異世界では農業は刑罰である

 部屋に戻り、作業着から寝間着に着替える。う、寒い。家の中まで冷えてきた。


 とりあえず布団に入る。ちらと時計を見ると四時半。四時半に夜明けということは、やっぱりここは異世界なのだ。目を閉じると、素直に眠ることができた。


 が、しかし。うちは農家である。牛に餌をやらねばならず結局五時に起こされた。乳牛に飼い葉と人工飼料を食べさせる。乳は出さないようなので、とりあえず出たものを片付け、牛にもブラシをかけてきれいにする。うちは観光農場である、牛は極力きれいにする。


 とりあえず今は空っぽだが、牛乳を冷やすバルククーラーも動いているようだ。

 牛の世話のつぎはニワトリ小屋の掃除と餌やり、それから馬にも飼い葉を食べさせる。馬は「さぶろう」と「よしみ」という名前で二頭いる。命名は祖父ちゃんである。由来は察してほしい。サラブレッドみたいにスマートなやつでなく、農耕馬みたいなもっさりした馬だ。


 眠い。猛烈に眠い。そう思っていると父さんが缶コーヒーをくれた。冷蔵庫に大量にストックしてあるやつだ。遠慮なくグビグビいく。なんとなく眠気が飛んだので、そこからまた気合をいれて、さぶろうとよしみにブラシをかける。


 父さんがぼやくように、

「異世界だから仕方がないんだろうが、放牧場がチモシーとかクローバーじゃなくなってるんだよな」

 とつぶやいた。それはまずい。いいものを食べないと乳が水っぽくなる。


「稔。これからちょっと下まで降りてみないか」

「下……って、あの街まで?」

「そうだ。牛乳が売れるのか知りたいし、そもそも人間の街かどうか知りたい。どうだ?」

「うん、わかった。軽トラ?」

「いや。軽トラはなくなってた。馬で行く」


 え。馬。乗馬なんて長いことやってないぞ。尻の皮がむけるんじゃないのか。大丈夫なのか……?

 とかいう心配をさしはさむ時間もなく、父さんはさぶろうに、僕はよしみに乗って、農場を出た。なにやら薄暗い山道だが、いちおう道はあって、木々は見たことのない葉をつけ、地面を低く這う植物は白い小さな花を咲かせている。植生が日本じゃない。坂道をゆっくり下ると、開けた土地に出た。


 監獄のような建物が建っていて、その周りは畑……のようだが、いささか野菜がひょろひょろしているし、おいしくなさそうだし、明らかに農業技術は遅れている。そんな畑を一瞥して、街のほうに馬を進める。

 もうすでに尻の皮がむけかかっているが、いちいちぴいぴいいうのも情けないので痛いのを我慢する。


 街のほうは背の高い石壁が堂々と立っていて、ぐるりを堀に囲まれている。

 堀のむこうには跳ね橋がある。降りていないので入れない。やっぱりこれもRPGでよくあるやつだ。番兵の類はとりあえずいないので、街の周りをウロウロしてみる。谷間の三角州に作られた街らしく、谷間に作られていて、山と山の間を城壁で埋めてある。


「すげえ街だ」

 思わずそんなつぶやきが漏れる。城壁の上には投石器が置かれていて、やっぱりドラゴンとドンパチするのだろうなと想像する。


 とりあえず街には入れないので引き返そうと馬を進める。監獄のような建物から、囚人らしい人々がぞろぞろ出てきて、畑仕事を始めていた。

「この世界にも農家っているんだな」

「そりゃあ父さん、農業は文明の基本だから……しかし農家っつうより囚人じゃね」


 僕の言葉を聞いて、父さんははっと何かに気付いた顔をした。

「稔。俺たち、日本語じゃない言葉で喋ってる」

「……え? ウソだろ……ほんとだ! これ日本語じゃない!」


 ぞわっとした。

 やっぱりここは異世界で、僕ら田中家の面々はここで生きていかざるを得ないらしい。


 畑に水をやる囚人たちを監督していた鎧姿の男が近づいてきて、

「何者だ」

 と尋ねてきた。


「ええと。むこうの山から来ました」

 父さんがはきはきと答える。

「異国人か。その馬の上に載っているのはなんだ」

「これですか? 鞍です」

 どうやらこの世界では鞍を使わないようだ。古代ローマかよ。とにかく僕らは馬を下りて、その人物と話をすることにした。


「ここはどこですか? あの街の名前は」

 父さんのシンプルな質問。鎧の男は、

「ここはハバトの地だ。あの街はノイという。ここはノイの食糧生産所だ」

「食糧生産所。つまり農地、ということですね」

「そうだ……見ればわかるだろう」

「なんで農作業をする人がつながれているんです?」

「彼らは囚人だ。囚人はみな農業をすることになっている。犯した罪の重さで期間が変わる」


「農業をする人が、囚人?」


「そうだ。朝早くに起きて畑仕事をしたり牛を世話したり、そんなの囚人の仕事に決まっている」

 なんだかムカッとくる意見だった。僕らは本職の農家だ。農業が囚人の仕事だなんてムカッとくる。


「あの、あの街……ノイで牛乳は売れますか?」

「牛乳? お前たちは牛を飼っているのか?」

「はい。三十頭ばかり。かわいいもんです。よく懐いて」

「さ、三十頭……? 牛が懐く……? そ、そんなばかな……」

 父さんの言葉に男は目をむいて、僕らの顔を見比べ、


「どれだけ重い罪を犯したんだ、お前たちは。それに牛が懐くとはどういうことだ」

 とひどいことを言いだした。牛は人によく懐く生き物なのに。


「我々は異国から来たのです。異国では牛の世話は囚人の仕事ではなく、とても大事な仕事です。逆に言えば農業をおろそかにすると国は栄えない。それに、牛は愛情をこめて世話をすれば、簡単な言葉くらいなら覚えますし、かわいいもんですよ」


 男は目をホルスタインのごとく白黒させていて、どうにも信じてもらえないようだ。とにかく自分たちは牛飼いで、牛乳を街に売りに行きたいと話すと、その男は難しい顔をして、


「罪人でない人が牛の世話をしたり野菜を育てるとそれだけで罪なのだ」

 と答えた。

「どのみち罪人じゃないですか。自分らが好きで農業をやってるんだから文句なんかつけようがないでしょう」


 父さんの論理はどこまでも的確なのであった。読む本といえば現代農業くらいのくせに頭が理路整然としすぎている。男は困った顔で、


「なんとか話をつけておくから、ノイで好きに商えばいい。変わった人もいるものだ」

 と答えた。跳ね橋は毎朝十時に開くという。


 囚人の一人が、さぶろうとよしみをぼーっと眺めていた。

「こら、ノクシ。手を停めるな。刑期を伸ばされたいのか」

「ご、ごめんなさい。あんまりきれいな馬だからつい」


 その囚人は裸の上半身にびっしりと入れ墨をし、指が何本かない。いわゆるやくざ屋さんみたいなものなのだろうか。その割にはびくびくして自信のない顔だ。


「……帰るか。腹が減ったよ」

 父さんはそう言い、さぶろうにひらりとまたがった。

 僕もどうにかこうにかよしみに乗り、たなか農場へ戻る道を歩き始めた。

 大河ドラマのオープニング映像みたいな林の中を、ゆっくり進んでいく。木々はさやさやと揺れ、太陽はそれに遮られて木漏れ日をきらめかせる。


 きれいなところだ。

「まいったなー……」

 父さんが頭をぽりぽりしている。


「なにが。牛乳を売りに行くめどが立っただけいいじゃん。ほかに何か」

「農業が囚人の仕事なんつったら祖父ちゃん荒れるぞ」

 と、父さんは渋い顔をした。……たしかに。


 たなか農場について、さぶろうとよしみを厩舎につないで、家に入った。ソーラーパネルがどうにか発電してくれているらしく、家電製品もかろうじて動いている。母さんが台所で昼ご飯を作っていた。カレーライスだ。昼間からか。そう突っ込むと、


「早いうちに腐りそうなものから食べないと、いつソーラーがぶっ壊れるか分からないし」

 という現実的な答えが返ってきた。というわけでみんなでカレーライスをもぐもぐする。きっと夕飯もカレーだなということを考えつつ、あの街まで馬で二時間程度、と説明する。


「じゃあ牛乳を搾ったら冷え次第売りに行く感じか。夕方のぶんの乳は翌朝」

「そうなりそうだな。まあその辺りは俺と稔でなんとかするよ、オヤジ」

 父さんは疲れた顔で笑った。祖父ちゃんは頷き、母さんはカレーをお代わりしている。

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