たなか農場から廃牛の話で従業員が逐電する

「ノクシ、顔が真っ青だよ」

「初めて見たんです、牛のお産……むちゃくちゃ心臓に悪いですね……」

 ロイヤルミルクティーをずずっとすすり、ノクシは深い深いため息をついた。


「これぐらいで怖がられちゃ困るわよ。うちは牛飼い農家なんだから」

 みんな疲れた顔でそんな話をするが、一番疲れているのは母牛だ。僕らが疲れている場合ではない。


「何回も見てたら慣れますか?」

「慣れるわ。私だって牛なんて嫁に来て初めて世話したんだもの。最初はそりゃびっくりしたわよ」

「それよりノクシさん、仔牛がめんこいんだよ」アレーアが最初のビビりはどこへやら、笑顔でノクシに話しかける。


「仔牛。わーっと盛り上がってたってことは牝牛ですか」

「そうだよお。白黒のぶちでねえ、『ほるすたいん』つうんだって。乳牛……ってことは、ここの牛は乳を出させるためだけに飼ってるのけ?」

「そういうことだね。まあ歳を取って乳の出が悪くなったら屠殺場行きだけど」

「えっ。屠殺場、って、要するに肉屋け?」


 アレーアがびっくりした顔をした。

「そうだね。まあホルスタインの廃牛は乳臭くておいしくないらしいけど……」

「え、あ、あんなに、ブラシかけたり話しかけたりして、あんなに大事に世話してるのに、肉にしちまうのけ」

「そうだよ。だって乳が出なかったら乳牛の意味がないわけだし」


 アレーアは、青ざめていた。唇をぎゅっとかみしめて、

「そりゃあ、そうだよね! 確かにその通りだね!」

 と、無理に笑顔を作った。

 明らかに無理に笑っているアレーアは、紅茶をぐいーっと飲み干すと、

「さ、あだすは寝るよ! 明日も朝早いかんね!」

 と言って、家に戻っていった。


「……どうしたのかしら」

「さあ――肉にするっていうのがショックだったのかな。この世界の人は牛をかわいがるって感覚がないから、牛をかわいがって育ててるのに結局肉になるっていうのを、矛盾だととってしまったのかも」

 僕はそう言い、マグカップを作業場の流しにどんと置いた。


「僕も寝るよ」

「おやすみなせえ若」

「ノクシ、それやくざ屋さんみたいだからやめて」


 そういうやり取りののち、部屋に戻る。完全なるへとへとである。着替えて布団に潜り込む。しばらく天井を見て、そのうちぷつりと眠ってしまった。

 それから数時間も眠らないうちに朝になってしまった。


「はい起きた起きた!」

 母さんがフライパンをすりこぎでがんがん鳴らしている。なにか非常時のときだけやるやつだ。布団からむくりと起きて、手早く作業着に着替える。


「どうしたの。牛になんかあった?」

「牛は元気よ。後産も出た。で、アレーアちゃんがいなくなった」

「アレーアがいなくなった?」


 きっと廃牛の話がショックすぎたのだ。うかつにしゃべりすぎたことを後悔した。

 農場にでてみると馬のよしみがいなくなっていた。アレーアが乗っていったのだろうか。これじゃ、きょうの営業は無理だ。毎朝馬車が出る約束だったのに、これではお客に申し訳ない。明日は半額にしようと父さんが言い、一同頷く。


 牛の世話を終えて、仔牛にも乳を飲ませ、朝食と相成った。コロもルサルカを食べている。

 そうやっていると、遠くから蹄の音が聞こえた。よしみが帰ってきたのだ。ちゃんと農場に戻ってくるとは賢い馬だ。背中には鞍がある。やっぱりアレーアはよしみに乗って逐電したのだ。


「よっぽど朝早くに出たわね」

 母さんが難しい顔をする。馬で行くとなればノイ一択だ。

「で、どうする」

「どうするってアレーアちゃんはうちの従業員よ。いわば家族よ。ゆくゆくは稔の嫁よ。探さないわけがないでしょう」


 父さんはしばらく考えて、それから、

「大昔コロが穴を掘って脱走したことがあったな」

 と、なんの話か分からない話を始めた。

「……それで?」

「あのとき、拾ってきた責任をとって稔が探したな? たしか隣の近藤さんのペンションにいたんだったか」

「あ、ああ、そんなこともあったあった」

「拾ってきた責任をとって、稔が探してこい。我々にはやることがまだいっぱいある。牛だって面倒見てやらなきゃなんないし」


 アレーアは、犬か。いや確かに拾ってきたのは僕だし、廃牛の話をしたのも僕だ。アレーアを探すのは僕が責任を取らねばならないことだ。


 さぶろうに乗って農場を出た。もうすっかり乗馬にも慣れ、尻の皮がむけることもなくなった。さぶろうと山道を下り、囚人が管理している農地を横切り、ノイの街に向かう。


 城門が開いていたので、城門の番をしていた兵士にこれこれこういう人は通らなかったか、何時から開いているのか、と尋ねた。それで帰ってきた返事は、

「城門は気分で開ける。たしか今朝は五時半にいっぺん開けて、それから居眠りして、早く開けすぎたからいったん閉めてまた開けた。時間は覚えていないし、居眠りしていたからそんな人物が入ってきたのか見ていない」

 という、またしても「インドかよッ」と叫びたくなる返事だった。


 ノイの街にはいり、さぶろうから降りて手綱を引いて歩く。噴水の広場に交番っぽいものがあるので、そこに声をかけてみるとやっぱり交番だった。


「あの。人を探してます」

「人。どんな人?」

「えっと、十七の女の子で、髪は灰色で短くて、わりとこう、むちっとした感じで。脇腹に星の入れ墨をしていて、訛りがひどくて、名前はアレーアです」

「了解しました。探してみますねー」

 お巡りさんはえらく軽い口調でそう言った。これもきっと「インドかよッ」となりそうなので、尋ねてみる。


「そういう家出人の女の子って、たとえばどういうところに行くんです?」

「うーん。西の飲み屋街の違法娼館か、東の公娼通り……かなあ」


 やっぱり家出人の女の子はそういうところで働くほかないのか。急がないとアレーアがうちの従業員でなくなってしまう。まずはこの間アレーアを拾った、東の公娼通りを探すことにした。


 例によって、ギラギラの看板が並んでいるものの、客引きの時間ではないので女たちはいない。おそらく客と布団の中だろう。二階の窓から顔を出して、煙草みたいなものを吸っている女の人に、

「すみません、」

 と声をかけた。女の人は眠い目をこすりこすり、

「なぁに? 寝るんなら夜にしてよ」

 と、そういう返事をした。


「あの。うちの使用人が家を飛び出しちゃって。こうこう、こんな女の子見ませんでした?」

「さあね。それにしてもお兄さん、その馬ずいぶん大人しいわね。もしかして、観光農場のひと?」

「え、ええ、そうですけど……」

「うちの社長がさ、そのうち慰安旅行ってことで店の女の子全員連れてくって言ってた。よろしくね」

「はい。いつでもいらしてください」


 ありがたいことだ。だがそういう話をしている場合ではない。

 東の公娼通りをぐるーっと歩いたけれど、そういうお店はもうほとんど営業の時間が終わっている。この世界でも人を雇うとき面接とかするんだろうか。店の前に、どうやら経営者らしいおばあさんが立って、やっぱり煙草みたいなのをモクモクとキセルで吸っていた。


「お兄さん。ちょいと来る時間が早すぎやしないかい」

「いえ、人探しをしてるんです。うちの使用人が出ていってしまって、若い女の子なのでこういうところへ職を探しに来てるんじゃないかと思って」

「まかせな、公娼通りの大ババア・アレーアっつったらあたしだよ。どんな子だい」

「え、おばあ……お姉さんもアレーアさんなんですか。探してる子もアレーアといいます」


 アレーアの特徴を伝えると、大ババアさんは煙をふーっと吐き出して、

「そういう変な子は公娼通りじゃ取らないよ。公娼は言葉がきれいで髪が長くなくちゃ。それに、アレーアなんて名前の娼婦なんていないよ。雇ったらすぐ源氏名をつけるだろうね」

「源氏名……ですか」

「そうだよ。あたしもアレーアだけど、客とってたころはミエラって名乗ってた。もう何十年も昔の話さ」


 大ババアさんはそう言って笑った。歯がところどころ金歯だ。この世界にも歯科医療はあるのか。

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