たなか農場は異世界で旗を挙げる
「あ、あの、」
僕がそう声をかけようとすると、家臣のひとに止められた。
「無礼であるぞ」
「よい、ロラク卿。話してみよ」
話してみよと言われたので真面目に話す。
「ええっとですね。僕たちは悪さをしたいと思っているわけではなくて、ただもとの世界でやっていたように、牛の乳やニワトリの卵や、少々採れる野菜、それからイチゴを育てたいだけなのです。そして、食べ物を作ったからには売らねば生きていけません。さすがに毎日、カッテージチーズとイチゴだけで生きていくわけにはまいりませんので。ですから、どうかノイで商いをする許可をください」
「……うむ。この農場で採れるものはとても質がよい。よかろう、好きにせよ。ただしそのかわり、レオ帝への献上物として、ここで採れたものを我が国に差し出せ」
「はッ」
「それから罪は罪だ。あのシゲルという男には、きょう一日の労務を言いつけてある。そこから帰ってきたならいくらでも罪を許そう。番兵からの報告によると、シゲルの供のものであった男――お前たちだな。お前も街で男女の会話をする罪を犯したそうだが、特例として許そう」
うわお。法律がガバガバだ!
「名は何という」
「僕は稔です。僕は茂の息子です。このひとが僕の母の恵で、こっちが従業員のアレーアで、いま家で寝てるのが祖父の豊です」
「うむ……。またいずれ、使者を送って献上物について相談しよう。では帰るぞ。お前たちの馬車は置いていく。茂はお前たちであすの夕方迎えに行け」
「はいっ」
さぶろうとよしみ、それから馬車を置いて、領主イルミエト公ご一行は帰っていった。僕はさぶろうとよしみに駆け寄り、馬車を外して厩舎に連れていく。荒っぽく扱われたのか、傷ができているので家畜用の傷薬を塗ってやる。これ、人間の傷につけると皮一枚めくれた程度の怪我がミミズ腫れになるので、絶対に人間に使ってはいけない。ソースは僕の右腕だ。
「大変だったなあ、さぶろう、よしみ……」
さぶろうとよしみが、明らかに疲れて機嫌が悪そうなので、よく頭をなでてやる。飼い葉を与えると猛烈な食欲で食べ始めた。お腹が空いていたのだ。それを終えてから作業場で、
「レオ帝ってだれ?」
と、アレーアに尋ねると、アレーアは心底びっくりした顔で、
「稔さん、あんた知らねえのけ。南大陸と北大陸のすべてを治める帝だよ。イルミエト公だってレオ帝から見たら地方の領主に過ぎないんだよ。毎年莫大な献上物を各国にもとめて、イルミエト公は必死で献上物を探してんだよ」
と、そんなの知らないよとしか答えられない返事をよこした。日本人の脳みそで理解するとしたら、今川家と井伊家みたいだと思えばいいのだろうか。
「それにしてもイルミエト公って若いのねえ」
母さんがそうつぶやく。確かに、まだ少年といった見た目で、はっきり言って幼かった。
「イルミエト公は家を継ぐために男の子のなりしてっけど、あれでも女の子だかんね。髪も短くしてっから、若い男の子に見えんだね」
「まさにおんな城主なんとかじゃない! 高橋一生が最高だったのよねあのドラマ」
「おんな……城主? なんだぁそれ」
「アレーア、気にしなくていい。母さんもいちいち現実をドラマに置き換えないように」
僕も頭の中で今川家と井伊家に例えていたのは秘密だ。
それはともかく、父さんは畑で働かされているらしい。あしたは牛乳の販売はなしだ。ため息をつく。タンクにためておける量に限界があるので、カッテージチーズにするのが妥当な線だろう。しかしそれだって特売の日に買ったお徳用の酢が切れてしまったらどうなるやら。
家に戻ると、祖父ちゃんが心配そうな顔をしていた。牛の世話のあと、疲れたといって寝てしまっていたのだ。父さんがどうなっているか、なにが起きたのか解説すると、ため息まじりに、
「ここにも国家権力ずものがあるんだな」
と、そうつぶやいた。いやなんかピンボケじゃないか、それ。
とにかく夕飯を食べよう。母さんがカッテージチーズに塩胡椒を振り、冷蔵庫の奥でちんまりと賞味期限の切れていたフランスパンに塗る。賞味期限はともかく、おいしそうだ。
祖父ちゃんがフランスパンをなんの問題もなく食べたのを確認してから、僕らもフランスパンに手をつけた。祖父ちゃんは一瞬不愉快そうな顔で、
「いま俺が食べたの見で食べていいか実験したべ」
と、文句を言った。はははとごまかしてもぐもぐ食べる。うむうまい。
ドラム缶風呂を沸かして、かわるがわる入り、さっさと寝た。
さて次の日、牛の世話を一人いない状態でどうにか終わらせて、僕はさぶろうに二人用の鞍をおいて、それにまたがり家を出た。坂道を下る。
あった。食糧生産所。囚人のみなさんが黙々と畑を耕している。植えられている野菜は、品種改良が進んでいないからかひょろひょろでまずそうだ。
監督署の前に、疲れた顔の父さんがいた。ヒゲがすんげえ伸びている。
「父さんお疲れ」
「おう……まさか牛乳の密売で捕まるとはな。……さぶろう、なんか怪我してるな」
「きのう、うちまで領主とかいうひとが押しかけてきて、その時連れてこられたんだけど、なんかこの世界の人って家畜の扱いがよくなくて、乱暴に扱われたみたいだ。それから、その領主に食べ物を作って渡せば商売していいってさ」
ざっくり説明する。父さんはさぶろうの頭を撫でた。それからさぶろうに乗り、僕はその後ろに座る。さぶろうはゆっくりと歩き出した。
「かわいそうになあ。まあいい、帰ろう。そうだ、友達ができたんだよ」
父さんはコミュ力が異様に高い。この世界に友達をつくるってどういうことだ……って、僕もアレーアを拾ったんだった。
「やくざ屋さんで、長いこと悪さをしたせいでかれこれ十年畑仕事をしてるっていう、ノクシって人だ。入れ墨びっちりでめちゃくちゃカッコイイんだぞ。しかもな、もっと旨い野菜を作りたいっていう高い志の持ち主で、まあ……牢名主みてったもんだな」
「へえ……そんな人もいるのか」
「もうすぐ刑期が明けるらしくてよ、農業ができなくなるのを残念がってたな」
思わず噴いた。僕は、きのうのイルミエト公のことを話した。父さんはふむふむと納得した。
「なら、御屋形様御用達っつって大々的に観光農場ができるんじゃないのか」
「なんだ御屋形様って」
「いやなんつうのかうまく説明できねんだばって、要するに御屋形様だろ。皇室とか王室とか、そういうのともまた違うみたいだし」
いやまあそうなのだが、しかし御屋形様て。
たなか農場に続く林道を、ゆっくりと進んでいく。がさがさっ、と林からスライムみたいなのが飛び出したが、さぶろうが踏みつけたらとたんに消えてしまった。最弱モンスターのようだ。父さんがしみじみという。
「ほんとに異世界なんだな」
「そうだな」
たなか農場の、まったくインスタ映えしなさそうな顔出しパネルを一瞥し、農場に進んだ。
さぶろうからぽいぽい降りて、父さんは首をコキコキした。
「ただいま」
そう言うと、作業場で干し芋をぱくついていた母さんが走って寄って来て、泣き出した。本気で心配していたらしい。アレーアはまだ干し芋を食べている。
父さんはそのあとざざっとヒゲをそり、それから物置からなにか出してきて組み立て始めた。なんだろう。どこかで見た覚えのあるカラフルな鉄板だ。結構擦れてペンキが剥げている。
ああ、たなか農場が観光農場として栄えていたころ置かれていたすべり台だ。僕が高校に上がるころ、邪魔だからって撤去したんだった。
父さんはそれを組み立て、やっぱり物置からペンキを出してきて色の取れたところを塗った。コロの小屋と作業場から目の届く位置にがっちり固定し、はいできたと上機嫌である。
「なにやってるの茂さん」と、母さん。
「見ればわかる通り滑り台作ったんだ。観光農場としてやっていくわけだしよ、アトラクションがあればいいべ?」
アトラクションって、こんなちっちゃくてちゃっちい滑り台一台でいいのだろうか? 待てよ、ノイの街にあった公園は、噴水があるだけで、子供が遊んで楽しい遊具のたぐいはなかった。これでも、イケるかもしれない。
「玉子ってどうなってら?」
「冷蔵庫に入りきらなくなってきたわね」
「ゆで玉子にして一個銅貨二枚で売るべ。カッテージチーズも作ったって?」
「ええ、タンクがぎりぎりだったから……それも売るの?」
「おう。ここと、ノイの街とで売る。観光農場にはお土産が必要だべ?」
父さんのでっかい笑顔。父さんは恐ろしくてきぱきと作業をする。頭の中に、すでにどうすれば農場を経営できるかのビジョンがあるのだ。
また物置に入って、何年前のものか分からない、古びたパッケージの野菜の種をいろいろ出してきた。ニンジン。カボチャ。カブ。いくらなんでもこの土地では育たないのではあるまいか、そう思っていると、父さんは僕に、
「ちょっとだけ、イチゴハウス使わせてもらえないか?」
と尋ねてきた。もちろんいいよ、と答えるなり、父さんはプランターを出してきて、そこに堆肥たっぷりの土を入れ、ニンジン、カボチャ、カブと種を蒔いた。
「なんせ古いから芽が出るかも分かんねえけど、やるだけやってみるべし」
――本気だ。父さんは本気で、たなか農場をかつての観光農場にしようとしている。
でも、この世界でなら、できるかもしれないと僕も思った。日本は娯楽がいささか多すぎる。だから、日本でダメでも、ここなら観光農場として繁盛させられるかもわからない。
無根拠な自信でわくわくしていた。そして心のどこかで(農業経営学の授業、もっとまじめに聞くんだった)とちょっと後悔していた。
この世界は空が近い。風は寒いけれど、太陽の力はもといた世界よりずっとずっと強い。
僕らたなか農場の面々は、物置からでてきたサラシの布に、「おいでませ たなか農場」と、でっかく書いて旗印にした。それはまさしく、新たなるたなか農場の旗揚げだった。
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