異世界の領主は意外と簡単にやってくる

 さて。

 僕は放牧場の様子を、アレーアと確認することにした。いま牛は牛舎の中だが、やっぱりずっと建物の中では牛だって気が滅入るだろう。


 放牧場には、チモシーやクローバーではなく、日本では見たことのない草が生えていた。細い茎が蔦のように広がり、もう電柵によじ登っている草まである。白くて小さい花が咲いていて、鼻をよせるとふわっと甘い匂いがする。


「アレーア、これなんて花?」

「デデラ草っていうんだよお。葉っぱを噛むと痛み止めになるんだあ。いわば薬草だあ」


 薬草ってこんなほいほい地面に生えてるものなのか。葉っぱをちぎって口に入れてみる。甘い。人畜無害の成分のようだし、これを食べさせれば牛の乳も甘くなるかもしれない。


 しかし、甘いデデラ草は生えているものの、いまひとつ栄養のなさそうな草ばかりだ。おいしい牛乳というのは脂肪分が濃厚である必要があるわけで、そう思うといささか心配でもある。


「なにやってるのー。お茶にしましょー」

 母さんに呼ばれて作業場に戻ると、お茶がいい匂いを立てていた。緑茶だ。お茶菓子はレモンケーキである。これもスーパーでときどき投げ売りされてたやつだ。賞味期限は切れている。祖父ちゃんがうまそうに食べているので問題なかろう、という感じだ。


「うわあ、またお菓子が出てきた」

 アレーアはお菓子のオンパレードに驚愕している。僕は母さんに、

「ここだと砂糖が同じ重さの金と同じ価値らしいから、ぽいぽい甘いもの出すのはやめて」

 とそう言った。母さんは残念そうな顔で、

「そうなの? 嫌なところにきちゃったわねえ……でもこれは賞味期限切れてるから。あと熟れすぎたイチゴ、ジャムにしておいた。アレーアちゃん、そのうちご実家にもっていって」

「じゃむ……?」

「果物を砂糖と煮詰めたやつだよ」

「そ、そんなすんげえ食べ物を、いち従業員のあだすがもらっていいのけ……?」

「いいに決まってるじゃない。アレーアちゃん、あなたは家族なんだから」

「か、家族? ちょっと待って母さん気が早すぎる。僕はそういうのは」

「なに早とちりしてるの。そういうことじゃないわよ。あー……お茶がおいしい」

 アレーアもお茶をすする。おいしいのかそうでないのか分からない顔をしていて、

「このレモンケーキつうのはおいしいねえ」

 とか言いながらレモンケーキをぱくついている。平和だ。


 父さんは昼を過ぎても帰ってこなかった。

 母さんは心配して右往左往しているものの、ノイまで歩いていくのはいささか遠すぎる。なにか捕まるようなことをしただろうか、とアレーアに尋ねると、


「もしかして無許可で牛乳売ってたのけ?」

 と、心当たりのありすぎる言葉がかえってきた。

「農地の監督官が話をつけてくれるはずだったんだけど」

「農地監督官にそんな権限あるわけねえっぺ。騙されてんだよ?」

 なんだか一瞬、激しくムカついた。自分の権限でできないことをさもできるようにいうやつ、大っ嫌いだ。ムカつきが顔に出たらしくアレーアは怖がっている。


「この世界の役人っていうのはそういうことをよくするの?」

「するよ。うちのおっとうが海に投げ出されたときも、港の見張り台のお役人が探すって言ってくれたけんど、結局見つかったのは一か月後浜辺に打ち上げられて、だかんねえ。顔も手足もぐじゃぐじゃで、おっかあの編んだ防寒着を着てたからわかったんだよ」


 日本と同じクオリティの生活はできないと思ったほうがよさそうだと、すでに分かっていることながらしみじみ痛感する。


「アレーアって、どんな意味の名前?」

 母さんが唐突にアレーアに尋ねた。話題を変えたかったようだ。アレーアは、

「名前に意味なんてないですよ? アレーアなんて、女の子が生まれたら必ずつけるか考えるような、ありふれた名前ですよ」


 と、ちょっと卑屈に笑った。母さんは、僕たち家族の名前を解説した。アレーアは、

「意味のある名前って素敵だねえ」

 と笑顔になった。

 しかし。


 父さんは夕方の乳しぼりの時間を過ぎても帰ってこなかった。牛の世話を終えたあと、いい加減心配になって、歩いてノイまでいってみようと思っていると、うちの馬車とさぶろうとよしみが帰ってきた。よかった、帰ってきた――後ろに輿のようなものが続いている。何事だ。たいまつが夜の山を明々と照らしていて、なにやらただ事でなさそうである。


「あわわわ……領主様のお怒りに触れたんだあ……」

 アレーアが怯えている。領主様って、コインに刻まれてたイルミエト公とかいうひと、と尋ねると、

「そんな簡単に名前を呼んじゃあだめだあー! このノイの近辺は、ぜーんぶ領主様の土地だあ。頭が高いって言われるよお。伏せて」

 いやアレーア、こないだ普通に名前を会話に出してたじゃん。

 アレーアに背中をぐいと押されて、頭を下げる。祖父ちゃんと母さんも同じようにする。


「ハバト領主イルミエト公のおなりである!」

 輿が降ろされ、そこから小柄な人影が下りてきた。真っ赤な髪をした、若い、というか幼い少年。こんな若い人がこの土地を治めているのか。ちょっと意外だ。

「ここが『たなか農場』か?」

 その声は思うより甲高く、さえずるような声だった。


「はい。ここがたなか農場でございます。父がなにか無礼をいたしたでしょうか」

「違う。確かに牛乳を無許可で売ったのは罪で、それゆえに捕らえたが……観光農場とは、どういうことだ? それが知りたくてここまで来た。理解し納得するまで帰らぬぞ」

 僕は、はっきりと言ってやった。

「ずばりそのまま、観光するための農場であります」


「……? 農業が見世物ということか?」

「それとも微妙に違いまして……牛の搾りたての乳や、玉子や、イチゴを好きに食べてもらえて、それで入場料をとって農場を運営するのです」

「ほう。搾りたての乳……そんな貴重なものを金貨一枚で飲み放題にするとは、よほどたくさん採れるのだな」

「我々は違う世界から来たものでして」

「違う世界。……もしや、イーソルの巫女の予言が」

「イルミエト様。あまりにも荒唐無稽だとはねつけたではありませぬか」

「いやロラク卿。この地を救うために異世界から人が来ると、イーソルのゾゾル神殿で予言された通りだ。……いやしかし。なにが救いなのか分からぬ……観光農場ということは、私も観光してよいのか?」


 僕が、「もちろんでございます」とそう答えると、イルミエト公は嬉しそうな顔で、

「では案内せよ」


 と、高圧的に言ってきた。僕は母さんに、冷凍庫にアイスクリームが入っていること、それからそれにイチゴのジャムをかけて用意するようお願いして、イルミエト公をイチゴハウスに通した。


「なんだこれは。とても甘い香りだ」

「イチゴという果物であります。どうぞご自由にもいでお召し上がりくださいませ」

「うむ」

「イルミエト様。毒見係を連れておりません」


 家臣らしいひと――ロラク卿と呼ばれていた――がそんなことを言って制止してくる。面倒な人たちだなあ。しょうがないので僕が一個もいで口に放り込む。それを見て安心したらしく、イルミエト公もイチゴを口に入れてもぐもぐした。

「あ、あまぁっ」

 そううめくと、イルミエト公はちょっと恥ずかしそうな顔で、

「私も生の果物を食べるのは初めてなのだ……美味なものだな」

 と、そうつぶやいた。牛舎を見学してもらい、それから母さんにアイスクリームのイチゴジャムがけを出してもらう。おっかなびっくりそれをつついて、やっぱり家臣に毒見係がいないと言われているが、そんなのお構いなしで、イルミエト公はアイスクリームを口に運んだ。


「なんだこれは! 冷たく甘くほんのり酸っぱい。こんなに美味なもの、レオ帝すら食べたことがないに違いない……これは、日持ちするのか?」


「牛乳を凍らせたものですから、日持ちはいたしません。常温に置いておいたらすぐ溶けてしまいます」

「ふむ……では、あのイチゴとかいう果実は、たくさん採れるのか?」

「はい、それはもう。たくさん採れます」

「よし決めたぞ。レオ帝への献上物はあのイチゴにする。――ん?」

「これ。これもお召し上がりください」


 母さんが何か出した。ああ、牛乳に酢をいれて作るカッテージチーズだ。よくそんなもの作っておいたもんだ。後から聞いたら、なにか別の形にして牛乳を売るべきでは、と考えてのことだったそうだ。


 イルミエト公は恐る恐るカッテージチーズを口に運び、

「う、うまい……なんだこれは、うまいぞ。乳をぎゅっと固めた――でも煮詰めて作る凝乳ともまた違う。美味である、これは日持ちは」


 えらく日持ちを気にするな。そうか、レオ帝とかいうひとに献上するのか。この世界にはチルド便とかクール便とかないもんなあ。


「容器にいれて腐らないよう密閉すれば数日は持つかと」

 母さんが説明する。ふむふむとイルミエト公はカッテージチーズをもぐもぐ食べている。

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