異世界の新聞は基本的に半日遅れである

「どういうことだよ」

 新聞のどこにもたなか農場の広告はなく、なんというか……騙されたのかと思ってしまった。難しい顔をして新聞を見ていると、それにノクシが気付いて、僕は事情を説明した。


「ははぁん。それ、もしかしたら昨日の夕刊でないですか」

「きのうの夕刊……? 紫の月八月二十六日夕刊。あ、ほんとだ……インドかよッ!」


 僕はそう怒鳴った。昨日の日付がこの世界の暦で八月二十六日なのを知った。でも八月だけれど夏ではないらしい。


 新聞の日付が半日ずれていることに驚きつつ、ノクシにこういうことはよくあるのかと聞くと、やれやれと言った顔でノクシは答えた。

「ノイ曙光新聞はとにかく記事の量が多いんで、こういうこともままあります。というか、ノイの新聞は夕刊があればどれも半日遅れると思ってもらって間違いないです」

 なんだそれっ。インドかよッ。がっくり落ち込む。


 でもとりあえず新聞を読んで世の中のことを知ろうと、新聞を開いてみる。トップ記事は、

「燃える水 レオ帝陛下受け取らず」

 だった。


 記事を読んでみると、ハバトの地のはずれで産出される「燃える水」というものを、樽に詰めて、海の向こうの偉大な皇帝、レオ帝に献上したが、『そんな使い道のわからないものはいらない』と送り返されてしまったらしい。

 燃える水というと、石油ではなかろうか。石油が採れるということは、灯油も作れるのではあるまいか。しかしここは、科学を「錬金術」と呼ぶ世界だ。高望みのしすぎだろうか。

 父さんも同じ感想らしい。石油から灯油が作れればイチゴハウスを続けることができる。


 しかし、「錬金術」で、石油を精製できるのだろうか。

 そんな話をしているとふいにコロが吠えた。また魔物だろうか。――違う。ずっと向こうから、輿がふたつやってくる。馬車でなく輿だ、乗っているのは相当に高い身分のひと。


 農場の前で輿が降ろされ、降りてきたのはイルミエト公と、その家臣のロラク卿だった。

 僕は基本的に人の顔と名前を一致させるのがとんでもなく苦手なのだが、イルミエト公は真っ赤なつんつん頭だし、ロラク卿はひどくひょろっとした背の高い男、というインパクトのある見た目なので、二人とも覚えてしまったのである。


「稔はおるか」

 イルミエト公はそう言葉を発した。

「ここにおります」

「うむ。レオ帝への献上物の件で、話がある」

 イルミエト公の声は、まるで少年キャラを演じる女性声優のそれのようだ。

「なんでございましょう」

「イチゴとカッテージチーズを献上したいと思うておるのだが、作れるか?」

「はい。量にもよりますが、おそらくご期待に添えるかと思います」

「うむ。ではイチゴを二十粒ほど、カッテージチーズを二十リブラほど、用意してもらえるか」


 リブラ。聞いたことのない単位である。とりあえず母さんにイチゴをお願いして、リブラとはなんぞや、ということをアレーアとノクシに訊く。


「リブラは重さの単位だよぉ。えーっと、たしか金貨一枚が五リブラ」

「じゃあ金貨四枚分ってことか。そんなにケチらないでも、もっとたくさん持ってってかまわないのに。どうせ毒見係を通すんだろうし」

 というわけで、


「二十リブラなどとおっしゃらず、もっとたくさん持って行ってくださいませ」

 と、タッパーウェアでは違和感があるので、古い金属の弁当箱にみっちりカッテージチーズを詰めて渡した。イルミエト公はポカーンとした顔で僕らを見て、

「こんなにたくさん、いいのか?」

 と尋ねてきた。

「もちろんです。レオ帝陛下が召し上がるときは、やはりお毒見係を通すのでしょうし、多いほうがよろしいかと」

「か、かたじけない……」

「はーい。イチゴです」

 母さんも、曲げわっぱの弁当箱にイチゴを入れて持ってきた。イルミエト公はそれを見て、

「うまそうだのう」

 と、そうつぶやいた。

 イルミエト公はそれらを従者に渡して、


「褒美をとらせよう。なにがよい。なんでも好きなものを言え」

 と、僕らに命令口調で言った。

「御屋形様。まだレオ帝陛下のお口に合うかもわからぬうちから、かように怪しい連中に褒美など取らせてよいのですか」


 ロラク卿が困った顔でイルミエト公をそう諭した。イルミエト公は口をとがらせて、

「かように美味なものがお口に合わぬわけがないではないか。なにか褒美をとらせるのが当然というものだ。何が欲しいのだ?」

 と、そう言った。

「可愛い女奴れモガッ」


「イルミエトさま。わだすたちは『灯油』が欲しいです」

 僕のスケベ心ダダ洩れのセリフを強制終了させ、アレーアがそう言った。


「灯油……? なんだ、それは」

「あだすはよくわかんないんですけど、えっと……燃える水から錬金術で作れるやつで、このイチゴハウスを維持するのに必要なんだそうです。ですよね稔さん」

「あ、ああ、そう、そうだ。灯油。元の世界でよく使われていた燃料です。燃える水、つまり石油を加熱して、成分を分離させることができれば……たしか樽でもできるはず。そうだ、産業革命のころはワイン樽だったかビール樽だったかで作ったんだ。それが欲しいんです」

「私は錬金術のことにはいささか疎いのであるが、そのようなものを作ればよいのか? どのようなものか、見本をもらって構わぬか」

「御屋形様。そのようなわけのわからぬものを頼まれて上手くいくわけがないでしょう」

「やってみねばわからぬではないか!」

 うわあ。おんな城主なんとかだ。


 というわけで、ジャムの空き瓶に灯油を入れて、フタに「灯油」と書いてイルミエト公に渡した。

イルミエト公はいたずらっぽく笑うと、

「それではな。うまくでき次第届けよう」

 そう言い、イルミエト公はイチゴとカッテージチーズとともに帰っていった。


 みんなで安堵のため息をつく。

 その数分後、一台の馬車が入ってきた。馬車の車体には、「ノイトトカルチョ新聞取材班」の文字。なんだなんだ。その馬車から、NHKのコント番組のキャラクターのような中年男が降りてきて、


「たなか農場って、ここですかぁー?」

 と、そう尋ねてきた。

「え、ええ、そうですけど」

 母さんがあからさまに警戒しながらそう答えた。男はにまあとひげ面を笑顔にして、


「さっきイルミエト公がお出ましになったようだけど、あれってロラク卿と道ならぬ恋の逢引きだったってホントですかぁー?」

「違うと思いますよ、レオ帝陛下への献上物の相談でした」

 下世話全開ゲス全開の男にそう答え、母さんは僕を引きずり出した。


「これが広報担当です。詳しいことはこれに訊いてください」

「えっ、ちょ、母さん、逃げないで!」

「はーいじゃあ広報さん。ここってなんなの?」

 仕方なく、僕が応じる。

「見ればわかるとおり観光農場です」

「観光農場。農業が見世物になってるの?」

「違いますよ。ここの人はみんなそう言いますけど、農業の楽しさを知ってもらう場所です」

「農業って楽しいもんなの?」

「楽しいですよ。なんなら何か食べてみます? そうだ。イチゴ。イチゴ食べませんか」

「い、イチゴってなんですかぁ?」

「果物です。ここの入場料、大人金貨三枚子供金貨二枚を支払えば、食べられます」


 ノイスポの記者は、果物という言葉にびっくりしているようだった。イチゴハウスに案内すると、すううーっと匂いを吸い込んで、

「匂いだけでもごちそうさまです……」

 とか言って逃げ出そうとするので、イチゴをひとつもいでその手にのせてやった。


 ノイスポの記者が、恐る恐るイチゴに歯をたてる。

「な、なんだこれ……めっちゃんこおいひい……」

 この世界の人間は、イチゴに極端に弱い。


 イチゴ一粒で満足して、ノイスポの記者はハウスを出た。それから、牛乳やカッテージチーズ、ゆで玉子も食べさせた。ルサルカでないものでお腹いっぱいになるということのないこの土地の人間に、ルサルカでないものを食べさせるのはとても効果的な攻略のやり方だと、ノイスポの記者を見て思った。


 そうか、日本の農業技術って、チートスキルだったのか。

 ノイスポの記者はるんるんの足取りで、かならずこのたなか農場のことを記事にすると約束して帰っていった。またしても安堵のため息をつく。

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