異世界の最高権力者はたなか農場に遊びに行きたい

「うまいのう。これを毎日食えたらのう。そうは思わぬか、ローサ」

「陛下。贅沢をすると民が困るのですよ? とてもおいしいですけれども」

「わかっておる。たまに食べるからうまいのだ。普段のルサルカと比べられるから、こうしてうまいと思って食えるのだ。いやしかし美味だ……」

「ふふふ。ああ、もうそろそろ陽が沈んでしまいますわ」

「ローサ、腹いっぱい食べたか?」

「ええ。どれも美味でしたわ。いつか、もっと新鮮なものが食べたいですわ」

「稔よ。お前はどうだ」

「あっはっはい、すっすごくおおおおいしかったです! こんなにおいしいもの、久しぶりに食べましたでございます! たなか農場はいつでもお待ちしております!」


 完全に裏返った声でそう言うと、レオ帝陛下は愉快そうに大きく笑われた。イルミエト公は、アルコールが回り切ってすっかり眠そうな顔だ。


「この館の寝所を使うがよい。イルミナ、目を覚ませ。夕飯は終わりだ」

「ほえっ」

 イルミエト公は急に気付いて顔を上げた。完全に目が据わった酔っ払いの顔だ。夕暮れの光は、館のステンドグラスを透けて通り、モザイクタイルに明るい影を落としている。侍女たちが食べ終わった食器を片付け、レオ帝陛下とローサ皇后は部屋を出た。


 緊張の夕食が終わった。こんなにおいしいものでお腹いっぱいなんていつ以来だろう。幸せすぎてとろけそうだ。半分とろけた顔で、寝所に案内された。シンプルなベッドと机、椅子、そういうものしかない。だがどれもすばらしく上質で、奥に進むと風呂がついていた。しばらく風呂に浸かって温まってから寝た。毛布も布団も、とんでもなくフッカフカだ。


 こんなうまいものを食べてきた話は、たなか農場の面々には言うまい。言ったらうらやましがられて面倒だ。


 毛布をばふりとかぶって目を閉じた。

 翌朝、二日酔いの頭を押さえて起き上がると、水とコーヒーとルサルカが出てきた。ここでもルサルカかあ。そう思ったら見事に骨が抜かれ内臓もきれいに処理された超高級品のルサルカだった。初めてルサルカを食べた時の「うぇっ」が全部なくなっていて、ルサルカもやり方次第でこんなにおいしいのか、とびっくりしながら食べた。


 もともとがニシンである、料理のし様はいくらでもあろう。それこそパイにするとか……でもここは小麦が採れないのだ。


 水で口の中がきれいになったところでコーヒーをすする。ちょっと酸っぱめの、とてもおいしいコーヒーだった。おいしくてホカホカ顔になる。

 作業着を着て、どうすればいいやらと考える。そうだ、イルミエト公がレオ帝陛下にロラク卿のたくらみを説明するのだ。僕が廊下に出ようとすると、ちょうどイルミエト公も支度を終えて部屋を出たところだった。


「これから十字蘇芳宮に向かうぞ」

「じゅうじすおうきゅう」

「レオ帝陛下の居城だ。普段執務やお休みになられるときはそこを使われる」

 というわけでまた馬車で移動ということになった。


 十字蘇芳宮は華麗な赤い石で建てられた、戦争仕様の城だった。銃眼があり、複雑な構造の道は上から石とかお湯とかを落とせるようにできている。まるっきし日本の城だ。


 その一番奥に通されると、昨日のゆるやかな装束ではなくかっちりと着こんだレオ帝陛下が、ニコニコして待っていた。隣にはローサ皇后が、やはりきれいなアクセサリーをたくさんつけて、立派な衣装をまとって笑顔だ。


「よう来たのう、イルミエト公」

 あれ? きのうはイルミナと呼んでいたのに……公私の使い分け、ということなのだろうか。


「お目にかかれて幸いにございます」

「要件はなんだ。なんでも申してみよ」

「稔の住まうたなか農場で、ドラゴンを飼いとうございます」

「ドラゴン……か。なぜだ?」

「ドラゴンがいれば観光の目玉になり、資源の乏しいハバトの地に観光資源が生まれます。軍備のためではなく、岩を食べるドラゴンを、人が愛でるために飼いとうございます」

「うむ。認めよう。我が父もドラゴンが好きでな、よう腕を噛まれて悶絶しておった。なつかしいことだ――そのためにふたつ、条件を出してよいか?」

「なんなりと」

「定期的に、たなか農場の産物を届けてほしい。そして、あの灯油? で動くという最先端の船の仕組みを、イーソルの錬金術ギルドにも教えてほしい」

「了解いたしました」


 イルミエト公は平伏したままそう答えた。ロラク卿のたくらみについてはなにも言わないのだろうか。なにも言う気配がない。

「あの」

「どうした稔。お主もなにか言うことがあるのか?」

「はい。イルミエト公は、ロラク卿に憎まれております。おそらく、ロラク卿の思う通りの傀儡にならないからでしょう。どうか、イルミエト公の統治を、正式に認めてはいただけないでしょうか」

「こら稔、余計なことを」

「構わんぞ。一筆書けばよいのだな。ペンとパピルスを」


 レオ帝陛下は運ばれてきた羽ペンをパピルスに滑らせて、

「これでよいか?」

 と尋ねられた。みると、《ハバトの地の領主はイルミエト公であり、そのほかのものがイルミエト公を傀儡にしようなどと謀った場合、その者を農務に定める》と書かれていた。


「私の家臣もそちらのロラク卿と通じていたようで、もうその者は皇宮から追放した。ロラク卿も畑仕事をすれば改心しよう。農業は素晴らしいと稔が言ってくれたからな」


 そういうわけで、僕とイルミエト公はその日、ノイに戻った。

 夕暮れのノイを歩いていると、噴水の広場に父さんの馬車が来ていた。ちゃっかり乗り込み、


「ただいま、父さん。みんなは元気?」

 と声をかける。父さんはあからさまにびっくりした。

「お、おう、み、稔! ちゃんと帰ってきたのか! えらいぞ!」

「えらいぞもなにもただ出かけてただけさ。それから、近く馬を下賜されるらしいんだ。白馬だぜ。仔馬。レオ帝陛下じきじきにくださるらしい」

「そうか。レオ帝陛下というひとはどういうひとだった?」

「素晴らしい君主だった。この人なら世界の皇帝でもおかしくないって感じの人だった。ローサ皇后も、輝かんばかりの美女だった」

「そうか。……帰ろうか。アレーアがさみしがってるぞ?」


 そうだ、アレーアはどうしているか、あわただしくて考えもしなかった。元気かな。とにかく馬車はノイの街を抜け畑の広がる荒野を進み、山道をぱかぱかと進んだ。空には、青い月がひとつ、ぽかりと浮かんでいる。どうやら、赤い月と青い月が同時に出ている時を紫の月と呼び、片方しか出ていないときはその月の名前で呼ぶらしい。不思議なことだ。


 山道を登りきると、いつものたなか農場が、どっしりと構えていた。アレーアが飛び出してきて、唐突に抱き着いてきた。泣いている。なにかあったのか。背中を撫でながら、心配をかけたことを謝ると、アレーアは僕のすねを一発蹴飛ばして、


「どーせすんごいごちそう食べてきたんだっぺ。あたしらがルサルカをもそもそ食べてる間に」

「おお! アレーアの一人称が、『あだす』じゃなくて『あたし』になってる!」

「そこは感心するとこじゃないってば! なにを食べてきたのさ。顔がつやつやしてるよ」


 仕方なく何を食べたか説明すると、そもそも想像すらできないようで、結局説明するだけ無駄だった。でもおいしいものを食べてきたのは想像していたようで、うらやましそうな顔でみられた。

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