異世界の奸臣は本当のところ案外いい人である
母さんや祖父ちゃん、ノクシ、コロも僕の帰還を喜んだ。みんなで夕飯のルサルカをつっつき、おいしくないものを食べる顔で食べているとやっぱりおいしいものを食べてきたことを責められた。いやそれ僕が原因じゃないし。
その次の日のことだ。
野良着を着たロラク卿が、白い仔馬を引いて、ぜえはあ言いながらやってきた。
「きょうからここで働かせていただくロラクです」
ロラク卿は深々とため息をついた。そうか、農務ってここで働くってことか。さっそく、父さんが仕事の内容を説明する。ロラク卿改めロラクはげんなり顔で、牛の糞の片付けを始めた。
引かれてきた白い牡の仔馬は、きれいな目をして僕らを見ている。じいちゃんが仔馬の顔をまじまじと見て、
「よし。こいつは白くてめんこいから『とみお』だ」
と名前を付けた。ひどいセンスだ。まあじいちゃんのネーミングセンスなんてそんなもんだ。しかし僕は昔、母さんが「早乙女太一くんはもとが可愛いから、女の恰好をしてきれいなのは当然。梅沢さんはごっついおじさんが美女になるからそっちのほうがすごい」と力説していたのを思い出した。懐かしいことである。
午前中の仕事を終えて、父さんはノイの街に向かった。ロラクは疲れ切った顔で、
「こんな仕事のなにがよくて働いているんだ、お前らは……やっぱりいかれた連中だ」
と、僕らに尋ねてきた。
「人が僕らの作ったものを食べて喜ぶ現場が見られるんです。楽しい以外になにがありますか」
「……理解できない。農業を生業とするなどやはり異端だ」
「あーっ! カレー粉みっけ!」
母さんが唐突に声を上げる。行ってみると、作業場の地下倉庫からカレー粉の缶が発掘されたところだった。やったぜ、これでルサルカじゃないものが食べられる。いや小麦粉がないからカレーはできないか。とにかくやったぜ。カレー味だ!
というわけで昼はカレー味のルサルカだった。ロラクは香辛料のきいた食事に驚いていた。理解不能の顔だ。僕らは、遠い異世界からやってきたのだ、とそう説明した。その異世界では、香辛料も酒も穀物も、みなだれでも食べることができる、というと、ロラクは、
「それが、この国でもできれば……いや。私はもう城に上がることはあるまいて」
とつぶやいた。やはりこの人も、国を憂うちゃんとした人なのだ。
「いつまでここで働くんです?」
「次の紫の月まで」
「ってえと七日後だね」
アレーアが速攻で答える。なんだ、ほんの一週間じゃないの。
「国のことを心配してるって、ちゃんとイルミエト公に言うべきです。そして、このハバトの地が、僕らの昔いた国のようにすると、そう決めるべきです」
「……私は、国を心配するやり方を間違えた、そういうことか?」
さすが元政治家だけあって頭がいい。僕は頷き、この国を豊かにするために農業をもっと盛んにしなければならない、そう説明した。ロラクはやっと笑顔になった。
昼を食べ終えてきょうの仕事を続行する。お客の流れを捌きイチゴ牛乳をつくり、せっせと働いた。働くのは気分がいい。どうやら僕は心の底まで百姓のようだ。
働くことは価値あること。それが人の口に入るのはうれしいこと。
きっとアレーアの父親だって、獲ったルサルカが人の口に入ると思えたからこそ海で働いたのだろうし、食べ物を作るのが楽しいから、いまこうしてアレーアとノクシはここで働いている。
ロラクには徹底的に汚れ仕事をしてもらう方向で決定した。ロラクは黙々と牛糞鶏糞を堆肥置き場に移動している。
お客が帰り、夕方の仕事を終えて、それからドラム缶風呂を沸かした。
風呂から上がってきたロラクは、
「ここはよいところだな」
と、小さくつぶやいた。それから、みな部屋に戻って寝た。ロラクには二階の、やっぱり物置になっている部屋を使ってもらうことになった。
仕事は容赦なく迫ってくる。その次の朝もみな寝坊せず起きて働いた。ロラクは眠そうな顔で、アレーアに根性がないと叱られている。いや根性論振りかざすのもどうかと思うよ、と僕が注意すると、アレーアは残念そうな顔をした。いやスポ根か。
ロラクも仕事のコツをつかんできたようで、手際よく片付けている。じいちゃんはずっととみおの相手をしている。とみおはさぶろうとよしみとも仲良くやっていけそうだ。性根の優しい馬のようで、元気よく跳ねまわるのを嬉しく見つめる。
あとはいつドラゴンがくるかだよな……。
ロラクに尋ねると、
「火竜の卵を探す計画が、私の更迭で頓挫したから、いつになるかは分からぬが、来るとしたらそう遠いことでもあるまい」
という答えだった。なんだか緊張する。
次の日も、その次の日も、いつも通り働いて、単調な日々が続いた。なんてときめきのない生活なんだ。そう思っている間にも、ロラクはなにか書状のようなものをしたため始めた。どうやらイルミエト公に提出する反省文らしい。……中学校か。
ロラクはこのハバトの地を心の底から心配している。だからイルミナ姫、つまりイルミエト公が首領になったのを傀儡にして、思うままの政治をしようとした。しかし、ロラクが思うよりずっと、イルミエト公は賢くて、ロラクのたくらみは阻止されてしまった。
首領を傀儡にしてまでやりたいこととはなんだったのだろう。尋ねてみると、
「いまとなってはよう分からん……」ということだった。
私腹を肥やしたかったのかもしれないし、もっと崇高な思いがあったのかもしれない。ひとつ確実に言えるのは、ロラクはこのハバトの地を愛していること……だけだった。
ある夜、みんなで作業場に集まって食事をしていると、ロラクは小さな声で、
「イルミエト公はお元気だろうか」
とつぶやいた。いや自分で政権の転覆を狙っておいてなにを言うのだ。ちょっとびっくりして顔を見ると、目線をツイっとそらして、
「なんだかんだ、妹のように育てたからな」
と、ロラクは言った。そうか、ロラクは妹のようなイルミエト公を、政治の矢面に立たせたくなくて、こうやって政権の転覆を考えたのか……。
それを察せる程度には元文芸部員の僕は、おいしくないルサルカをもぐもぐしながら、
「妹なら信頼してやるべきだよ」
と一言言った。ロラクは小さく頷き、そうだな、と答えた。
「それよりいつドラゴンが来てもいいように檻とか用意さねばねーってね?」
父さんがルサルカの骨をとりながらそう言う。確かにその通りだ。
次の日、いつも通り働いた後、みんなで檻を作った。材料はずっと存在を忘れていた倉庫の壁板や屋根のトタンである。倉庫は住居の裏にあり、もう何十年も開けもしないで忘れていた。中から麦子祖母ちゃんの漬けた大根の味噌漬けなんぞが出てきて、食べられるか味噌を洗い落としてみたら見事に黒い塊になっていた。もったいないと思ったけれど食べられそうもないので捨てたのであった。物置を完全に分解し、牛舎と厩舎の裏の空きスペースに、ドラゴンの檻を設置した。
寒い国だけれど、やはり肉体労働をすると汗をかく。出来上がったころにはすっかり夜で、みなでまたルサルカをつっついて、ドラム缶風呂に入り、その日が終了した。
その次の日、イルミエト公から書状が届けられた。どうやら北の山岳地帯で、岩食い竜の仔を捕まえることに成功したらしい、という内容だった。ワクワクした。岩なら農場の裏手が、それこそ特撮ヒーローの映像でも獲れそうな岩の断崖絶壁だし、きっと飼える。
ロラクはその書状を見て、
「なぜなんの生産性もない岩食い竜を飼うと決めたのだろう」
とつぶやいた。生産性。どっかの偉い人が言って炎上したやつだ。僕は、
「ここは観光農場なので、珍しい生き物を飼っていれば見に来る人が増えますよね」
と説明した。ロラクは首をこきりと傾けて、
「観光。人が来なければ意味がないということだな。なるほどただの農場でない」
と、そうつぶやいた。
父さんがノイで買ってきたノイスポを開いていて、脇から覗いてみると「たなか農場、ドラゴンを飼う!(か)」と、やっぱりスポーツ新聞テイストの文章がででーんと踊っていた。
「いやはやノイスポは仕事が早いな」
父さんは苦笑している。どこから情報が漏れたのだろうか。
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