異世界にも渡世人はいる

 ノイの街とたなか農場のあるハバトの地は、寒冷で乾燥した土地である。

 海が近い割には湿り気は少なく、からっとしている。東京みたいだ。ただし、東京はこんなに寒くない。


 放牧場を牛たちがのんびりとうろうろして、例のデデラ草の葉っぱをもぐもぐと食べている。アレーアは牛がこんなふうに懐くなんて想像していなかった、と言った。

「だってさ、牛ってっと、こう……角がすごくて、鼻息がふん! ふん! ってなってて、暴れまわるもんだっぺ?」

「角は仔牛のうちに切っちまうんだ。それに人間が丹念に世話をすれば、そりゃ懐くよ。どんな動物だって懐くよ。鯉だって飼い主が池のそばに来たら口ぱくぱくーってやって餌をねだる」

「へえ――鯉ってなに?」

「……魚。この世界じゃなんていうのかな。鱗がすごくて、でっかくて、池とか川に住んでて、金属っぽい色合いでひげの生えてるやつ。もといたとこだと、それを掛け合わせて色とりどりにしたやつがお金持ちのペットだった」

「ちょっとわかんないねえ。魚をペットで飼うっつう感覚もよくわかんないねえ。まあ、ちっちゃい狼が飼えるくらいだから、稔さんのもといたところってのはすごいとこだったんだねえ」


 ちっちゃい狼というのはコロのことである。魔物多発地帯の森から農場を守ってくれているのがコロだ。まさしく守護神である。こんなよぼよぼの老犬、やっつけようと思えば一発だろうに、魔物は恐れて近寄らない。牧場物語の冒頭で選ぶペットの犬かよ。


 たなか農場は街に毎日馬車を走らせ、ゆで玉子と牛乳とカッテージチーズを商って、毎日の食事をどうにかしている。そう、米が尽きて、ついに三食ルサルカを食べることになってしまったのだ。


 ルサルカ、正直に言おう。すごくまずい。臭いし、内臓も入ったまんまだし、とてもあの日本で食べていたニシンとは比較できない。干されているのでキリコミにすることもできない。オエッ。


 でもアレーアはおいしそうに食べているし、それが当たり前だという。

 郷に入っては郷に従えというやつで、ルサルカをどうにかおいしく食べる手段はないか考えるのが、ここのところ最大の暇つぶし思考だ。シソや梅でごまかせば食べられるかと思うものの、この土地にはシソも梅もないし、仮に冷蔵庫に入っているチューブの刻みシソやふっるい梅干しでごまかすにしてもいずれ尽きる。この世界で暮らす限り、ルサルカ以外のものを主食にすることはできないのだ。


 それになにより、アレーアの父は、ルサルカ漁のさなか、海に投げ出されて死んだのだ。

 この寒さである、海はおそらく冷たい。この気候は真冬の海と変わらない。冬の海に落ちたら数分と持たないと本で読んだ。アレーアの父の恐怖はいかばかりであったか。

 アレーアの父のように命懸けで獲ってくるひとがいるのだ。感謝して食べねばならない。でもまずい。どうしたもんだろう。


 そんなことを考えつつ、牛の様子を見て全頭健康なのを確認し、家に戻る。作業場のテレビデオは相変わらず、地震と津波の被害を伝えている。津波は川をさかのぼり、内陸にも被害を及ぼしたらしい。たなか農場のあった町の田畑は泥と海水に浸かっているようだ。

 最近になって、朝ドラに限らずいろいろなドラマやアニメが流れるようになった。


 だが、テレビデオはなにかへそを曲げているようで、ニュース以外のものを映してくれない。要するに壊れかけのテレビデオだ。何も映らない、なにも教えてくれない、だ。いやニュースは映るけど。


 母さんが干し芋をくれた。もぐもぐ食べておやつにする。干し芋はこれで最後だ。お茶が出てくる。これもお茶っ葉が最後らしい。とっくの昔にインスタントコーヒーは終わっているので、カフェインを摂取する方法がまた減ってしまった。みんな面倒で手を付けない紅茶のティーバッグしか残っていないのだ。


「なんかお茶の代わりになる植物ってないかな。それこそデデラ草を干して、煎じて飲んだらどんなもんだろう」


 僕がそう言うと、母さんとアレーアと、三人してデデラ草摘みをすることになった。適当に茎ごとちぎろうとするとなかなかの根性で地面にしがみついている。葉っぱをぷちぷちもいで、ざるに並べて干しておく。


 そんなことをしているうちに、父さんが帰ってきた。んん? だれかもう一人いる。スキンヘッドに入れ墨、指が何本かない。見覚えがあるぞ。牢名主だった囚人のノクシだ。

「ちょ、茂さん、何変な……じゃなくて知らない人連れてきてるんですか」

 母さんが半ば悲鳴みたいな声を出す。父さんはハハハと笑った。いや笑ってる場合か。


「変な人じゃないよ。この間牢に入れられたろ? そのとき親しくなった人で、きょう刑期が明けて、いくアテがなくて、またやくざ屋さんに戻るしかないっていうから連れてきた。ノクシさんだ」

「名前を言われても困ります。それに、そんな気楽な理由で連れてこないでください!」

「ご、ごめんなさい……」


 なぜかノクシがビビっている。叱られているのは父さんなのだが。


「うちの仕事手伝ってくれるっていうからさ。それに、このひとのこの世界の農業知識は半端じゃないぞ。もしかしたらこの土地に合った農業技術を教えてもらえるんじゃないかと思って」


 母さんは目を白黒させている。僕はこのノクシという人物が、馬に見惚れるような心根の優しい人だと知っているので、とくだん怖いとは思っていなかった。作業場の奥でうとうとしていた祖父ちゃんは、


「ほ! 渡世人!」

 とよくわからないリアクションをする。渡世人て。


 アレーアは分かりやすく怯えていて、ノクシがものすごいびっちりと入れ墨を入れた顔でにっと笑うと、ず、と後ずさった。


「お? デデラ草干してるんですか。これ、生だと鎮痛成分が強く出ますけど、干してしまうと味も薬効もないうえに依存性がバツグンの薬になるんですよー。誰かを無理に働かせるおつもりで?」

 なんでそんなこと知ってるの。怖い怖い怖い。やくざ屋さんこわい。しかしそれでデデラ茶は無理だと知った。飲む前でよかった。なんでもハバトの地のやくざ屋さんは、よくこれを拷問に使うらしい。あまりにどこにでも生えている草すぎて、取り締まりが及ばないのだそうだ。


 でもそういう事情に強いけれど、ノクシは思いのほか真面目なひとのようで、イチゴハウスを見てもらうと、しばらく眺めまわしてニンジン・カボチャ・カブのプランターをみるなり、


「すごく豊かな土だ。どうすればこんなに豊かな土が採れるんですか?」

 と、真面目な顔で尋ねてきた。牛のUNKOを腐らせたものだとは言いづらかったが、正直にそう答える。不思議そうな顔で考えた後、ノクシは、

「なるほど。要するに栄養の搾りかす、ということですか。そういえば囚人やってたころ、油をとった雑魚の搾りかすを肥料にしたっけ。あれは本当に何度もカスカスに絞った後のものだったから、栄養も薄かったんでしょうね。大した効果はありませんでした」


 なんだこのひと、やくざ屋さんに見えるけれど根っからの百姓だ。


「そうだノクシさん。ジャガイモってご存知ですか」

「じゃが……いも? イモというと地下に実がなるやつですよね」


 実ではないのだが、まあそれで構わない。ノクシに、ジャガイモの特徴を説明するも、やっぱり知らないし食べたこともない、という返事だった。


「逆にこの世界にイモってあるんです?」

「ええ、南の大陸にはコンニャクイモというのがあるそうですよ。そのままじゃあ食べられないけれど、加工するとすばらしい珍味になる、とノイスポで読みました」

「ノイスポ?」

「ええ。正しくはノイトトカルチョ新聞というのですが、トトカルチョなんて長いでしょ。スポーツに賭けるのがトトカルチョだから、ノイスポです」


 東スポみたいなの、この世界にもあるんかーい。


「えっ。賭け事ってここにもあるんですか」

 父さんが色めき立っている。父さんはこう見えて、現代農業の発売日は本屋でそれを買ったあと、市街地からちょっとはずれにあるパチンコ屋に向かい、ジャラジャラーっとエンジョイしてえらく高いチョコレートを手に入れて帰ってくるひとだった。そのたびに家に帰って母さんに叱られるまでが、父さんの現代農業の発売日のルーティーンだったのだ。


「しーげーるーさーんー」母さんがジト目で父さんを見ている。

「い、いややるとは言ってない。それにただ賭けて遊ぶより自分の技術で勝利したい」

「そんなもの勝利しなくていいんです。いっぺんブランドバッグをもってきたことがあったけど、そんなのそれっきりだったじゃないですか。いいから仕事しましょう」

「なんの話だぁ?」

「アレーアは気にしなくていい話」

「ええーっあだすだけ輪の外。ひどい!」


 とにかく、ジャガイモというものは、とりあえずここにはないと分かった。ため息しか出てこない。ほかにはどういう野菜があるのかノクシに尋ねると、ノクシはちょっと難しい顔をして、


「キャベツとかタマネギとかニンジンとか。たなか農場のもとあった世界とは違うんですか?」

 と、不思議そうな顔をした。

「うん、もっといろいろあった。でもうちは基本的に酪農だから、野菜は自家用のぶんしか育ててなくて、技術の必要なやつはほとんどやってなかったんだ」

「酪農。牛ですか」

「そう。この世界だと牛は懐かないもので、ろくに世話をしないみたいだけど、世話すれば懐くし、ここは観光農場だからきれいにしてやってる」


 ノクシはふむ、という顔をした。

「観光農場としての売り上げはどんなものなんです?」

「えーっと。正直、ハバトの地に来てからお客が来たことはないなあ」


 僕はそう言って、伸びてきた髪を指に絡めた。そう、ハバトの地に来てから、たなか農場にダイレクトにやってきたお客はいないのである。まずノイの街が遠い。この世界の交通手段は馬車や輿だが、そういったものは貴族というか、支配階級のものだし、庶民が手軽にくる交通手段がない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る