第3話 受胎
長年に渡って争いと破壊と汚染を繰り返してきた人類は、とうとう学ぶことをしなかった。
海も空も大地も。美しかったはずの地球は汚れきって、ほとんどの地域は砂漠か荒野かゴミ溜めとなった。動植物も多くが死に絶え、海の碧も空の青も緑の大地も失われた。残された人類は、比較的マシな部分に例のミルフィーユを積み重ねて、先祖の所業を覆い隠すようにして生きている。
何百年、何世代かけてでも過去の地球を取り戻すのが人類の贖罪であり課題ということになっているけど――その大事業に関われるのがそもそも相当なエリートだけ、って時点で地球もホモ・サピエンスもかなり詰んでると思う。下層にいた頃は、私も周りの連中も生きることで精いっぱいで、環境の改善何て考えられなかったものね。
とにかく、人類が利用できる資源はもはや限られている。ならそれを使うのは役に立つ人間のためだけにするべきだ。生きてるだけ酸素の無駄遣いみたいな連中にはさっさと死んでもらった方が良い。一方で、優れた人間には優れた環境を享受する権利があるべきだ。
――とまあ、そこまではっきり言われてる訳じゃないけど。でも、第七天に入れるのが高度な専門職に携わる人間とその家族にほぼ限られてるってことは、みんな大体そんなことを考えてるんだろうなあと思う。下層だと、「上」に見捨てられた、とか埋め立てられた、なんて忌々しげに言う奴も結構見るくらい。
あ、私としては特に文句ないです。私程度の人間が地球にも人類にもそれほどっていうか全然貢献できないのは分かってるので。義務を果たさず権利を主張するとか、そんな図々しいことできないし。ほんと、テロとかも考えてないし。
ただ、生まれた以上は死ぬのがイヤな訳で。生きてる以上は楽な生活をしたいって思うのが人間ってもんで。
私はずっと考えてきた。せっかく親からもらった五体満足な身体で、何ができるか。とびきり綺麗な訳じゃないし、特別賢いってこともない。もちろん特技や才能だってありやしない。本当に健康なだけが――今の地球ではある意味望むべくもない贅沢かもしれないけど――取り柄な私が、楽園の生活を手に入れるにはどうすれば良いか。ずっと。
物心ついた頃からずっと考え続けて――私が目をつけたのは、人類というか生物にあまねく存在するごく基本的な法則だった。つまり、種族を維持するためには生殖を行わなければならないということ。そして、生殖には雄と雌――特に、雌の子宮が必要になるということ。
多くの文化が失われ、一方で多くの技術が発展した現代の人間社会においても、その法則は変わらない。ただ、かつてと違うのは、女は単に産むだけの性じゃないと思われてるってとこだ。少なくとも、第七天に住むような選ばれし人たちの間では。
だって、地球の復興に全力を注ぐのが使命、ってことになってるんだもの。幾ら優秀な後続を殖やすためとはいえ、妊娠出産によって才能ある女性が何ヶ月も行動を制限されたり、時には健康や生命を脅かされるなんて重大な損失じゃない? 優れた人材に対しては、男女関係なく機会が与えられるべきじゃない? それなら、「外注」できるところはしちゃえ、っていうことだ。赤ちゃんをベビーシッターに預けて働きに出るのは昔からよくあることだったらしいし、同じことをもっと前からやろう、ってなるのは自然な流れなんだろう。
全ては人類のため、という大義名分のもと。第七天では、いわゆるエリート階級、上級市民の胎児を下層の女の子宮で育てるのは今ではとっても普通のことだ。とりあえず、私が就職先として検討するくらいには。先人の情報を集めて、傾向と対策が練ることができるくらいには。
家畜の細胞を培養した人口子宮やら、もっと清潔なガラスのキューブで受精卵を育む研究も進められてるけど……そんなツクリモノに大事な赤ちゃんを任せるのはイヤでしょうしね。お肉や毛皮と同じことで、天然モノの方がありがたがられるって訳だ。
現代の人身売買だって批判もあるらしいけど、私たち代理母としてもメリットは大きい話だ。だって、赤ちゃんのためにも、「仕事中」は食事も住居も最高のものを与えてもらえるんだから。私の場合はあてはまらないけど、子供がいる女の人なら、その子ごとその恩恵にあずかることだってできる。第七天にコネも手に入れられるし、報酬も私たちにとっては莫大なものだ。何回か務め上げれば、生活の水準を何段階も上げることができるくらいに。物理的な住まいだってミルフィーユの大分上の方にいけるだろうし、いずれ持つ私自身の子供には、遺伝子改良処置を施すことだってできるかもしれない。
だから、この仕事の存在を知ってから、私はそれに人生を賭けることに決めていた。楽園――第七天に入るには犯罪歴がないことが必須。だからもちろん道を踏み外したりしないし、子宮のコンディションを保つためにも口にするものにはできる限り気をつけていた。ドラッグなんてもってのほか。汚らしい男のモノも精子もお断り。
ええ、そういう訳で変わり者とか面倒なヤツとか思われてたようだけど。友達もほとんどいなかったけど。でもそんなの関係ないわ。私はゴミ溜めみたいな下層を捨てるつもりだったもの。第七天での安全で安楽で裕福な暮らし――それと引き換えなら、ゴミどもとの人付き合いなんて知ったことじゃなかったもの。
という訳で。
「うふふふふっ」
ベッドにごろごろしてても笑いが止まらない。ほんと文字通り。
あの面接の後、すぐに採用の連絡を受けて。研修やらカウンセリングやらメディカルチェックやらを経て、ホルツバウアー夫妻の受精卵をお迎えして。そりゃ、始まるまでは不安もあったけど、今のところ経過はいたって順調で拍子抜けするくらい。
あ、ちなみに処女膜は無事らしいです。受精卵注入用のカテーテルって男のアレより遥かに細いから、膜が破れるようなもんじゃないって。まあ、そもそも膜じゃないのは知ってるし、結局分娩の時には破れちゃうというかぐっちゃぐちゃになる訳だけど。外側からじゃなくて内側から、だなんてマリア様みたいで面白いよね。ちょっと冒涜的とでも言えるかしら。
ホルツバウアー夫妻は挑戦的、とでも思ったのかもしれない。本来、代理母に採用するのは経産婦じゃなきゃいけないはずなのに、わざわざ私を採用したんだもの。天国の名を冠した階層に住んで、マリアという名前の処女に子供を産ませるの。自分たちが神様にでもなった感じがするのかしら。マリアという名前をつけてもらったのは、やっぱりラッキーだったと思う。
ま、第七天の人たちの趣味というか流行を知って利用しようとしたのは私でもあるんだけどね。雇い主のことを悪く思うなんてできやしないわ。処女を守ってたことで私の子宮の商品価値が上がったんなら安いものだし。
だって、下手に子供産んじゃう方がリスキーだもん。私の周りの――下層の男と子作りした場合、何かしら障害が出る可能性はそこそこ高い。欠陥品を産んだなんて、審査の時にマイナスになっちゃうじゃない? それよりは新品・未使用です、って方がアピールできそうだなって思ったのよね。
そしたらそれが大当たり! 考えてみれば当たり前よね、大事な大事な赤ちゃんをお迎えしようって時は、肌着やおむつやベビーカーなんかは絶対新品で揃えるもの。なのに肝心の子宮を、いわば最初のベビーベッドを中古で済ませるなんてありえないわ。
ああ、ほんと、清く正しく、ちょっとズル賢く生きてきて良かった!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます