえてるよね?
私は何も聞こえてない。私がマタニティブルーなんてありえないと思ってたけど。だって結局自分の子じゃないし、リスクもリターンも十分過ぎるほど考え抜いた上で、良いビジネスとして選んだんだから。
そして実際仕事を始めてみたら、何もかもが驚くほど順調で、豪邸での暮らしも快適だったし。でも、子宮に他人の受精卵を受け入れて、ホルモンの変調に見舞われたり形を変えていく身体と向き合ったりするのは、やっぱりそれなりの大事だったらしい。知らない間に、心身にストレスが溜まっちゃってたんじゃないかしら。
コリンズさんのこともあったし、この前の検診でもドクター・ニシャールと口論めいたことになっちゃったし。昔のことも思い出しちゃった。きっとナーバスになってるからだ。
――マリア、どうして無視するの?
ほらやだ、ここ最近、ひっきりなしに変な声が聞こえるんだ。瑞々しい緑や眩しい太陽、爽やかな風でも癒されてないなんて、これはきっと重症だ。次の検診では、何かリラックスできるような薬でももらった方が良いのかも。薬を飲んでぐっすり寝て、美味しいものでも食べれば、きっと――
――マリア!
「痛……っ」
強い胎動をお腹に感じて私は思わずしゃがみこんで身体を丸めた。お腹の赤ちゃんが、子宮の壁を思い切りけり上げたらしい。聞こえない
痛みが収まったところで立ち上がって、散歩の続きを──しようと、するんだけど。《声》はいよいようるさく絶え間なく、私に話しかけてくる。
――分かってるでしょ? この声は錯覚でも幻聴でもない。君の子宮の、この私の声だって。
うるさいうるさいっ! 幾ら遺伝子操作されてほとんど別種レベルに優れた能力をお持ちだからって、羊水に浸かってるお子様が喋れるはずないじゃない! 言いたいことがあるなら、生まれてからせめて二年は待ちなさい。それも、私じゃなくてあなたのママに言えば良い!
――イーファはママじゃない。少なくとも私にとっては。私が頼れるのは、マリア母さん、貴女だけなんだ。
うるさい黙れ私はあんたのママじゃない。
――マリア、ひどい。
ひどくない! 私は子宮を貸してるだけだし、胎児に情を移すなって研修でもしつこく言われたもん。代理母として、プロ意識を持ってやってるだけだもん! 契約に沿ってるだけなのにひどいとかいう方がひどいわ!
私はいったい、どんな表情をしてるんだろう。きっと、代理母の模範とはほど遠い、目を吊り上げた険しい顔になっちゃってる。すれ違った老婦人が、ちょっとびっくりした顔をしてたもの。この妊婦、具合が悪いのか機嫌が悪いのか、声を掛けようかどうしようか迷う、って感じの。護衛のアンドロイドが、
私の苛立ちや戸惑いや混乱を他所に、《声》はごく冷静に端的に指摘するんだけど。
――契約は、本当にフェアだった?
「…………」
やっぱりおかしいよ。こんな落ち着いた声、理路整然と語る声が生まれてさえない赤ちゃんのもののはずがない。その前提となる思考だって。子供って、しばらくは動物みたいなもんなんじゃないの? こんなにはっきりものを考えられるの?
――普通の子供じゃないからね。イーファとアロイスは、神の子って言ってるね。
「はは……っ」
神の子、だって? あまりの言葉に、私の口から思わず乾いた笑いが漏れる。まあすごい! じゃあ私は本当にマリア様って訳ね!
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