異世界にも方言女子は存在する

 僕はものすごい田舎で育ったわけだが、田舎というのは一本道をずーっといくとスーパーマーケットがあってそこで買い物して、さらにずーっといくとレンタルビデオ屋があって、そこでDVDを借りて帰って来て、という暮らししかしない。父さんが「現代農業しか読まない」と言った通り、本屋もめちゃくちゃ遠くて月に一回くらい車でいくところだ。そういうわけで僕は道を覚える能力が弱い。東京の農業大学に通っていたころだって、道が覚えられないので居酒屋での飲み会だとかには参加しないか、参加しても道をちゃんと覚えられる友達と一緒だった。


 というわけで、僕は異世界の都市で迷子になってしまったのであった。どうすべ。うろたえたってなんにもならない。道を思い出して戻ろう。


 しかし、歩くうちにどんどん深みにはまっていく。気が付いたら、なにやらけばけばしい紫やピンクのガラス看板の並ぶ一角にいた。どうやらここはいわゆる赤線地帯らしい。長い髪を無造作に下した女たちが、退屈そうに長椅子なんかにかけて客引きをしている。


 やばい。

 早く逃げなければ。確かに寝る前に娼館を妄想した。だが実際に来てみると奥手くんの僕にはいささか刺激が強い。


 幸い作業着はこの世界の服と違ってすがって捕まえるようなパーツは少ない。どうにか、強引な客引きをしている女たちから逃げて路地を曲がるが、そこはなにやらもっとヤバそうな界隈だった。やくざ屋さんみたいな人たちがうろうろしている。ますますヤバいところに来てしまい、完全にうろたえていると、向こうのほうからやくざ屋さんに手首を縛られた女の子が現れた。手首を縄で縛られ、引きずり回されるていで、その女の子は涙目で歩いている。


 身売りだ。その女の子は灰色の髪を短く切っていて、目はブラウンである。小動物っぽい。もしかしたらこのままさっきの娼館のほうに連れていかれるのかもしれない。


 僕の中の正義の心が叫んだ。

「その女の子を放せ!」

「ああ? なんだてめぇ」

「泣いてるじゃないか! どうせいやらしい店に売り飛ばしてその金でまた悪いことをするんだろ? その女の子を放せ!」


 やくざ屋さんはいきなり殴りかかってきた。僕は中学生のころ体育の選択学習でほかの男子とおなじく柔道をとったくらいの戦闘力しかないが、どうやらこの世界には体系的な武術というものがないらしく、簡単にやくざ屋さんの攻撃をかわして、ほいっと投げてしまった。


 投げたやくざ屋さんはそのまま転がって側溝にハマった。なんだ、大した相手じゃない。ほかのやくざ屋さんも逃げ出した。


「大丈夫かい?」

 女の子は震えがちに頷いた。怖くて言葉が出てこないのかもしれない。

「えっと、噴水の広場の場所分かる? 僕迷子になっちゃって」

 そんなことを言いつつ、女の子の手首にくっきりと食い込んだ縄を外してやる。すれて傷になっている。痛そうだ。


 女の子は向こうに見える大きな通りを指さした。そうか、大きな通りを選んで歩けば、当然街の真ん中にたどり着くのだ。僕はルサルカの干物をぶらさげたまま、女の子の手をひいて広場に戻ってきた。


「おかえり……ってだれだその女の子」

「なんかやくざ屋さんに売られてたみたいで思わず助けて、しょうがなく連れてきた」

「……ふむ。とりあえず連れ帰るか。いいかな?」


 女の子は小さく頷いた。馬車に乗り込みノイの町を出る。何人か追いかけてくるが、うちの牛乳の熱烈なファンでもできたのだろうか。跳ね橋を渡ったところで、女の子は口を開いた。


「はぁーあ助かったあ~! ありがとねえー。危うく一生農作業するところだったよー」

 女の子の声は、完全なるだみ声で、完全なる北関東訛りだった。いやここは異世界だから北関東なんてものはないのだが、明らかに茨城出身の大学の同期と同じ口調だ。異世界の言葉でも、方言ってあるのか。なんだか不思議な感じだ。


「一生農作業……って?」

「あだす、あんたの見た通り娼館に売られそうになってたっぺ? 娼婦は年期が明けるまでに客に買い取ってもらえれば普通の女に戻れるけんども、もし誰にも買い取られず年期が明けたら一生農作業をすることになるんだぁ。あだすごらんのとおりブサイクだからよぅ」


 ブサイクかねえ。喋り方が田舎臭いだけで、特にブサイクだとは思わないのだが。そう言おうと思ったけれど、この子にもこの子のプライドがあるだろうし何も言わないことにした。

「あだすアレーアってえの。あんたは異国人?」

「うん。僕は稔っていう」

「背が高くて王子様みたいだねえ」

 そんな極端な褒められ方をするのは初めてだ。リアクションに困る。


「髪、どうしたの? この国の女の人はみんな長くしてるみたいだったけど」

「切ってかつら屋に売ったのさぁ。おっとうがルサルカ獲りにいって海に落ちておっ死んで、おっかあとあだすと弟とが残されて、売れるもんはなんでも売ったよ。それでも食べていけなくなって、しょうがないからあだすは身売りすることにしたのさあ。そこをあんた……稔さんが助けてくれた。この馬車はなに? あんたらなんの仕事してる?」


「観光農場をやってる」

「かんこうのうじょう」


 オウム返しするアレーアに、べつに罪人ではないけれど、牛を世話して牛乳をとり、ニワトリから玉子をとりして暮らしている、と説明した。


「へえ……奇特な人もいるもんだんねえ。これは?」

「うちの牛乳。まだ一杯分くらいあるかな。はい」

 僕はアレーアに牛乳を渡した。アレーアはおいしそうにそれを飲んで、

「うまっ!」

 と叫んだ。

「なんだあこれ。身売りするときお金持ちの人に飲ませてもらった牛乳と全然違う。水っぽくないし甘いしおいしい。どうすればこんな牛乳が採れるの」

「愛情込めて世話すればおいしい牛乳になるんだよ。この世界だと牛は暴れるもの、みたいな認識らしいな」

 父さんはそう言って鼻をふんっと鳴らした。


「結局売上ってどうなったの」

「こんな塩梅だな」

 父さんは財布を取り出して僕に渡した。どかりと重たい、いやすごく重たい。中身は金貨がぎっしりである。ノイの金貨は外国のコインのように人の横顔が捺してあるのだが、流通するうちにゆがんでしまったらしくどんな顔かはよく分からない。


「あんたら、この牛乳を街で売ってたのけ?」

 僕は頷く。アレーアは心底気まずそうな顔で、

「ごめんねえ。あだしを助けた稔さんは、あだしと一緒にお尋ね者だぁ」

 と、驚きの一言を発した。お尋ね者? やくざ屋さんをぶん投げて女の子を助けたのに?


 アレーアから聞いた説明によると、ノイでは未婚の男女が言葉を交わすだけで罪になるという。ほかにもいっぱい、些細なことでお尋ね者になるルールが敷かれており、だから囚人が農業をするのに人手不足は起こらないのだ、ということだった。


「だから街中で黙ってたのか」

「そういうことさあ。異国人だから知らなかったんだねえ。もうあだすも稔さんもノイじゃ働けねえよ。番兵がどっかで見てたはずだよ。街の外まで取り締まりは及ばねっけど」

「うへえ……もしかして街を出るとき追っかけてきたのは番兵か……」

「まあ牛乳を売りに行くのは別に俺一人でも構わんだろ。ああ、俺は茂で、こいつの父親」

「へえー! これまた背が高くて王子様みたいだねえ! こんな美男のお父さんから採れたから、稔さんはこんな王子様みたいな顔してるんだねえ!」


 褒められているがこれもどうリアクションすればいいか困るタイプの褒め方である。

「……で、どうすんだ稔。この子は観光農場で働く気はなさそうだぞ? 農業は囚人の仕事だ」

「うーんと……どうする? 街に帰る?」

「帰ったところでまた身売りするほかねえっぺ。あんたらの観光農場ってえの、手伝ったら……勤めたら、お給金出る?」


 馬車は山道に差し掛かっていた。

「どうする父さん」

「どうするって――牛乳がこういう売れ方をするってわかったんだから、給料くらい出せるんじゃないか? まあ細かいところは経理担当と相談してだが」


 経理担当というのは母さんのことである。父さんのところに嫁に来る前は農協の事務員をしていたらしい。ちなみにいまだにそろばんが得意である。


「でもいいの? 農業は囚人の仕事なんだろ? 観光農場っつったって普通の農家だぜ」

「稔さん、どうせあだすは年期が明けたらつながれて畑仕事だったんだもの。つながれねえで畑仕事のほうがなんぼかマシだあ。娼婦なんかになれる顔でもねえし」

「そんなことないと思うけどな」

「やんだぁ恥ずかしい~。でも娼婦になったら半分が病気で死んじまうって聞いたから、畑仕事のほうがずっといいよ」

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