第5話 恐れ

 三之丞は背筋が凍った!


 あのような恐ろしい侍が怒ったら自分などはひとたまりもない。だが自分は十四の若衆であるという矜持もある。いざとなったらこの肉体を侍の意のままに任せて怒りを解くこともできるだろうか。一時のことなら我慢をすれば良い。これまでにも幾人か、この人と思った侍と床を同じにした。しかし皆、違ったのだ。


 そして、最も不自然で起こってほしくないことが現実となった。よりによって自分の固唾の泡を掬ってその侍は飲みはじめてしまった。歩きにくい岩場を錦の袴をたくし上げよろけながら三之丞は下流に急いだ。


 その武士は一旦飲むのをやめ、身を起こし少し下を向き片膝をついて腰を落としたまま目を瞑ってじっとしていた。手のひらはしっかりと合わせて掬った水はそのままに留まっている。なにか神々しいものを手の上に載せているように一見見える。あるいは固唾が浮いていたことが分かって怒りを腹に溜めでいるのではないか。じっとしているのは気配で自分が近づいてくることが分かるのだろう。穢れたものを自分に飲ませた輩を待っているのかも知れない。早く行って詫びを入れなければ!


 三之丞には勘右衛門の腰を落としている岩場に近づくまで、なんとゆっくりと時間が流れたことだろう。

 

 三之丞が勘右衛門の隣の平岩の上にたどり着いた時、三之丞の息は乱れていた。しかし彼も武士の子、取り乱した姿ではいけない。しばらく身を整え息を鎮めるために佇んだ。するとどうしたことだろう。次の瞬間、勘右衛門は掬った水を喉を鳴らして飲んでしまったのだ!三之丞は唖然とした。


 飲み干すと勘右衛門はゆっくりと三之丞を見た。鋭い目が下から三之丞を刺す。袖から出た腕は太く興福寺の仁王像のように人のものとは思えない。それが剣を抜けばたちどころに自分の首は飛ぶだろう。万事休すか!


 三之丞はその目を見入ったが、敵意はない。

 気を鎮め言うべきことを言わねばならない。だが、侍である。相手の身分が分かるまでへりくだってはならない。慎重に言葉を選んだ。


「ここで貴方様がお手水をおつかいになるとは思いもよらず、無礼なものを吐きました。全くお許しを乞うばかりです」


 三之丞は勘右衛門の挙動の不審さが頭をかすめたが、相手に直面している今はそれどころではなかった。お互い武士の身。たちどころに命のやり取りも起こり得る。

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