第6話 警報②

 朝食の真っ最中に響いた警報に驚いて顔を上げると、流れていた映像も音楽も止まってて、四角いモニターが割り込んで表示されていた。その枠の中に、深刻な面持ちで収まっているのはアナウンサー、だろうか。イーファ女史と同様に彫刻めいた美貌の、選ばれた存在。第七天アラボト出身とは限らないけど、顔だけで這い上がれた人かもしれないって意味で。

 そして、警報は事件や異常事態の発生を伝えるものだ。個人宅の映像に割って入ってくるほどの、どんな事態が起きたのかしら。私が見つめる先で、アナウンサーの完璧な形の唇が、動く。


『緊急速報です。○○地区の階層エレベーターを、銃を持った集団が襲撃したとの情報が入りました。該当地区への道路は封鎖されます。また、住民の方は警察の指示に従って避難を――』


 モニターに表示された地図と、避難を呼びかけられた地区の名前を見て、私は軽く息を吐いた。取りあえず、この屋敷も、雇い主夫妻の勤め先も関係ないみたい。……そうと分かってしまうのは、私にとってこれが最初の警報じゃないからだ。

 第七天での裕福な暮らしは、人類と地球への貢献と引き換え、ってことになっている。でも、中には資源や特権の独占だと思う連中もいるらしい。私がここへ来てからの数ヵ月だけでも、料理人とか清掃人とか運転手とか、そんな職として採用された奴が実はテロリストでした、って事件が時々ニュースを騒がせている。貧富やら階級による嫉妬や憎悪も、人類はとうとう卒業できなかったんだ。


 そう、だから、第七天も蜂蜜とミルクの流れる理想の地、本物の天国って訳にはいかないってことなんだろう。そこは、多分仕方ない。私にできるのは、危ないと言われたところには近づかないで、お腹の赤ちゃんの安全を守ることくらい。それ以外に何かできるはずもないし。

 だから──コリンズさんがある日突然お屋敷からいなくなったのも、仕方ない。私は、あの人の言動を全部チクった訳じゃないし。ちょっと独特な思想の人みたいで、されて困っちゃったって、イーファ女史に言っただけ。それも、だからどうして欲しいとは言わないで、世間話というか愚痴っぽく零しただけ。まあ、それだけでもホルツバウアー夫妻が重要に捉えるであろうこと、コリンズさんと私の接触を減らそうとするくらいのことは予想していたけど。有無を言わさず即、クビって、私もちょっと引きはしたんだけど。

 でも、しょうがない。私は、私の立場でやるべきことをしただけだ。私自身と、私の子宮にいる胎児の安全のために最善の努力を尽くすのが、代理母としての義務だもん。赤ちゃんを守れて良かった、変な人がいなくなって良かったと思って、過ぎたことは忘れるしかない。


 実際、目の前にはもっと差し迫って心配すべきことがある。どうしようもできない貧富の差や、テロに見舞われているどこかのこと、二度と会わない人のことよりも、ずっと。


「困ったわね。今日は検診だったのに」

「そうですね……」


 イーファ女史が眉を顰めて呟いた通り、私は今日、妊娠の経過を診てもらうため、病院に行く予定だった。つまり、テロが起きたからってお屋敷に引き籠ってる、って訳にはいかないかもしれない。

 代理母だろうと、お腹にいるのが遺伝子改良措置マシマシのエリートなお子様だろうと、妊娠の経過は普通の人と変わらない。だから、私も定期的に検診を受けることになっている。普通って何なの、とか考え出すと訳が分からなくなるから考えないようにしているけど。


「予定の変更って――」

「ちょっと待って。……ああ、ダメね……予定がいっぱいで」

「そう、ですか」


 手元の端末を弄っていたイーファ女史は、すぐに諦めたように溜息を吐いた。私がお世話になってる病院は、つまりは第七天の偉い人たちの御用達のとこ、ってこと。だから、私から見ればとてつもない雲の上の人に見えるイーファ女史でも、簡単に融通を利かせることはできないらしい。まあ、代理母の検診の時期も回数も、きっちり決められてるしね。

 同じ第七天のどこかで銃撃戦があるかもしれないのに、気楽にお出かけ、なんて思えないけど――


「私なら大丈夫です。十分気を付けますし、運転手さん、つけていただけるんですよね?」

「ええ、そうね……」


 親しみを込めてさん付けで呼んでみたけど、ホルツバウアー家の運転手は、人造皮膚の質感ものっぺりとしたアンドロイドだった。そりゃ高級品なんだろうし顔の造作も美形といって良いものなんだけど。どこか焦点が合っていないガラスの瞳孔は、やっぱり不気味だ。

 人間の運転手を雇えないなんてことはなさそうなのに、何か主義でもあるのかな、って。最初は不思議に思ったものだったけど、私の疑問を読みとったらしいイーファ女史は、最初に説明してくれていた。


『最近色々あるでしょう。機械の方が信用できるかと思って』


 色々、っていうのはつまり今日みたいなこと、なんだろう。下手な人間を雇って、実はテロリストでした、なんてことになったら目も当てられない。コリンズさんについての対応が異常に素早かったのもそういうことだろう。

 その点、私がこんなに屋敷の中に入れてもらえているのは──っていうか、そもそもお子さんを子宮に預けてもらえるくらい信用されてるってことだろう。身辺調査も、私が提出した経歴以上にじっくりきっちりされてるんだろうな。まあ、別に調べられて困ることなんてしてないけど。


「不安でしょうけどお願いね。赤ちゃんをくれぐれもよろしくお願いするわ」

「はい、もちろん」


 私よりもお子様のことを念入りに気に懸けるのは、ほんの少し引っ掛かるものがないでもない。でも、私はそんなことはおくびにも出さずに笑顔で頷いた。だって、私の安否は赤ちゃんの安否とイコールで結ばれてるし、何より、私はただの手足がある子宮に過ぎないんだから。分相応の扱いに、不満を持って良いはずがない。


「……貴女もよ、マリア。アンドロイドの護衛対象には貴女もちゃんと登録しているから」


 ほら、でも、イーファ女史はさすがに気まずいとでも思ったのか、割と優しい言葉をつけ足してくれた。たとえ上辺だけだったとしても、私自身の存在、私という人間を忘れないでくれてるのは多分とても素敵なことだ。雇用契約ありきの関係だとしても、思いやりって大事だものね。


「はい。お気遣いありがとうございます」


 だからやっぱり、私の仕事環境は恵まれてるし、私の選択は正しかったはずだ。私の人生は順調なはずだ。何も、間違ってなんかない。

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