第7話 鎖自慢
検診にはもう何度も行った。女史と一緒の時もあったし、旦那様のアロイス氏と一緒の時も、夫妻の両方との時もあったけど、今日は私ひとりだけ。何回かに一回、規定の回数はひとりで来ること、って法律で決まってるんだって。外付け子宮をひとりでうろつかせるのは、一応は
旦那様によるセクハラとか、奥様による嫉妬とか。それから、
私の場合は今のところ相談するようなこともなくて──少なくとも身体についてのことはね──、その点でも運が良かったと思う。
アンドロイドにエスコートされて受付を済ませると、私は広いロビーに通された。第七天では、窓から降り注ぐ光は常に太陽の自然で温かなもの。下層では人工の光源がほとんどで、太陽光なんて積み重ねられたビルの地層が崩落した辺りの、限られた場所でしか満喫できないんだけど。それさえマフィアとかお金持ちに独占されるか、良くても公園か何かとして不特定多数でちょっとずつ分け合うことしかできない。私が育った教会は、神様への敬意だか遠慮だかによって、聖堂と庭の一角で日向ぼっこをすることができたっけ。ステンドグラスが夕焼けで色を変えるのが綺麗で、アニタじゃなくても、私でも夕方のお祈りは真面目な気分になったもんだわ。そんなことを思い出すと、ちょっとだけ懐かしい。
「ちょっと座るね」
予約の時間には少しだけ早かったから、私はアンドロイドに断ってソファに掛けた。ふんわりとお尻が沈む感触は、これまた雲でできてるんじゃ、なんて思うくらい。さすがは天国ね、とかどうでも良くてつまらないことが頭に浮かんじゃったりもする。だって、「下」ではあんなに貴重だった太陽の恵みが、ここに来てみればそこら中に溢れてるんだもの。同じ地球とは思えない、それこそ雲の上、天の国って感じがする。だからこそ狭き門なんだろうなあ、とも。誰だって天国に行きたいけど、選ばれた人しか入れないからこそ楽園なのね、きっと。
予約制だから、長いこと順番を待たされるってことはないはずなんだけど、ロビーにはそこそこの人数が
そもそも知能と知識のレベルが違いすぎる人たちばかりだから、話してても緊張しちゃうし。だから、たまには同じレベルの者同士で息抜きしたいって気持ちは、まあ分かる。テロの警報は、皆聞いてるだろうしね。人が大勢いるところの方が何となく安心って思っちゃうのかも。それも、分かる。でも──
「今度の週末は、郊外の別荘に連れて行ってもらうの。本物の自然の中でリラックスしてね、って!」
「私は家にシェフを呼んでもらったわ。目の前で調理してもらえるの。五感の刺激って大事なんでしょ?」
私、ああいうのは嫌い。雇い主の財力やステータスを自慢し合うのって、すごくバカっぽくてみっともない。奴隷が金の鎖を自慢し合うみたいじゃない。だから私は、話しかけないで、の意思表示に備え付けの雑誌を手に取った。開いてみても、ゼロの数を数えたくなるような高価なブランド物は、欲しいとは全く思わないけど。あんなバカどもとバカな話をするよりはマシよ。
あの子たち、プロとしての意識が足りないんじゃないかと思う。代理母のプロっていうのもおかしいけど、とにかくビジネスとして、契約としてやってるって自覚が足りないってこと。第七天の贅沢な暮らしは、ただの仕事環境に過ぎない。美味しい食べ物も快適な部屋も、諸々のエステやリラクゼーションも、読み聞かせ用の綺麗な本も最高の音楽も。子宮に預かった赤ちゃんのため、その子たちの健全な成長のため、ご両親が愛情ゆえに与えてくれていることだ。
「バカみたい」
思わず、口から零れてしまう。誰にも聞こえない程度に抑えたボリュームで、だけど。
あの人たちは別に私たちを大事になんて思ってないし、ほんの何カ月かの間、第七天に居場所をもらえたからって、私たちが偉くなった訳でもない。私たちは、ただの手足の生えた子宮。大事にされたとしても、車の手入れを丁寧にやるとか、お気に入りの服にアイロンをかけるのと似たようなことよ。浮かれて舞い上がるなんてバカバカしい。そんなことより、仕事をきっちりこなすこと――何が胎教に良いか、赤ちゃんのためにどう過ごすべきか、もっと考えたら良いのに、って思う。その方が次に繋がるし、自分のためになるはずなのにね。
少し不機嫌に乱暴に、そしてろくに文字も読まずにページをめくっていると、紙面のきらきらしたジュエリーに人の形の影が落ちた。
「ね、隣、座って良い?」
ちらりと顔を上げてみれば、話しかけてきたのは私と同じくらいのお腹の膨らみ具合の子だった。ゆるくウェーブがかった栗色の髪、清楚で控えめな印象のメイク、ゆったりしたワンピース。代理母として好ましい、清潔感のあるいでたちは、ロビーにいる他の子や私とも共通していて、だからこそ誰だか分からない。どの子も皆似たような見た目だから、今日初めて会ったのか、挨拶くらいはしたことがあるのか、病院を出た途端に忘れちゃうの。
「……どうぞ」
幾らでも空いてるソファがあるのにわざわざ私の隣に来たってことは、前に何かお喋りしたことでもあったかしら? 私はバカな子たちに話しかけられても話を弾ませてなんかあげないから、大体皆つまらなそうに離れてくれるんだけど。だから、二回もおしゃべりしたいなんて子はいなさそうなものなのに。それなら、初対面だったのかな。その割に、お尻をくっつけて近い距離に掛けてくるのが、馴れ馴れしくて変なんだけど。
「貴女、マリアでしょ? ホルツバウアー博士のとこの代理母!」
違和感は、その子の次の言葉を聞いた瞬間に確信の嫌悪に変わる。あ、この子ダメな子だ。雇い主の権威を自分の者だと思ってるバカの中でも最悪のタイプ。雇い主同士が知り合いって、それだって本当かどうか確かめようがないじゃない。胎児の両親が同伴している健診だったら、散歩中の犬を挨拶させるみたいに名前を教え合うことはあるかもしれないけどね。
大体、ホルツバウアー夫妻はふたりして「博士」だし、どっちの話をしてるのかしら。ファーストネームを呼ばない程度の知り合いなんだったとしたら、なおさら代理母である私の名前まで知ってるのは不審でしかない。
「さあ、勝手に雇い主の名前を出しちゃいけない契約になってるから。研修でやらなかった?」
できるだけ冷たく言ってやった。視線の方も、雑誌に戻してやる。なのに、横目で窺ったその子の可愛い笑顔は変わらない。無邪気な──聖母とか天使とか言っても大げさじゃないような。そうね、少なくともこの子の見た目は感じが良いだけじゃなかった。清潔感があるとか優しそうってだけじゃなく、とても整っている。宗教画のモデルでも務まるかも。でも、こいつの本性はそんな綺麗なものかしら。歓迎されてないのが分かるだろうにまだにこにこしていられるなんて。よっぽどバカなのか──それとも、何か狙いがあるのかしら。
私は、雑誌の位置を微妙にずらして、お腹を庇おうと身構えた。
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