第2話 西鶴の罠
物書きの性向としてこういう議論に晒されると、なにかいたずらごころを持ってしまう。「受け入れられない」人に対してどうやったら「それならいいや」と嫌悪の源泉を離れ、心の置き場所を少しずらせることが出来るのか。それを考えてしまうのだ。
物書きなので小説にするとどのような景色を造ればよいか。西鶴先生のお噺を踏襲するならばまず勘右衛門の描写から始めなければならないだろう。
勘右衛門の姿を現作から描写すると、三十歳前で髪型は『後ろ下がり』(万治二年:1659、徳川家綱の時代 の記述では『当世のはやり』とある)に結い、上下に黒い龍門に葉菊の五所紋(黒い艶のない舶来絹の着物と袴に丸に菊の紋所)、絹糸で編んだ平帯、大小は当時流行した「よしや風」で刀の反りを上にして差していた。
と、現代ではぴんとこないが、西鶴が筆を極めて描いた強い伊達男のようだ。確かに原本の挿絵では連れ立って歩く二人の大小の刀は上に反っている。
続いて、勘右衛門は「その名も隠れなき、兵法使い」とある。流派の言及はない。さらに、「古今類をなき少人好き、さまざま文を書きて、だますに手なし」。若衆好きでラブレターをあちこちに送りちょっかいを出していたというのだろうか。ただ興福寺の薪能(たきぎのう)などを見て参列していた寺院の稚児をものほしそうに眺めていたというところを見ると、あまりもてなかったような気がする。
この描写から余人はいろいろ想像するのだが、学生からは残念ながら勘右衛門がどういう肉体の持ち主だったかは意見がなかった。ここで私は西鶴先生の文学上の第一の罠が仕掛けられているように感じた。関連する大きな罠は後半にもある。それを罠と考えるか、そんなものかと考えるか、読み手に丸投げされているということだ。これは例えば川端康成の小説を読むときも同じことが起こる。
第二の罠はこの散文の範疇がそこに及んだばやいに述べるとしよう。もし述べられなかったら読者は頭を悩ませてほしいものだ。
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