異世界の領主はときどき無謀なことをする

 その場にいた家族は、全員顔を見合わせた。とにかく急いで、カッテージチーズとイチゴを用意し、僕はイルミエト公の馬に二人乗りの鞍をおいて、家を出た。

「レオ帝陛下……に、直談判……ですか」

「そうだ。お前の手紙をみて、ロラクのたくらみが見えた。信じておったのに、まさかかような裏切りを目論んでいたとは」

 イルミエト公は心底悔しそうな顔をし、馬を軽く蹴っ飛ばした。馬は勢いよく体をしならせ、山道を降りていく。


「イーソルって南にあるんでしたっけ」

「そうだ。ノイの港から船で半日渡ればイーソルにつく。……昔なら何日かかるか分からない船路であったが、お前たちたなか農場のもたらした灯油を燃料に走る船が発明された」


 なんだかんだ、僕らは役に立っていたらしい。

 山道を下り、ノイの街の城門をかっとばす。全速力でたどり着いた港には、兵士たちが船をもやい、僕とイルミエト公を待っていた。


「御屋形様。本当に行かれるのですか」

「これしか道はあるまい。私自らが行かねばならぬのだ」

「しかし……御屋形様はその、おなごであらせられますし」


 一瞬、ムカッとするリアクションだと思った。イルミエト公が男でも女でも、この状況ではそう手を打つほかないではないか。言い返したくて、でも僕は一介の百姓である。なにも言えず、ただこれが最後の曲げわっぱの弁当箱を握りしめるばかり――


 そのときイルミエト公は言った。

「おなごだからなんだというのだ。私はおなごだから愚かなわけでも、おなごだから蛮勇なわけでもない。男にだって、いくらでも愚かで蛮勇のものがおるだろう。おなごであるのを理由に、これをしてはいけないあれをしてはいけないと言われるのは、もうごめんだ」


 イルミエト公はずばりそういうと、かつかつとかかとの高い靴を鳴らして、船にひらりと飛び乗った。僕もそれに続いた。兵士が三名と操縦士が一名乗り、船はゆっくりとノイの港を出た。


「イルミエト公、このことはロラク卿には」

「ロラクならいまごろ仮宮の例祭の総括を終えて寝台の上であろうな。まさかこうして裏切られるとは思わなんだ……ロラクは、幼い私に、君主とはどのようなものかを教えてくれた。いわば恩人だ」

「恩人、ですか」


 イルミエト公は、窓にうつるノイの街を見つめて、拳をぎゅっと握り固めた。

「私の命を守ってくれたのがロラク。私に道を示したのがロラク。それなのになぜかようなことになる。わからぬ。わからぬ……」

 イルミエト公はそう言い、頬に一筋涙を滴らせた。


「きっと、イルミエト公が賢すぎたのです。ロラク卿が自分の思う通りにするには、イルミエト公は君主でありすぎたのです」

 イルミエト公は服の袖で涙をぬぐった。

「そうだろうか。私のまつりごとは、間違っていなかった、ということか?」

「おそらく。あまりに正しすぎて、ロラク卿はイルミエト公を操るすべを失ったのです」


 イルミエト公は、くふふ、と笑って、それから、少女のような――実際少女なのだが――イタズラっぽい笑みを浮かべた。

「私はロラクが転覆をはかるほどの名君か。暗君ゆえ転覆される首領は数多いが、名君ゆえに転覆を狙われるというのもまた愉快だ。……もう夜も遅い。吊り床を出して寝よう」


 吊り床。要するにハンモックだ。兵士たちがてきぱきと、僕とイルミエト公のぶん、ふたつの吊り床を出してくれた。

 ハンモックで寝るのは初めてだが、なかなか気持ちがいい。目を閉じて、眠りに落ちた。


 イーソルって、どんなところだろう。

 レオ帝陛下というのは、どういう方だろう。

 目が覚めると、船は知らない港についていた。


「ここが……イーソル」

 船室の窓から、見たことのないさまざまな異国の船が見える。それだけで、ここが国際都市であり、大都会であると分かる。

 船を降りると異国の装束をまとった初老の男性がいて、


「急なお越し、驚きましたぞ」

 と、イルミエト公に声をかけた。イルミエト公はうむ、と頷いて、

「レオ帝陛下にドラゴンを飼うお許しをもらおうと」

 と答えた。それならば使者や手紙でよいではないですか、と言われたイルミエト公は、


「いま私の配下のものが、レオ帝陛下に無断でドラゴンの卵を探している。それが明るみに出る前になんとかせねばならぬと思うて。ちょうどノイの錬金術ギルドの作った船を走らせてみたかったし」

 え、テスト運航だったの。ぞわっとする。


「なにぶん急なお越しゆえ陛下への取りつぎなどが済んでおりませんでな。御茶屋でコーヒーでも召し上がってお待ちください。従者の方もどうぞごゆるりと」

 そう言われ、いかにも貴人専用の建物に通された。きれいな陶器のカップにコーヒーが注がれて出てくる。え、この世界にコーヒーあるの。おどろきつつすする。うん、コーヒーだ。それもめちゃくちゃ高級なやつ。大昔にお歳暮でもらったドリップオンのコーヒーをさらに高級にしたような味。


「いつ飲んでもこれは美味だな。はるか南方の地でしか採れぬものだそうだ。レオ帝陛下の権力がなければ手に入れるだけでも難しい」


 元の世界ではたなか農場みたいな百姓の家でも飲めたのだがまあ黙っておく。それにひさびさのコーヒーはとてもおいしかった。

 しばらくその御茶屋なる建物で待つことになった。コーヒーは高級品だそうで一杯しか出なかった。でもとてもおいしくて、元の世界を思わずにはいられなかった。


「レオ帝陛下という方は、美食家なのですか」

「うむ。世界中の珍しい産物を集めては料理人に料理させて召し上がられる。おまえが丹精こめて作ったイチゴやチーズも、珍しいものだったゆえにお喜びになられた」


 こんなものが、と自分で笑おうとして思いとどまった。それはこの世界一の権力者を馬鹿にすることだ。この世界ではたなか農場で採れるものが、とても貴重なのだ。それを、世界中のおいしい食べ物を召し上がってこられた方が、おいしいと言ってくださったのだ。

 それは、すごいことだ。


 たとえば総理大臣が、いやアメリカ大統領が、たなか農場の食べ物を「おいしい」と言ってくれた、それ以上にすごいことなのだ。


 なんだか胸が熱くなった。

 しばらく、ぼーっと(コーヒーもう一杯飲みてぇなや)みたいなことを考えていると、どうやらレオ帝陛下に仕えているらしいさっきの初老の男性がやってきた。


「陛下はご夕食を共にしたいと申しておられます」

「ご、ご夕食……ですか」

「はい。そちらの方が、以前イルミエト様からおさめられた特産物を育てておられる方ですね」

「あ、はい、そうです」

「その方も一緒に夕食にあずからぬか、と陛下は言っておられます」

「えっ」


 声が裏返った。世界一の権力者と夕飯食べるってどういうことだよ。そんなの怖いぞ。


「稔。よいな?」

「えっちょっちょっちょっとままま待ってください、そんなすごい人とご飯食べるなんて無理です。僕は百姓ですよ!」


「……百姓?」

 初老の男性は初めて聞く言葉に首を傾げた。


「あ、ああ、その……農業を生業とするもののことを指す言葉でして、もともとは百の仕事をする、という意味で……つまりこの世界では囚人のやることをやっているわけでして」


「では、あのイチゴという果実や、あのチーズを作るには、百の仕事が必要なのですか」

 ……?


「いえそれは言葉のあやというやつで。実際は……自分でも数えたことがないのでわかりません」

「数え切れぬほどのお仕事をなされておいでなのですか! 素晴らしい! 陛下は働き者を好まれます。ぜひ夕食にあずかってください」


 こうなると断れないので、仕方がなく、

「わかりました……では、その、ご夕食にあずからせていただきます」


 と答えた。いやまて、僕という人種は基本的に「ええはいできねぇ」人間である。ええはいできねぇ、というのは、「ええ、」とか「はい」とか、きれいな言葉で敬語を使って話すことだ。僕はそういうのに無縁の環境で育ったし、高校受験だって面接はガイドブックに素直に従っただけだし、就職活動だって途中で投げ出してしまった人間だ。


 それが世界の最高権力者とご飯を食べる。

 まさかルサルカじゃあるまいな。あればっかしは最高権力者の夕飯に出てきても渋い顔をせざるを得ないぞ。

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