たなか農場に久しぶりに客が来る
「すごいねえ。イチゴ、大活躍だねえ」
アレーアがしみじみそうつぶやく。
「そりゃそうだ、元の世界でだって店で買うってなるとすごい値段だったからね」
「え、そんな貴重なもんなの、イチゴって」
「うちのイチゴは素人栽培だから。プロの育てたイチゴは尋常でなく甘くて尋常でなく高い」
アレーアはまるで王様の食事でも盗み食いしたみたいな顔をしている。
「べつに引け目に感じることはないさ。どうせ素人栽培のイチゴだしな。一応気を付けて育ててるからそれなりの味ではあるけれど、イチゴのプロには負ける、って話だよ」
アレーアは安心した顔で、牛の世話に向かった。もう夕方の乳搾りの時間だ。
こうやって働いていると、農業大学の緩すぎるキャンパスライフを思い出して仕方がない。寮の廊下でバーベキューをやったり、セミの死骸チャレンジをやったり、カメムシの安全な捕まえ方について議論したり、そういうしょうもないことを楽しくやった。
まああの時代に戻りたいかといえばそうではない。要するに就職活動に失敗して、というか諦めて帰ってきて家の仕事をしているのだし。
就職活動は過酷だった。結構な数の同期が精神科のお世話になっていたはずだ。
隣の部屋のやつがオーバードーズ、要するに精神安定剤の一気飲みをして吐いていたとき、(あぁ、僕には帰る家があってよかった……)と、就職活動は諦めていいのだとポジティブにネガティブなことを考えた。それくらい就職活動はしんどかったし、だから自分が壊れる前に諦めた。
あれはよくない。心が壊れる。だいたいみんな農家のせがれなのだから、無理に食肉加工会社だの食品メーカーだのの大手を志さんでも、実家を継げば農業離れの進む日本である、親が離農するとか言いださないかぎり安泰なのだ。
まあ、農作業は就活とどっこいどっこいでしんどいけどな。
食品メーカーとかに勤めて東京にいたら、こんなわけのわからん異世界転生に巻き込まれることもなかったはずなのだが、もし僕抜きでこのひとたちが異世界転生していたらと思うと恐ろしい。
たなか農場の、このハバトの地における目玉事業であるイチゴ栽培を始めたのは僕だ。イチゴがなかったらこの世界の人に信頼されず、じり貧になって滅びていたのではあるまいか。
やっぱりじいちゃんの「食えないものでは人は来ない」理論は正しかった。モルモットふれあいコーナーじゃなくてイチゴにして本当によかった。
そんなことを考えつつ、牛の世話をする。近く初産の牛も穏やかに過ごしている。異世界転生したくせに牛たちはさほど不安がらない。
牛の世話を終えて、母さんが夕飯を作り始めた。きょうもやっぱり、ルサルカだ。
炭水化物でなくたんぱく質が主食なら痩せたっておかしくないのだが、母さんは相変わらず中年太りしている。炭水化物抜きで痩せるなんて嘘八百なのだ。
なにかしら炭水化物を食べたい、という理由で、ノイの街でパン屋を探したこともある。だが、この世界ではそもそも小麦がない。頼むから伝来しろよ。食生活が原始人みたいだ。
そうぼやくと、アレーアが、
「原始人て何け?」
と尋ねてきた。これこれこういうの、と説明すると、アレーアはよくわからない顔をして、
「獣の皮なんか着たら暖かいだろうねえ」
とトンチンカンなことを言いだした。
とにかく、漁師さんに感謝するという方法で魚臭さを中和しつつ、僕はルサルカを口に運んだ。活〆の技術とか教えたらもうちょっとマシな味になるんだろうか。でも魚は守備範囲外だ。活〆だってテレビのグルメ番組で観た程度の知識しかない。
夕飯を食べるすぐ横で、コロがルサルカの頭をバリバリ齧っている。こいつ、長生きするなあ。いくつまで生きるんだろ。コロがいれば魔物対策をしなくて済むので、ありがたいのだが。
夕飯のあと、母さんが食器を洗い、アレーアがそれを拭いた。さすがになんの楽しみもなくて退屈しているらしく、母さんが歌を教えている。ゴンドラの唄だ。
えらく少女趣味な歌を教えてるなあ。
まあ母さんはハーレクイン小説と朝ドラが大好きな人である。元の世界の実家には山のような少女漫画のコレクションがあるはずだし、仕方がない。
ふと思って、
「どうせ歌うならみんなで歌わない?」
と、僕はそう言った。母さんとアレーアは嬉しそうな顔だ。というわけで、中二病をこじらせていたころに買ったギターを出してきて、作業場のだるまストーブを囲み、みんなで歌を歌おうということになった。ノクシは興味津々でギターを見ていて、いまにも分解しそうなので安全を確保した。いくらリサイクルショップで五千円だったとはいえ僕の中学生時代を支えてくれたアイテムである、分解されるのはいやだ。
「えーと。何を歌おう。こういうときクリスチャンなら讃美歌とか歌うんだろうけどな」
小学校の同級生にクリスチャンホームのやつがいた。日曜学校に誘われたけれど、日曜の午前中は寝ているかアニメをみているかなので断ったのであった。そいつは、なにか歌えと言われたら速攻で「るーかーよんのはちーあなたのかみであるーしゅーをーおーがみーしゅにだーけーつーかーえーなさーい」と、讃美歌というか聖書の一節を歌うのであった。
そんなことを思い出した。あいつ、生きてるのかな。中学は隣町の中高一貫に行ったはずだけど、やっぱし今は東京で働いてるのかな。
「ここはひとつ秋田長持歌でねが」
祖父ちゃんよ、ここに嫁に行くひとはいない。だいたいギターで民謡の伴奏ってできるのだろうか。とにかくギターの伴奏なしで、祖父ちゃんは朗々と、秋田長持歌を歌いあげた。
「これ、結婚式で歌う歌け?」
「そう。ここに結婚するひとなんていないのにな」
「……」
アレーアはぷいとそっぽを向いた。なんだこいつ。
「アレーアさん、我々が教わりっぱなしなのは申し訳ないので、我々からも教えましょう」
ノクシがそう言い、アレーアは、
「そんならさ、ギテト歌おうよギテト。あれなら簡単だし、だれでも覚えられるよ」
と、嬉しそうな顔をした。
「ギテトですか。いいですね」
ノクシは変なリズムの手拍子を打ちはじめた。アレーアがそれに合わせて、やっぱり変なメロディで歌い始めた。どうやらこれがこの世界の民謡らしい。
「ルサルカは 港を埋めて 空じゃカモメが飛び交って」
よさこいみたいなものなのだろうか。そのギテトという曲は、ハバトの地の漁民の暮らしを、そのまま歌にしたような歌だった。
変なリズムとか変なメロディとか言ったけれど、いたって陽気でいい曲だ。
だいたい自分のもつものと異なる文化を「変」と一蹴するのは、いささか視野狭窄ではあるまいか。すべての文化には由来があり、それは長い時間をかけ土地に適応して育ってきたものだ。このルサルカ漁師の唄が元であるらしいギテトも、このハバトの地に適応した音楽なのだ。
気が付いたらみんなでギテトを歌っていた。アレーアがいうには、ギテトには「普段用」「祝い事用」「不幸事用」の三種類の歌詞があるという。いま歌っているのは「普段用」なのだそうだ。
「あだすのおっとう、ギテト歌わすと上手かったんだよお。近所で祝い事があると呼ばれて行って歌ったくらい」
「盃のときは普通のギテトとは違う歌詞で歌うんですよ。『兄いの背中のドラゴンに おいらの盃高くあげ』って具合で」
この世界でもやくざ屋さんは盃をもって契約するのか。怖い。僕の知っているギテトの種類に「やくざ屋さんの盃用」が増えた。
結局ギターは数回ぽろろんと鳴らしただけで、ろくに弾かなかった。
でもみんなで、この世界の民謡を歌ったのは楽しかったし、明日から頑張る活力になりそうだった。でもさすがに寒いのでさっさと寝た。
その次の日も、いつも通りの農家の一日が始まった。
搾り終えた牛乳や、茹で上がった玉子をもって、父さんはノイの街に向かった。きのうの夕方にはノイ曙光新聞に公告が出ているはずだし、もしかしたらノイスポもたなか農場のことを報じているかもわからない。
――帰ってきた父さんの馬車には、お客さんが、乗っていた!
家族と従業員総出で、久方ぶりのお客さんであるお金持ち風の四人家族に応じる。母さんが入場料を受け取り、僕が園内を案内する。お客さんは興味津々で牛やニワトリを見て、イチゴハウスに通すと、やっぱり身の丈に合わないと思ったのか匂いだけ嗅いで出ていこうとする。
「どうぞ召し上がってください。あまり食べすぎるとお腹を壊すので気を付けて」
おそるおそる、おっかなびっくりその人たちはイチゴを食べて、
「な、なにこれ、すごくおいしい」
「う、うまいなこれ」
「おいしー!」
「おいちい~」
と盛り上がっている。二つか三つくらいの、小さなお子さんの喜び方が可愛い。
「なにを見ていらしたんですか?」
「最初はノイスポで、一面トップにここのことが書いてあって、でもノイスポなんで斜め読みしたんですけど、ノイ曙光新聞にも広告があって」
ご家族のお父さんらしい人はそう言って笑顔になった。
「ここのことをぜひお仕事の関係の方やお友達にも勧めていただけませんか」
「当たり前ですよ勧めます。こんな楽しいところははじめてだ」
ふと見ると、子供たちは祖父ちゃん監督のもと滑り台で遊んでいた。まるで、僕が子供のころにゲームボーイを買ってもらったときみたいなはしゃぎ方だ。
やっぱり、たなか農場は、観光農場だ。
観光農場は、お客がいなければ成り立たない。
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