たなか農場には、それでも陽が昇る

 もう充電すらしていないスマホをちらりと見て、それを引き出しにしまう。

 こんなもの机の上に置いてあったってなんの意味もない。もう、友達とはなんの連絡もとれないのだ。まさかこんな理由で、あいつらと断絶するとは思いもよらなかった。


 いまごろあいつら、ニュースみて僕が死んだってLINEしてんだろうな。

 壁に貼ったアニメのポスターなんぞちらりと見て、急にむなしさがこみ上げてきた。僕は、どうすればいいんだろう。どうやって、あの世界に諦めをつければいいんだろう。


 ああ。せめて中学のころ密かにあこがれていたあの女子になにか言えばよかった。休み時間に、その子を含む女子たちは「農家の嫁とかないよねー」と言って笑っていて、ああ釣り合わないのだ、と諦めたのだった。

 涙がでてきた。

 ここにこうして当たり前みたいにいるのに、あっちの世界では僕や家族の亡骸が死体袋に収められ冷たいところに置かれている。下手したら顔とかが崩れているのかもわからない。


 涙が止まらなくなった。涙腺崩壊だ。初めてダブルラリアットを聞いたときみたいな顔になっている。

 そうやって、しばらく泣いた。泣いているうちに、牛の世話の時間になった。作業着の胸ポケットに母さんが刺繍した、「田中稔」の文字がある。

 もしかして、死んだときもこの作業着を着ていたのかな。


 作業着は肘やひざが薄くなり、本当にそろそろワークマンで新調したいのだが、この世界にワークマンはない。この世界の人は貫頭衣みたいなものか、お金持ちなら古代ローマみたいな一枚布の服を着ている。いずれ僕らもそういう服装になるのだろうか。


 牛の世話に向かう。きっとこの牛たちも死んでいるのだ。……三月十一日の震災のとき、人が急いで避難せざるを得なかった福島では、つながれっぱなしの牛たちが飢え死にして、皮と骨だけ残っているというショッキングな映像がテレビに映ったっけ。

 こいつらも死んだはずだが、ここでこうして仔牛をなして元気にやっているではないか。


 むやみに悲しんでもどうにもなるまい。

 かといって明るくなれるわけでもない。

「歌いましょうか」

 ノクシが唐突にそう言った。はあ? と思わず喧嘩腰のリアクションをしそうになるが、ノクシは見た目が怖いのでリアクションは不発に終わった。


「ギテトって、葬式の歌もあるんだっけ」

 僕がそういうと、ノクシは頷いて、

「でもさすがに葬式の歌は悲しい気もしますけどね」

 と答えた。すかさずアレーアが牛のUNKOを片付けつつ応じる。

「あだすのおっとうが言ってたよ。葬式のギテトは、死んだ人を祀るんでなくて、生きてる人を慰める歌だって」

「そもそもここって宗教らしい宗教がないんだっけか」

「百年くらい前はイーソルのゾゾル神をみんな信じてたらしいけどねえ。いまはみんな、いいことをすればそれが返ってきて、悪いことをすればばちが当たって、死んだらいい人は天国へ、悪い人は地獄へ、くらいの認識しかないねえ」


 しばらく、黙って全員作業する。

「じゃあ歌おうか。あのギテトってやつ、だれでも節を覚えられるもんな」

 父さんがそう言いだし、牛舎にアレーアとノクシの歌声が響いた。


「星のかなたに 消えた命は いつかまた 戻りくる」

「だからあなたも 涙を拭いて 明日は来る 必ず来る」

 歌詞はそれだけ。僕たちたなか農場のメンバーもそれを覚えて歌いだす。農作業労働には歌がつきものだが、こういう歌を歌いながら働くのは初めてだ。


 葬式のギテトは、思ったよりずいぶんと明るくて、なんとなく心を励まされた。よし。牛の世話終わりっ。夕飯にして風呂入って寝るっ!

 夕飯はやっぱりルサルカで、アレーアの家出のせいで売れなかったゆで玉子がついてきた。

 まるで競歩大会終わりのレモンのように、ゆで玉子がおいしかった。


「ゆで玉子うめぇなあ」

 祖父ちゃんがテレビに出られなくなってしまった元野球選手みたいなことを言う。

「うん、やっぱ固ゆでがおいしいわね」

「ゆで玉子うまいなー」

 たなか農場の面々は、心が疲れているのか、ゆで玉子を大喜びで食べた。


「茂さん、これ、ノイで売って買う人いるのけ?」

「いるよ。一個銀貨四枚。みんな行列して買っていく」

「へえ……贅沢だねえ。ノイの人はみんなお金持ちだあ」

「いつまでも、めそめそしてらんないな。明日も営業だし」

「そうだな、明日こそお客にわんさか来てもらうぞ」


 父さんは力強くそう言った。一同から拍手が巻き起こる。夕飯終了のあと、母さんはカッテージチーズを作り始めた。もうそろそろ酢が尽きるというので、母さんはメモ帳にこちらの言葉のローマ字で「酢」と書いて、父さんに渡した。


「明日お酢買ってきて。カッテージチーズが作れなくなっちゃう」

「よしきた。……なら稔、お前もこい。父さん一人じゃ物販とお客の受け付けで手いっぱいだ」

「そうする。きょうの一件でノイの地理ならちょっと覚えたし」

「ははは。怪我の功名ってやつだな」


 そういう他愛もない話をして、部屋に戻る。夜はとても冷えるのに昼はわりと暖かいので、部屋の中は冷え切っているわけではないが、それでもやっぱり寒い。寝間着に着替えてどてらを装備し、布団に潜り込む。


 変な夢を見た。たなか農場が、ネズミーランドみたいな巨大なテーマパークになる夢だ。わんさかお客がきて、開園前には行列ができる、という夢。

 変な夢。頭を押さえて立ち上がる。外は明るくなりつつある。


 着替えて仕事をして、朝ごはんを食べてから、馬車でたなか農場を発った。ノイの町は相変わらず大きい。跳ね橋を通って街に入るなり、わっとたくさんの人が押し寄せた。

 昨日の娼館の女の子たちや、ほかにもいろいろな人がむらがって、ゆで玉子や牛乳、カッテージチーズを買っていく。すさまじい熱気は、まるでデパートのバーゲンセールのごとしだ。


 そっと馬車を降りて酢を買いに行く。このハバトの地では、酢をつくるのに必要なブドウが採れないため、酢はすべて輸入品である。結構な値段だが、カッテージチーズの売り上げを思えば大したコストではない。


 馬車に戻ると、もう売り物ははけていて、あとは農場に行くお客さんを乗せるだけになっていた。やっぱりちょっとお金持ち風の家族連れが何組か乗り込み、父さんは馬車を走らせた。


 小さな子供さんははしゃぎ、お父さんらしい人は家族サービスができてどや顔で、お母さんらしい人はちょっと不安げな顔をしている。

 農場につき、お客さんたちに降りてもらう。母さんから祖父ちゃんからアレーアからノクシから、みんな笑顔で出迎える。みんなで手分けして農場を案内し、イチゴを食べてもらったり、イチゴ牛乳を出したりする。


 みな興奮して、楽しいを超越して「すげえ」の顔だ。

 ニワトリレースを開催すると、みな夢中でニワトリを応援し、一位のニワトリを当てた方には昔作ったノベルティの木製キーホルダーをプレゼントする。

 めちゃくちゃにぎわってないか、まるで夢で見たネズミーランド規模の農場のように。

 農場の面積には限りがあるので、できることには限度があるけれども。


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