たなか農場ドラゴンを飼う
金澤流都
たなか農場の空には月が二つある
地震で跳ね起きた。牛。そうだ牛。近く初産の牛がいる。僕は慌てて作業着に着替え、作業用長靴を履いて家を飛び出した。寒い。11月のはずなのに完璧に冬の気温だ。ただし空気はまるで東京みたいに乾いていて、雪が降るような感じではない。
家族全員同じことに思い至って家を飛び出したらしく、すでに牛舎には明かりが点っていた。牛たちは不安げにモーモー鳴いている。結構大きい地震だった。震度3ほどだろうか。
父さんが初産の牛の様子を見て、
「うん、ちょっと気を付けてやったほうがいいな……もう間もなく仔っこもとれるとこだし……余震とかがないといいんだが。うちも設備がぼろくなった」
と、そうぼやいた。僕は安心して、寝なおすかと部屋に戻ろうと思ったが、なにやら作業場所に明かりがついてだるまストーブが焚かれている。テレビ――地デジチューナーにつながれた、ふっるいテレビデオ――も、NHKのニュースを流している。そうか、うちの屋根にはソーラー発電がついていて、作った電気をバッテリーにためているんだった。ニュースでは、このたなか農場のある地域が猛烈な地震に襲われ、深夜のため被害がつかめていない……という、ニュースにして流す価値があるのかどうか微妙なニュースをやっていた。どうやらたなか農場のあるあたりは震度六の猛烈な地震だったらしい。
「そんなにでかい地震だったっけ?」
僕は首をひねる。布団で寝ていてなんだかゆさゆさして起きただけで、本棚の本も崩れなかったし、高校生のころ作りまくったガンプラも無事だったはずだ。
「どうだべ。誤報でねが?」
祖父ちゃんがめずらしく煙草なんぞふかしながらそんなことを言う。母さんはだるまストーブの上にヤカンを置いてお湯を沸かし始めた。みんなにインスタントコーヒーが配られる。父さんは馬のさぶろうとよしみを見てきて、それからニワトリの様子も見てきたらしい。特に問題はなかった、と父さんは言った。
「震災のときはニワトリ圧死したんだがなあ……」
「まあ無事だったんだからよかったじゃない。被害がないのがいちばんよ。にしても寒いわね」
母さんはそう言い、コーヒーにクリーミングパウダーをぶっこんだ。
「うん、冬みたいな寒さだ。なんかあったかいもの食べたい」
「えーと。魚肉ソーセージでも食べようかしら」
母さんは事務所の、主に昼ご飯に食べるものを突っ込んである古い冷蔵庫から魚肉ソーセージを取り出しだるまストーブであぶり始めた。匂いを察知して、作業場の近くの犬小屋につながれていたコロがぷるぷる尻尾を振っている。
「お前爺さんになったくせに食欲だけはあるんだな」
コロは耳が遠いので音量を調節できず、えらくバカでかい声で「わん!」と叫んだ。
焼けた魚肉ソーセージをちょっとちぎってコロに差し出す。
がぶりと、コロは魚肉ソーセージでなく僕の指に噛みついた。爺さんとか呼んだのの意趣返しか。まるで、「あれ? このソーセージ噛んでも切れないぞ?」とでも言いそうな顔で僕の小指に全力で歯を立ててくる。一発叩いたらようやく気付いた。
「いってえ……指にあざ出来てらぁ」
「ははは……しかし震度六っていうのは信じられんなあ。なんかゆさゆさするな、くらいの感じじゃなかったか?」
「うん。僕もそう思う。震度六の地震なんか来たらコロが大騒ぎすると思うし」
「なんだっていいべ。生きてらんだものよ。はぁーあ……また油足りねぐなるんだべか」
油。おそらく灯油とガソリンのことだ。
震災のときはどっちもとんでもない貴重品だった。灯油が切れてしまったら、僕がたなか農場の目玉として作ったイチゴハウスが全滅してしまう。
たなか農場は、観光農場である。
おいしい牛乳、おいしいアイスクリーム、おいしい玉子、たのしい乗馬……小岩井農場を貧相にした感じだと思ってもらえばよろしい。だがいかんせん山奥なうえに、不況でお客さんなんてめったに来なくなってしまっていた。いまでは牛乳は農場内で売るのではなく、ちゃんと業者を通じて牛乳を売っているし、玉子だって「たなか農場のうみたて玉子」という名前で産直センターに卸して売っている。週に一回、乗馬教室を開催して、それにいくらか人が来るかんじだ。
深夜である、地震の様子はそんなに詳しくわかっていない。見ていて無駄だと、NHKから民放三局に回してみるものの、やっぱりわかっていない。テレビを停める。
「そうだツイッターだ」
僕は作業着のポケットに反射的に入れていたスマホを取り出した。……圏外。たなか農場はふつうに電波があるはずだ。インスタにばんばんUPしてもらうべく飛ばしたワイファイも死んでいる。基地局とかインターネットの線とか切れたりしているんだろうか。そればっかしは僕にも修理のしようがない。GPSは使えるかなと歩いて見つけて捕まえるゲームを数か月ぶりに開く。たなか農場の周りは基本的に畑と山しかないので、大学を終わって帰ってきてからぜんぜん開きもしていなかった。まあ圏外だから当然かもしれないが見事にGPSも機能していない。
「父さん、母さん、スマホどうなってる?」
「圏外。ワイファイも切れてる」
「私も。お義父さん、携帯電話どうです?」
「ほうきのマークだべ? なんもついてねぇよ?」
ため息をついていると、祖父ちゃんが、
「な? も……もるっとふれあいコーナーとか作らねくていかったべ?」
と言いだした。まさにその通りだと思った。僕は東京から帰って来て、この閑古鳥の鳴いているたなか農場の目玉として「モルモットふれあいコーナーをつくろう」と言いだしたのだが、祖父ちゃんに「食えねえものだば人は来ない」と言われて却下されたのであった。
「うん……動物だと餌の心配しなきゃないもんな。植物だったらそこまでじゃない。父さん、イチゴハウスの灯油ってどんだけ残ってる?」
「うーん。もって二か月って感じかねえ。それまでには交通も復旧するんじゃないか?」
父さんはそう言い、頭を掻いた。二か月か。それまでにはなんとかなるだろう。
というかイチゴ栽培自体適当に始めて適当にやっているので、いつ失敗してもおかしくない。僕は大学では畜産学を勉強したのでイチゴは守備範囲外だ。だがなにか目玉を、となったとき、僕の脳裏をよぎったのはテレビで芸能人たちが栃木にイチゴ狩りにいって「おいひー!」と騒ぐ姿だった。イチゴの苗自体は農協でいくらでも買えるし、設備だってそんなうんと難しいものではない。なんせ「そだててあそぼう イチゴの絵本」というのを図書館から借りてきて、かたっぱしからコピーを取ってそれを資料にして育てているレベルである。
駄目になったときはそのときでいいか。そう思いつつ、コーヒーをすする。
「電柵って生きてるの?」
母さんが父さんに尋ねた。電柵というのは牛を放牧するとき脱走したりしないように、また逆に害獣が入ってこないように設置する電気の流れるフェンスのことだ。
「うん、まあ――配電盤を見る限りでは動いてるな。しかしこの寒さで放牧したら牛も寒いんじゃないかねえ」
冷たい風が吹き抜ける。底冷えするような寒さ。空を見上げると、無数の星がきらめいていた。停電で星がきれいに見えるのだ――んん?
月が、変なとこから出てる。っていうか、月が二つある。なんだこれ。僕は唖然として空を見上げた。
「どうした稔」
祖父ちゃんがそう尋ねてくる。みのる、というのは僕の名前だ。
「祖父ちゃん。空。月が二つある」
「……は? え、あ……ああっ?」
祖父ちゃんは目を点にして空を見上げた。大きな月が二つ、ぬっと浮いている。それもなにか、ベクシンスキーとかギーガーとか、そんな感じの月だ。
「俺もボケたべか……いや稔も言ってらしボケてはいねぇな……なんだこれ……茂、空見てみろ」
茂というのは父さんである。ちなみに祖父ちゃんは豊だ。
「うわ! 月が二つあるぞ!」
「え、なにそれロマンチック」
「母さん、こういうときまでハーレクイン文庫みたいな脳みそ発揮するのやめて」
僕ら田中家の人々は、ただ茫然と、二つの月を見上げていた。なんだこれ。どういうことだ。理解が追い付かない。
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