異世界の最高権力者は現代に近いものを食べている

 そんなことを考え始めたところで、

「そのイチゴとチーズをいただいてよろしいですか? 毒見係に回しますので」

 と、初老の男性に言われた。素直に渡す。

「ではご昼食を用意するよう言いますね」

 と言って、その人は出ていってしまった。


「あの方はどなたなんです?」

「レオ帝陛下の侍従長のソリクスさんだ。侍従長とは言え侍従だからな、決して身分は高くないが、陛下の信頼の厚い方だ」

「はあ……」

「よかったではないか。お前のような一般市民が、レオ帝陛下の食卓に並べるというのは、この上なくめでたく珍しいことだぞ」

「そう言われましても、そーゆーの慣れてないので、口から心臓が出そうです」


 イルミエト公はハハハと少年のように笑った。

「お前は身分の高い人と食事を共にしたことはないのか?」

「ないですよそんなん。……ああ、成人式の二次会で、東大に行ったクラスメイトと飲みました。それくらいです」

「とうだい? せいじんしき? それは尊いのか?」

「ぜんぜん尊くないです。東大っていうのは元いた世界の最高学府で、そこで学んでいた友達、ということです。成人式というのは……まあ、通過儀礼みたいなもんですかねえ」

「そうか。どういった儀式をするのだ?」

「儀式もなにも市長さんのお説教聞いて成人代表の子が成人の決意みたいなこと話して、あとはみんなで酒盛りするだけです。よその土地だとそれこそ晴れ着みたいの着るんですけど、僕んとこは夏なんで女の子は晴れ着じゃなくてドレスでしたね。キャバクラみたいな」

「きゃばくら?」

「女の子がお酌してくれる酒場ですよ。そこの女給さんみたいなドレスということです」

「えっ」

 イルミエト公はいきなり赤面した。もしかしたらこの世界の酒場の女給さんはトップレスだったりするんだろうか。まあそんなこたぁどうだっていいのだ。


「……稔は、その元いた世界に、帰りたいとは思わないのか?」

「そりゃあ思いますよ。食べ物だってルサルカを毎日食べるのにすっかり飽きてしまったし、続きを読みたい本もあるし、……でもどうやら、僕らたなか農場の人間は、元の世界では地震で死んでしまっているみたいで」

「死んでいる? ここにこうしているのにか?」


 そう言ってイルミエト公はぺたぺた僕の顔を触った。子供か。

「この世界に、死んだはずみで飛ばされてきたんです。もとの世界では、僕も、母も、父も、祖父も、みな火葬されて墓のなかです。農場だって、サイロは崩れ、牛舎は押しつぶされ――たなか農場は、もといた世界では滅びているんです」


「それは気の毒に……親類は悲しんでいるだろう」

「いえいえ。親類らしい親類なんてそんなにいないです。金の無心にくる伯父がいるくらいで、ほかの親類はみんな僕らのことなんか『あのドン百姓』と軽く馬鹿にして近寄りもしませんよ。それにだいたい僕らは親類が悲しんでるなんてわかんないですしね」

「潔いな」

「それくらいしか考えられないだけです」


 そうやって喋っていると、昼食が運ばれてきた。

「蒸し菓子でございます」

 なにやらいい匂いのするセイロが僕とイルミエト公それぞれ三つずつ。イルミエト公はうれしそうに、

「稔。これはな、東方の大王の食事だ。この竹でできた器に、可愛らしい肉詰めとか、海老の包み蒸しとか、そういうものが入っている。東方で採れる「コメ」というものを粉にして、皮にしてあるのだ」


 要するに点心の米粉バージョンらしい。どこにいっても麦が存在しないんだな、この世界は。

 セイロを開けると、シュウマイだの小籠包だの、中華っぽいごちそうがちょっとずつ入っていて、見ているだけでお腹が減った。この世界にもこんなおいしい食べ物があるのか。そう思って、


「いただきます」

 と手を合わせて口に運ぶ。う、うまぁっ。

「なんだ、いまの『いただきます』というのは」

 イルミエト公は不思議そうな顔をしている。


「食べ物って要するに命ですよね、肉にせよ野菜にせよ」

「う、うむ」

「それを人間のエゴでいただくのですから、肉にせよ野菜にせよ、食べ物に感謝する言葉が、『いただきます』です。僕の元いた世界では、だれでもこう言ってから食べました」


「尊いな。真似していいか。『いただきます』」

 イルミエト公はそう言い、シュウマイを口に運んで幸せな顔になった。


「いただきます、と言ったほうが美味な気がする。よいことを学んだ。ありがとう稔」

「それはうれしいです。いやあこんな豪華な食事は久しぶりだ。中学の修学旅行で横浜中華街に行って以来だな、点心なんて」

「点心?」

「元いた世界にもこういう料理があって、それは点心と呼ばれてました」

「へえ……世界というのは、似るのだな」


 世界は似る。不思議な言葉だ。

 なんと、点心のあとには、杏仁豆腐がついてきた。

 それもおいしくいただいて、なんとなく家族に後ろめたく思った。いまごろルサルカ食ってるんだろうなー。まずい顔して。


「米があるってことは日本酒があると思っていい、ということか……」

「どうした?」

「いえ何も。しかし、その夕食までここで待つのですか?」

「夕食は夕食用の館、螺旋瑠璃宮でとるから、そろそろここを馬車で出ることになろうな」


「ゆ、夕食用の館? もしかして食事ごとに館を移動するのですか?」

「そうだ。レオ帝陛下は世界最高の権力者であらせられるからな、昼食の館と夕食の館を持っておられる。朝食は居城の寝台でとられるそうだ」


 ひええ。最高権力ってとんでもないな。そう思っていると馬車が来た。それも、ノイで見るような実用一点張りの馬車ではなく、優美で装飾的な、とても豪華なやつ。


 それに乗り込むと御者が、

「螺旋瑠璃宮に向かいます」

 と一言いい、馬車は走り出した。馬は真っ白で、いかにも高貴な人の馬車を引く馬である。あまりにもきれいな馬でしばし見惚れた。うちのさぶろうやよしみとはえらい違いだ。


「馬まで素晴らしかろう。この白馬はイーソルで産されるものだ」

「へえ……美しい馬ですね」

 馬車は、イーソルの、ノイよりちょっと複雑な市街地を抜けて、田園地帯に出た。やっぱり囚人らしい人たちが働いている。


 郊外に、麗しい巻貝のようなものが見えた。

「あれが螺旋瑠璃宮だ。美しいだろう。私も招かれるのは久々でな……緊張してきた」

「レオ帝陛下というのはどのようなお方なのですか?」

「信じられぬほどの美男子だ。稔、お前なぞ足元にも及ばぬ。ともにおられるローサ皇后もすばらしい美人で、もはや張り合うとか以前に見惚れる。そしてお二人ともとても気さくだ」


 なんだ、ヒゲの難しいおじいさんとかではないのか。安心した。

 やがて馬車は螺旋瑠璃宮についた。降りると、きれいな噴水や水路があり、蓮が植えられ、薄桃色の花を咲かせている。タージマハルを真っ青にして派手にしたような、そういう建物だ。あ、なんか既視感があると思ったら、これ大学時代よく行ったインドカレー屋の壁に貼ってあったピンクのタージマハルの絵だ。それを青くした感じだ。


 タイルで華麗な模様を描いた道を、衛兵に付き添われて進む。作業着を着ているのだがいいのだろうか。肘にはトーマスのアップリケがしてあるのだがいいのだろうか。もっとこう、たとえばスーツとか着てたほうがいいんじゃなかろうか。たしかこの作業着、ワークマンで上下合わせて五千円しなかったような気がするぞ。


「あ、あの、この格好まずくないですか?」

「どうしてだ? 我々の技術ではできないほど精巧な服ではないか」

「い、いえ、これ……いわば野良着ですよ?」

「構わぬ。黙っておればよい」


 とかなんとか言いつつ、モザイクとステンドグラスで飾られた建物を進む。太陽はハバトの地より強く、ステンドグラスを透かしまばゆく輝いている。

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