異世界ではイチゴは未知の美食である

「祖父ちゃん、デイサービスセンターとかないんだからな。要介護認定されたら僕らが困る」


 祖父ちゃんの背中をばんばん叩く。母さんはため息をついて、この世界に飛ばされる前に仕込んだらしいヨーグルトケーキを出してきた。ヨーグルトも全部使ってしまったらしい。残っていたら種菌にしてヨーグルトをつくることもできたのだが。


 みんなでヨーグルトケーキを食べて、アレーアは半分涙目で、

「弟とおっかあに食べさせてやりてえなあ」

 なんてのんきに言っている。


 とりあえず、ジャガイモの栽培とヨーグルトの生産は諦めるほかないようだ。発酵学を勉強しておけばよかったかもしれないがもう後の祭りだ。まあ、我々の日本国式農業は、十分この土地においてはチートスキルであるらしい。


 だがそれもどれだけ維持できるだろうか。灯油や配合飼料が尽きてしまったらと考えるとため息しか出ない。

 とにかくそういうことを考えている場合ではない。なんとか、ここで生きていかねばならないし、アレーアに給料を支払わねばならない。ここで生きていくということは、いつかは米がなくなって三食ルサルカを食べるということだ。ジャガイモのない世界で生きていくということだ。ヨーグルトのない世界で生きていくということだ……。


 ないないづくしで悲しくなってきてしまった。

 その日の夕方、アレーアを牛舎に通した。牛たちはおびえるというより好奇心旺盛なかんじで、アレーアの匂いをふんふん嗅いでいる。アレーアが、


「ここの牛は大人しいねえ」

 と、そうつぶやいた。よその牛はこうではないのだろうか。搾乳機をみてびっくりするアレーアをよそに、夕方の乳しぼりを終える。糞の片付け方や敷き藁の替え方を説明し、アレーアは意外と頭がいいらしくすらすら理解した。


 牛の世話のあと、作業場に戻った。父さんがノートを書いている。父さんはノートをつくるのが大好きなひとで、牛の世話のことやニワトリの管理なんかを事細かにノートに記すのが趣味だ。

 どうやら、ノイまでの地図や、通貨の仕組みを書いているらしい。


 作業場のテレビ――茶の間のテレビは地震のはずみで床に落ちて画面が割れてしまった――をみると、どうやらまだ地震の影響は大きいらしい。かれこれ三千人ばかりの死者行方不明者が出ており、大災害になっている。


 それをみて一瞬「たなか農場も土砂崩れで牛舎鶏舎厩舎、それから僕らもみんな死んでしまったのではないか」という想像をしてしまった。鳥肌がぞわっと立つ。

 そう思っていると母さんがリモコンでザッピングを始めた。ザッピングしてみても、どこのチャンネルも地震の報道だし、母さんの好きそうなドラマは一本もやっていなかった。民放のCMはぜんぶACだし、まさにあの震災とそっくりである。


 あの震災のとき、僕らの家はゆさゆさーっと揺れて、しばらく電気が停まった。それからソーラー発電を導入したのだ。


「なんだぁあの機械」

「テレビっていうんだ」

「へえー……なんだかすごいねえ」


 アレーアはぽかぁんとテレビを見上げている。完全なるアホの顔。

「よし! できた!」

 祖父ちゃんがガッツポーズするのが見えた。

「どうしたの祖父ちゃん」

「ドラム缶風呂作ってみた。ボイラーの灯油は節約してイチゴハウスさ回すべ」

「え、いいの?」

「いいに決まってらぁ。ここでまた観光農場やるったべ。そいだばイチゴハウスは必須だべ」

「……イチゴ?」


 アレーアはよくわからない顔だ。僕は、果物だ、とそう説明した。

「く、くだもの……! なんだあ、ここは金持ちだっぺか」

「食べるかい? そろそろ熟れてきたのが限界に近い」

 アレーアをイチゴハウスにつれていくと、アレーアは思いきり鼻から香りを吸い込んで、

「うわあいい匂い! あだすこれだけで十分」

 と、畏れ多いものを見ているみたいな顔で言った。イチゴを一個もいで、アレーアに渡す。アレーアは恐る恐るそれを口に運んで、


「わあああ! 甘い! 果物なんてたべるの初めて!」

 果物を食べるのが初めてとはどういうことだ。どんだけ文明が遅れてるの、この世界。


「果物って珍しいの」

「あったり前だあ。それこそイルミエト公だって食べたことねえよ。昼に食べたケーキだって、もっと貧相なのを赤ん坊が生まれた祝いに食べるのがせいぜいだよ」

 そんな話をしながら、熟れすぎたイチゴをざるに摘み、作業場に持ち込む。

「これどうすんだあ」

「ジャムにする。砂糖で煮るんだ。秋田県民なら砂糖は特売の日に買えるだけ買うんだ」

「さ、砂糖……って、砂糖?」

「そんなに珍しいの?」


 アレーアが言うには、砂糖というものは同じ重さの金と同じ値打ちだという。とんでもない話だ。それじゃあお客さんに安定的にアイスクリームを出すのは無理じゃないか。


 あ、でも待てよ。北海道で採れる砂糖大根、ここなら育つんじゃないか。そう思ってアレーアに砂糖大根って知ってるかいと尋ねると、聞いたこともない、と言われた。どうやら砂糖大根も存在しないらしい。


 ううーむ。砂糖はなるべく節約、ということか。とにかくここは諦めるほかあるまい。


それでもどうしてもやりたくなって、牛乳をもってきて、砂糖と一緒にアイスクリームメーカーにぶち込んで回す。ものの数分で出来上がったアイスクリームをアレーアに食べさせる。


「うあ」

 アレーアは悶絶したような顔をしながら、アイスクリームを食べた。僕はタッパーウェアにアイスクリームを詰め込んで、冷凍庫に押し込んでおいた。


 ドラム缶風呂に浸かってから、その日は寝ることにした。

 翌朝やっぱりニワトリに起こされた。仕方なくむくりと起きて作業着に着替える。

 アレーアもすっかり働く気満々で、作業着に長靴といういで立ちである。

 まずいつも通り牛の世話をして、それからさぶろうとよしみにも餌をやってブラシをかける。鶏舎で玉子を拾い、ニワトリにも餌をやる。


 一仕事終えて、みんなで朝ごはんを食べる。きのうのカレーの残り物だ。

 テレビは相変わらず地震のニュースである。でもきょうは母さんの大好きな朝ドラが久方ぶりにあるらしい。母さんはワクワクしながらテレビデオを見上げるも、朝ドラの時間ぴったり十五分、地デジじゃないみたいに画面は砂嵐だった。朝ドラの終わる八時十五分、やっともとに戻ったと思ったら朝ドラ受けのあるいつものバラエティ番組ではなく、またニュースだった。


 どうやら相当、地震がやばいらしい。

 しかし母さんのフラストレーションは違う方向に向いていて、

「どうすればいいのかしら。スマホでネタバレサイト見るにしても電波ないし」

 と、朝ドラの心配をしているのであった。十一月なのでもう実家の太い大阪局だし別にいいでしょ、と言ってやると、


「今作はすごく野心的な作品なのよ。毎日ツイッターで感想ツイートしてたの。気が付いたらフォロワーが三万人を突破してて」


 ちょっと待て。いつの間にアルファツイッタラーになってたんだ母さん。そのアカウントでたなか農場のことツイートしたら人が来たんじゃないのか。そう言うと、


「だって一回、農場に来てねってツイートしたらフォロワーが五千人くらい減ったんだもの」


 フォロワー数と農場のどっちが大事なんだ、母さんよ。

 とにかく父さんが馬車で牛乳を売りに行くという。僕もついていきたかったがお尋ね者になっているので行くことはできない。アレーアも然りだ。


「ああそうだ茂さん。お財布じゃこの国の金貨銀貨を収納するのは難しいから、これ持ってって」

 母さんはきんちゃく袋を父さんに渡した。父さんはおう、と頷いて、馬車で走り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る