異世界にはジャガイモがない

「うちの畑は自家用の野菜を作ってるだけで、本業は牛の世話とニワトリの世話だ」

 父さんはそう言い、山道を登るさぶろうとよしみを御している。

「牛」

「そう牛。ああ……知らない人がきたらやっぱり牛も荒れるかねえ。まあ様子を見つつ……か。あとちょっとで着くよ」


 山道を登り切って、たなか農場の前に来た。牛の顔と農夫の顔が穴になっている実にインスタ映えしなさそうな顔出しパネルを見て、アレーアはびっくりしている。

「なんだあ、あれ」

「顔出しパネル。もともとこの農場のあった国では、だれでもカメラっていう、見えるものを写真っていうのに写し取る機械を持ってたんだ。あの穴の開いたとこから顔を出して写真っていうのを撮る」

「へえ……錬金術が進んでんだねえ」


 馬車で門をくぐる。母さんが昼ご飯を用意して待っていた。きょうもカレーだ。どうやら特売で買っておいたカレールウが余っているらしい。肉はないので鯖缶が肉の代わりに投入されているが、この勢いでカレーを作ったら缶詰の魚類はあっという間になくなるのではあるまいか。


「おかえり。どうだった?」

「売上がこれ。で、こっちが稔の嫁」

 父さんの言葉に、アレーアはぼっ、と火が点いたように赤面した。いやいや嫁って。ない。それはない。そう言うとアレーアは今度は残念そうな顔をした。どうしたいんだお前は。


「稔、コロを拾ってきたときと同じ感覚で女の子拾ってきてどうするの」

「コロ?」

 アレーアがいぶかるので、犬小屋の前に掘った穴で寝ているコロを指さした。

「なんだぁこれ。ちっちゃい狼だぁ」

 アレーアは夢中になってコロをよしよししている。コロのほうはなんの興味もなく寝ている。母さんは難しい顔をして、ひとつため息をついた。


 コロは僕が小学一年生のころ、学校の前に捨てられていた犬だ。そのころはぷりぷりの仔犬で、拾わないほうがおかしいくらい可愛い仔犬だったのだが、いつの間にか成犬になり、穴を掘って脱走を試みたり作業場に置いておいた焼き芋をかすめ取ったりする悪さをするようになった。若いうちはたなか農場の中で放し飼いにしていたが、いまではすっかりボケて徘徊するので、間違えて牛舎に入ったりしないようにつないでいる。


「だって……そのままじゃ身売りされるとこだったし……働いてくれるっていうし……」

「あのねえ稔。その理屈で身売りされる女の子みんな助けるわけ? そんなことできないでしょ?」

「で、でも人間は経済動物じゃない……し」

「漫画のセリフでごまかさないの。まったく、困った子ねえ。で、あの子は働いてくれるの?」

「う、うん。働くって言ってた。おーいアレーア」

「あーい」


 アレーアがやってきた。貧相な服に、手についたコロの抜け毛をなすりつけて、ぱんぱんと手をはらった。母さんが真剣な顔で、

「採用面接を始めます」

「め、めんせつ?」

「そうよ。仕事をするなら面接するのが当たり前。私は恵です。このたなか農場の経理担当。で、あなたは? まずは名前から」

「あ、アレーアと申します……歳は十七です」

「十七。わっかいわねえ……お父さんのお仕事は?」

「ルサルカ釣りをしてたんだけっど、海に投げ出されておっ死にました。おっかあ……母は酒場で料理場の仕事をしてます。弟がいます。今年十二になるんだけっど、上の学校には、お金がねえもんでいけねーです」


 ちらりと母さんを見る。案の定涙腺崩壊している。母さんはこういう、朝ドラヒロインみたいな、恵まれない境遇の女の子のシンデレラストーリーが大好きなのであった。なので、実家の太いヒロインはあまり好きではないようだ。


 そんなこたぁどうだっていい。とにかくこのアレーアは母さんの了解を得て、我が家に住み込みで働くことになった。給金は我々がこの世界の物価を理解したら決める方向で納得してもらった。どのみち、普通に酒場で働いたり、ないし娼婦をやるよりは大きい額になりそうだ。


「お給金たくさんもらえたら、弟に玉子料理を食わせられるねえ」

「玉子ならうちでもいっぱい採れるわよ? いくらでもご実家にもっていって」

「え、ほ、ほんとけ?」

「ほ・ん・と・で・す・か」

「……ハイ。ごめんなさい」


 母さんはアレーアの言葉を直しているようだが、直るんだろうか。なんとなくこの北関東訛りみたいな喋り方が落ち着くし、そもそも僕らがひどい秋田県北訛りである。


 とにかく家に通す。母さんが作業着を一着貸してやり、物置になりかけている奥の座敷を、アレーアに使ってもらうことになった。

 家の中を案内して、外に出ようと仏間を横切ろうとすると、じいちゃんが仏壇をえらく熱心に拝んでいた。


「麦子。稔が嫁ッコ連れてきたでゃ」

「じ、祖父ちゃん。嫁でない。ただの従業員」

「なんだもったいない。あんな安産型で可愛らしいおなご、嫁ッコに最高でねが。十七ったべ? 麦子が俺さ嫁に来たのと同じ年だ」


 麦子というのは死んだ祖母ちゃんである。祖父ちゃんとは見合い婚だったようだが、祖父ちゃんは祖母ちゃんにべた惚れで、祖母ちゃんが死んだときは半分ボケかけるぐらい弱ったくらいだ。だがそれとほぼ同じタイミングで牛のお産があって、それでしゃっきりした祖父ちゃんに戻ったのだった。農業の血は強いのだ。


「なんたっけあの子。あれ……あれ……マレスケ?」

 なんでそこで乃木大将の名前が出てくるのか。戦中派の頭脳は不思議である。

「アレーアね。名前くらい覚えてあげて」

「お、おう。ひ孫が楽しみだなあ麦子」

「だから嫁じゃないってば」


 そうやっていると、たたたと軽快な足音が聞こえた。アレーアが、母さんの作業着を着ている。色気の全くないいでたちだが、逆にそれが農業高校の実習の時間みたいで可愛い。

「似合うっぺか」

「うん似合ってる。じゃあお昼にしよう……またカレーか。飽きてきたな」


 祖父ちゃんも仏壇の前から立ち上がり、茶の間に向かう。でん、と大きな鍋が置かれ、鯖缶カレーがいい匂いをさせている。母さんはご飯を皿によそい、カレーをだばーっとかけた。


「ルサルカじゃない! 香辛料いっぱい入ってる! お金持ちだ!」

 アレーアがびっくりした。この世界では香辛料が貴重らしい。なるほど、中世ヨーロッパである。しかしルサルカじゃないとはどういうことか聞いてみると、ノイの街やその周りの漁村では、ルサルカを主食で食べるのだという。それじゃ炭水化物が明らかに足りていない。


 アレーアはおいしそうにカレーを食べて、

「イルミエト公だってこんなにおいしいもんは食べてないよ」

 とつぶやいた。イルミエト公というのはこの近隣を治めている領主らしい。どんな人なのだろう。コインに刻まれた肖像画ではよく分からない。金はやわらかいから仕方がないかもしれない。


「すげえなあ。牛の世話してるのにこんな豪勢なもん食べて。入ってる野菜、ニンジン以外なんだかわかんねえもんなあ」

「ジャガイモ、食べたことないの?」

 僕が訊ねると、アレーアはよくわからない顔をした。

「……ジャガイモ?」

「ポテト、とか、馬鈴薯、とか、呼び方はいろいろあるけど……母さん、ジャガイモって残ってる?」

「ううん。これで全部」


 しまった。残しておいて種芋にするべきだった。サツマイモを育てるには寒冷な土地である、北海道でジャガイモが採れる理屈でジャガイモなら採れると思ったのだが。どうやらこの土地にジャガイモはないようだし、……作戦ミスだ。


 カレーを食べ終えた。一つため息をついて、母さんにさっき買ってきたルサルカを渡す。

「これがこの土地の主食の、ニシン――ルサルカの干物。一枚銅貨三枚で買えた」

「やだあ、変なにおい。ニシンって匂うものだけどこんなにひどいのね、骨もすごいし」

「これしかないんだ、諦めろ恵。魔法とかもないみたいだし、結局元の世界には戻れない……ここじゃ農業は囚人の仕事らしい。だから、囚人の仕事のクオリティを超えた仕事ができれば、それなりに食べていけるはずだ」


「どういうことだ。囚人の仕事ってどういうことだ。茂、説明してけれ」

 祖父ちゃんが明らかに憤慨している。父さんがかくかくしかじか、と説明すると、祖父ちゃんは鼻息を荒くしながら、緑茶をぐびーっと飲もうとして噎せた。

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