第4話 小説風「夢路の月代」出会い

 この日は陰暦二月の曇りの寒空。昼でも春日神社の鹿の声も寂しそうに聞こえた。


 勘右衛門は下人を連れて春日山の岩井川に釣りに来る。岩井川は現在では「岩井川ダム」となっており春日山原生林の中にあったようだ。冬の山の上では鍛えた肉体でも寒かっただろう。ここでもし勘右衛門が厚着をしていたならその肩背はこんもりとしてさらに厳(いかめ)しい姿になっていただろう。髪の髷とタボを当世風に「下げて」いたというのだから、月代は目立ち、額が広く見え、また剣客なので絶対に首を落とす姿勢はしない。目つきは「五輪書」や柳生新陰流の口伝書から読み解くと、敵を上から見る体勢とされている。ますます威圧的ではあろうやな。


 蝿針でイワナでも釣ろうとしていたのだろうか、そうだとするとそこは岩場である。せわしなく岩陰から針を川に投げ込んでいる時、岩と流れる水音とで勘右衛門達に気づかず、三之丞はその水上に来た。小用をたそうとしているので下男は土手で待たせてある。


 勘右衛門はその姿を見て、小声だが通る声で、


「五平!あちらの岩陰に行け!姿を見られるな!」

と、とっさに喜ばしい予感にかられて下男を追いやった。


「へ、へい、旦那様」

「あー、はよ!いっそのこと、先に帰れ!」

「そうでございますか!あー、あの御仁ですな。ではこれで御暇します。御気張れなされませ!」


 思わぬ暇(いとま)を吉として、主人の手紙を運ばされてうんざりしていた初老の男はそそくさと荷物をまとめ、帰っていった。


 勘右衛門は途中にある岩で姿が見えないことを幸い、小首をかしげて上流をちらちら見た。

「なんと・・・気優しげな若衆よ」


 原本の挿絵を見ると、三之丞は振り袖の若衆姿。刀をやはり「よしや風」に差している。

 三之丞は土手で下男を待たせて一人川面に見入る。

 清らかな流れに映る自分を眺めていたが、先ごろからの喉の嗄れがこみ上げてきた。


 舌の上に汚れを溜めてそれをぺっと水中に吐き出した。


 「今ぞ!」


 それを見た勘右衛門は素早く流れの近くの岩場に移り、平たいところにに片膝を立て身繕いをする。緩んだ着物の腹裾を袴にたくし込み、襟を正し、髪に手を当て乱れを直す。威厳を持った武士の姿に戻り、腰を立て、首を立て、顎を少し出す。上反りに差した大刀の柄を下に左手で押し下げて体を川面に乗り出した。背を曲げないように腰を下げ、立てた膝と腰を大きく割った。そして両手を川面に差し出してその瞬間を待った。


 三之丞が何気なく固唾の泡を見送って下流に顔を向ける。

「あっ!」

 そこには屈強な体に黒ずくめの不気味な侍が水を飲もうとしているではないか。

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