たなか農場の人々はただの愛想のいい農家である
そのとき茂みから「がさ」と物音がして、ぱっと振り返るとそこには緑色の変な生き物がいた。そいつは茂みから出てくるにはやたらと大きく、「ぐおお」とうなると、ずしんずしんと歩いてきた。手には棍棒を持っている。RPGによく出てくるあれだ! あれ? な、なんだっけ? とにかくそいつはのしのし僕らに迫ってくる。母さんが腰を抜かしてへたり込む。
コロが吠えた。
かなり激しく、わんわんわんわんと、中型雑種老犬のもてる最大音量で吠えた。
化け物は、それにびっくりして引き返していった。グッジョブ、コロ。
「はあ……びっくりしたぁ」
僕はぼそりとそうつぶやく。
「恵、立てるか?」
「大丈夫。なにあれ……うちはネズミーランドにでもつながってるの?」
「さあ……ありがとうコロ。あれ、祖父ちゃんは?」
祖父ちゃんが物置から現れた。手には猟銃が握られている。祖父ちゃんは猟友会に入っていて、猟銃のライセンスをもっている。いやしかしだからってあの化け物をそれでやっつけられるとは思いにくいんだけど。とにかくじいちゃんはきょろきょろして、
「さっきのやづどこサ行った?」
と、のんきに一言発した。逃げた、コロに吠えられて逃げた。そう説明すると、じいちゃんはなんだか残念そうな顔で、猟銃から弾を抜いて作業場に置いた。またあれが出たら撃つ気だ。
一同、作業場に適当なスツールを引っ張って来て座る。夜は明け始めている。太陽があらぬ方角から登ってくるのも見える。
「僕、思うんだけど」
僕は全力で真面目な顔をして、何が起こったか、想像したことを言った。
「異世界に飛ばされたと思うんだ。農場もろとも」
「……はい?」
「……あ?」
「……え?」
家族全員よくわからない顔をしている。僕だってよくわからない。はっきり言って、なにが起きたか想像しただけで、現実がどうなのかは分からない。それでも僕は、高校のころ文芸部にいたときのことを思い出して、いま「たなか農場」がどういう状況なのか説明した。
「ライトノベル……ってもわかんないか。本屋にいくと漫画っちい表紙の文庫本あるでしょ」
「現代農業しか買わんからなあ」
……父さんよ。もうちょっと文明化されてくれ。とにかく本屋にいくと、かわいい女の子が表紙だったりする漫画みたいな文庫本が売られていて、そのジャンルでいまべらぼうな人気なのが、現実世界のモテない君がゲームの世界みたいな世界に飛ばされ、なにかチートスキルを持っていて強い敵をばたばた倒し、エルフやけもの耳やその他もろもろの女の子に囲まれて幸せに暮らしましたとさ、という話のパターン――異世界転生モノであると、そう説明した。
「異世界転生モノ……ねえ。私そういうのよりイギリス貴族と恋に落ちるのが好き」
「母さんのハーレクイン脳はともかく。たぶん僕らは地震の衝撃で、異世界に飛ばされたんだ。だから十一月なのに冬みたいに寒いし、月は二つあるし、モンスターが出てくる」
「でも俺らになんのチートスキルがある。ただの愛想のいい農家でしかないんだぞ」
「それはわかんないけどさ……」
「た、ただの愛想のいい農家って」
父さんの「ただの愛想のいい農家」というフレーズが笑いのツボにはまってしまったらしく、くくくと笑っている母さんはともかく、男三人、真面目な顔で話をした。
「その異世界ずところで牛乳は売れるんだか?」
「わかんない。人間が住んでるなら売れるだろうけど」
「そもそも人間住んでるのか? ――あぁでもあっちに見えるの、街か」
父さんはずっと向こうにある港の町を指さした。レンガ造りの町で、道には石畳がひかれているようだ。わりに近くに人間が住んでいたことになんとなく安堵する。
異世界において、たなか農場はわりと高台にあるらしく、とても眺望がよい。レンガ造りの港町と、そこから広がる海が見える。
「牛乳採れるようになったら軽トラでいってみるか? いやガソリンがない可能性があるな」
「ガソリンかあ……科学とかってどうなってんだろ。見た感じ中世ヨーロッパっぽい……となるとジャガイモがないかもしれない。麦だって採れるかわからない」
「あってもそんなもんを飯にしなきゃなんねぇのか……戦時中を思い出すなこりゃよぅ……」
「でも異世界ってことは魔法が使えるかもしれない。魔王をやっつければ現実に戻れるかもしれない」
「魔法を使うにせよ魔王をやっつけるにせよ、俺らはただの愛想のいい農家だぞ。牛馬ニワトリ犬の世話と畑仕事しかできないんだからな」
父さんの言う通りなのであった。
そう、僕らはただの農家なのである。
ただの農家になにができる。農業はヘイ・ディや牧場物語ではないから、スワイプすれば乳を搾れるとか、水をやればどんな野菜でも育つとか、そういう楽しいものではない。
そういうゲームの世界に飛ばされてたらな。そんなことを考える。
でもそれはそれで、三年間で農場を復活させないと農場が潰されてレジャーランドにされてしまうので、うーむ、とりあえず「こんな世界だったらなあ」などとのんきに言っている場合ではなく、暮らしていく策を考えねばなるまい。
母さんがだるまストーブで朝ごはんを作り始めた。目玉焼きとトースト。ラピュタかと突っ込みたくなるメニューだが、温かいものは食べるとやっぱり満足する。
「この寒さだばサツマイモは貯蔵してある分も全滅だべな」
祖父ちゃんが目玉焼きに醤油をどばどばかけながらそう言う。え。サツマイモ全滅。そうか、サツマイモはもともと中国から九州に入ってきた作物だ。寒いところでは栽培に適さない。もともとのたなか農場だって、サツマイモは売れるほど採れないので主に干しておやつにしていたし、そうしないぶんは床下の貯蔵庫にしまっていたが、生のサツマイモは寒いとダメになる。
「祖父ちゃん醤油かけすぎ。サツマイモが全滅かあ……日が昇ってもぜんぜん暖かくないや。寒かったらアイスクリームは売れないし、だいいち砂糖があるかもわからないし」
「はあ……考えてたら疲れてきた。テレビ見てみるか」
父さんがテレビの電源をいれた。画面に、すさまじい津波の様子が映っている。
「津波……ひどいな。死者行方不明者は……まだ出てないのか。どのみち激甚災害ってやつだ」
「大雨が降ったり地震が起きたり、日本はどうなるのかしらね」
「日本……っていうかここ異世界だし……」
そのとき。
空をなにかがばさばさと飛んでいく。あまりに大きな羽音に驚き、みな顔を上げる。
――ドラゴンだ。真っ赤な体をしていて、大きな翼をばさばさ言わせて飛んでいく。
野生のドラゴンなんて初めて見た(当たり前である)。本当にここは異世界なのだ。そこでふと、ツイッターで見た「ドラゴンのいる世界ならドラゴンと戦うための設備ができるはず」というのを思い出す。たとえば投石器とか。
ばあん!
すさまじい猟銃の音。祖父ちゃん、ドラゴンなんか撃っちゃだめだ。もう一発火を噴くじいちゃんの猟銃だが、弾丸は見事にドラゴンの鱗に阻まれぱらぱらっと落ちた。
「だめか」
「祖父ちゃんなにに喧嘩売ってるの。やめて。頼むからやめて」
「なしてだめなんだ? いーべしゃ、空飛ぶ熊みでったもんだべ」
空飛ぶ熊て。祖父ちゃん文学的かよ。熊を撃つ感覚でドラゴンを撃って、反撃されたらシャレにならない。
とにかく一同疲れてしまった。牛は乳を出さないようだったので、てんでに休むことにした。太陽が出ているのにさっぱり暖かくない。むしろ寒い。ここ、もしかして標高が高いのかな。だとしたら寒くても納得できる。でもちょっと下が港町だ。やっぱりここ自体寒いのだ。
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