最終話 コキアのせい
~ 一月三十一日(金) 十五センチ ~
コキアの花言葉
私はあなたに打ち明けます
本日は。
自宅学習期間に入る前日。
名目としては、それだけの日ですけど。
俺たちにとっては。
高校生活と呼べるものを経験できる。
最後の日。
……もちろん。
三月一日には学校に来ることになりますし。
それまでの間も。
何度かここへ。
足を運ぶことになるでしょう。
でも。
一時間目があって。
二時間目があって。
そしてホームルームがあって。
この学校で。
このクラスメイトと共に。
同じ時間を過ごす日々は。
今日でおしまい。
ほとんどの三年生は。
出席日数も十分足りていますし。
既に登校していないようで。
受験に備えて猛勉強。
あるいはバイトに遊びに時間を使っているようなこの時期ですが。
「……心底思う。このクラスには、変な連中ばかり集まったもんだ」
「おや? 珍しいですね、先生が俺たちを褒めるなんて」
「今のを誉め言葉と思って嬉しそうな顔をするのが貴様だけではなく、ほとんど全員とはどういうことなんだ?」
珍しく、軽口を言いながら苦笑いを浮かべる先生に。
笑顔を返す三十人。
――総勢三十二人のところ。
ほとんどの生徒が揃ったこのクラス。
先生ではありませんが。
ほんとに変わった連中ばかりだと思うのです。
その、変な連中の総元締め。
いつも俺の隣に座る女の子。
生まれた時から、ずっとお隣にいた。
幼馴染の。
姿が無い。
「あいつは。どこをほっつき歩いているのやら」
行方をくらませてから一時間半。
携帯は、電源が入っていないか圏外なために繋がらず。
もう三十分もすれば。
お昼ご飯のチャイムが鳴ってしまうのです。
「さすがにもうそろそろ……」
俺のつぶやきに。
半分くらいの皆は、仕方ないかとため息をついて。
もう半分からは。
いいや、まだだと。
冷たいことを言うなと。
厳しい視線を浴びせられたのですが。
「よし、約束通り一時間半待ってやったぞ。それではホームルームを始める」
この教室の専制君主がそう言ったのなら。
誰もが従うよりほかに無いのです。
……無論。
俺も待っていたかった。
自分ひとりだったなら。
いつまでも待っていたでしょう。
でも、ここには。
一番早くて、明後日には入試という人もいるわけで。
これ以上つき合わせるわけにいきません。
誰もが悔しい気持ちで。
先生が板書する『社会人』という文字を。
呆然と見つめていたその時。
教室の、前側の扉がガラリと開き。
「つ、連れて来たの!」
「はあ……、はあ……。な、なんでみんな、まだいるの?」
息も絶え絶え。
お母さんがぎっくり腰になったとのことで。
お休みしますと連絡を入れて来た神尾さんの手を引いて。
みんなが揃っていなきゃいやだと。
我がままを言って飛び出した。
軽い色に染めたゆるふわロング髪を。
天空七変化ビッグバン夜会巻きに結い上げたその頭に。
コキアをわんさかと咲かせたこの人が。
教室へ足を踏み入れるなり。
みんなにもみくちゃにされたのでした。
「でかした! 藍川!」
「ほんとにお前ってやつは……!」
「でも、いいんちょ、大丈夫?」
「うん……。どういう訳か、秋山君とこのお母さんが手伝いに来てくれて……」
「驚くような事しでかしますね、君は」
「ギャラの肉まん代は、後で道久君が払うの」
そして、大笑いで教室が満たされたところで。
先生がゴホンと咳払い。
俺たちは慌てて。
いつもの席へ戻ったのでした。
「……全員揃ったことについては、俺も嬉しい。だが、それは学生気分という言葉で括られるものだということを覚えておけ。お前達に教訓を話してやろう」
普通、先生の話というものは。
退屈なものと相場が決まっていますけど。
この人の話は。
実に分かりやすくて。
そして。
実にためになる。
俺たちは揃って姿勢を正して。
先生の言葉に耳を傾けます。
「先ほど、半分の者が藍川を待たずにホームルームを始めたいと考えていて、もう半分は待っていたいと考えていたな。……後者の者に聞こう。俺がホームルームを始めると宣言した時、なぜ反対しなかった?」
そんな質問に。
騒めくクラスメイトたち。
だって、一時間半も待ったところで。
先生がホームルームを始めると言ったのです。
どうして逆らえましょう。
でも、先生はみんなを鎮めると。
いつものだみ声で。
大事なことを教えてくれたのです。
「小学校では、他人との関わりの中で、自分という『個』を学ぶのだ。そして中学校では、それぞれの『個』を尊重し、協調することを学ぶ。ここまでが、義務教育なのだ。……では、高校では何を学ぶのか」
そして先生は。
黒板に書かれた『社会人』という文字の下に線を引いた後。
再び、岩のような顔を俺たちに向けるのです。
「……かつて、人は動物を狩り、植物を採取して生きていた。一人が狩りに成功して、それを仲間に分けるのは構わんだろう。……だが、その仲間や自分が飢えて倒れそうだというのに、やっとの思いで勝ち取った食料を持って帰ろうとした時、他のグループと出会ってしまったら分け与えるのか?」
原始時代のたとえ話。
先生は、よく持ち出しますけれど。
教育の大切さや。
職業の種類が豊富なことについて。
そんなことを説明するために持ち出された時には。
なるほどと納得しながら聞いたものですが。
今回のは。
難問です。
……でも。
この人にとって。
世の中の、すべての難問は。
悩むに値しないものらしい。
「そんなの、あげるに決まってるの」
「……彼らは、狩りに参加していなかったのにか?」
「そうなの。次から一緒に行けばいいの」
多分、先生は。
社会に出る俺たちに。
常在戦場の心構えで立ち向かえと。
時には穂咲や神尾さんを置いて進めと。
社会人として。
当然のことを教えてくれようとしたのに。
この人は、黒板に近付くと。
黒板消しを雑にふるって。
『社会』の文字を消してしまうのでした。
「こら、藍川。お前は仕事をする気が無いのか?」
「そんなの、もちろんあるの。世界一の目玉焼きやさんになるの」
「すぐ隣にライバルの店が出来たらどうする気だ」
「そんときはもちろん、美味しくミディアムレアでいただくか、美味しくスーパーウェルダンでいただかれるかの熾烈な戦いに立ち向かうの」
「熾烈では無いのです。悠長に焼き加減指定してますって」
呆れた穂咲の言葉に。
思わず突っ込んでしまいましたけど。
「しかも、どうして君はそこまで火を通されてるのさ」
「あたし、食えない女を目指してるからなの」
「バカバカしい。聞くんじゃなかった。……先生、続きをどうぞ」
話の腰を折られたせいで。
俺をにらみつけていた先生でしたが。
改めて口を開いたところ。
穂咲に機先を制されてしまったのです。
「先生の言いたい事は分かるの。社会人なんだから、戦わなきゃいけないときは沢山あるの」
「う、うむ。そのとおり。だから……」
「でもね? あたし達は、『社会人』の前に、『人』なの」
「ん? ……それがどうした」
「『人』だから。戦うばっかじゃなくて、笑ってるのが一番いいの」
……ああ。
君はいつもそう。
人生経験豊富で。
教師として、伝えたい言葉を厳選してきたこの人ですら。
目を丸くさせて。
いとも簡単に心変わりしてしまう。
その訳は、きっと。
真っすぐで。
温かい君の言葉が。
人生の答えに相違ないからだと思うのです。
だからでしょうか。
クラスの皆が。
ほら、こんなに笑顔で。
君を見つめているのです。
そして。
君に、今の言葉を教えたのは。
「たしかそれ、俺が穂咲とケンカした時、おじさんが教えてくれた言葉なのです」
道久君。
穂咲。
どんな動物だって。
ケンカをする。
仲直りもする。
でも。
笑う事が出来る動物は。
人だけ。
どうしてか、わかるかい?
おじさんのなぞなぞに。
どうしてなのと。
犬だって嬉しそうにするよと。
テレビでアシカが笑ってたよと。
俺たちは文句を言ったけど。
おじさんは、真面目な顔で。
答えを教えてくれたのです。
だって、人は。
笑うために生まれてきたんだから。
「……生きていくために、戦うことは必要かもしれないですけど。仕事だって大変でしょうけど。でも、俺も、できればみんなで笑いたいって、そう思うのです」
そう。
みんなで笑いたい。
穂咲の想いは。
いつも一つ。
こいつにとってのみんなに。
神尾さんが欠けていたらいけないわけで。
だから。
こんなに汗だくになって。
俺の母ちゃんまで巻き込んで。
みんなを。
笑顔にさせるのです。
「っというわけで、先生は、なんか面白い話をするの。みんなで笑うの」
「う、うむむ……」
「そんなネタも持ってないの? じゃあ代わりに、あたしが打ち明け話をするの」
みんなが柔らかい笑顔を浮かべる中。
穂咲は先生から教壇を奪い取ると。
ポケットから。
原稿のような物を取り出します。
……打ち明ける?
何を?
安心感と幸せで満たされていた俺の胸に。
もくもくと膨らむ、黒い入道雲。
それが、予想通り。
雷雨を呼んだのでした。
「穂咲へ。俺は穂咲のことが……」
「ぎゃああああああああっ!!!」
「あ、こっちじゃなかったの。えっと……、答辞。かささぎの渡せる橋も雨降りの夜には……」
「そっちじゃなくていい!」
「その! 前のやつ読んで!」
「絶対にそっちの方が笑える!」
「ちょおおっ! 絶対にダメなのです!」
読め読めと。
割れんばかりのコールが湧きあがりましたが。
もう一つ挟まっていた小さなボケのおかげで。
先生が騒ぎをとめてくれました。
「……藍川。前にも言ったと思うが、答辞は渡が行う」
「どうしてもなの?」
「何度も言わせるな」
そしてしょんぼりしながら席に戻った穂咲に。
未だに読め読めと声がかかりますが。
残念ながらこの人。
手紙ばかりでなく。
空気も読めないので無理なのです。
「……そんなに読みたいの? 答辞」
「答辞ってより、最後にみんなとお話したいの」
「なるほどね。でも、やっぱり君には相応しく無いのです」
「なんでなの?」
「だって君。就職浪人しそうですし」
俺の言葉に。
しばらく何かを考えていた穂咲でしたが。
それが、かっと目を見開くと。
「はわっ!? ……就職先!!!」
「え? 忘れてたの!?」
「……すっかり」
「ウソですよね!?」
ここ最近。
面接に行っていなかったと思ったら。
こいつ。
すっかり忘れていたなんて。
「道久君のせいなの」
「こら」
「道久君が忘れてたからいけないの」
そして風船のように膨れたこの人。
涙目になって俺をにらんでいますけど。
さっき褒めてあげたばかりですが。
やっぱり君は。
どうしようもないやつなのです。
気持ちが近づいたり。
離れたり。
いつまで経っても。
俺と君の隙間は。
この机の距離と一緒。
十五センチ。
ずっとずっと変わらない。
そう思ってきた通り。
いよいよ、学校はおしまいで。
机の距離も。
永遠にこのまんま。
「俺は十五センチというこの机の距離に、名前を付けようと思います」
「……なんて?」
「『結局のところ、埋まることのない俺と君との溝』」
「そんなことないの。だって、道久君が打ち明けてくれたから。手紙で」
「はあ? ですからそれは時効ですって」
俺は、机をいつでも離せるように。
両端を掴んで待ち構えたのですけれど。
……この人。
こういう時だけ。
異常な速さで動くのです。
がすん!
「ぎゃああああああ!」
「ほら、簡単に埋まるの。打ち明けたら」
「打ち付けてます! 指がああああ!!!」
「……うまいこと言うの。さあ、くっ付けるの」
「今ので、絶対にくっ付けたくなくなりました!」
そしてずりずりと。
椅子と机ごと。
十五センチの距離を保って。
教室中を追いかけっこ。
みんなに大笑いされながら。
とうとう廊下へ出てしまうと。
教室から。
いつものだみ声が聞こえてきたのです。
「……机はお前たちにくれてやるから。ずっとそうして座ってろ」
――どうやら、心の距離は。
机の距離は。
これからも毎日。
ずーっと毎日。
くっついたり。
離れたり。
永遠に繰り返しそうなのです。
ずっとこの机と一緒にいろ。
そんな沙汰を下された俺は。
思いのたけを。
全部のっけて叫んだのでした。
「今の命令! 学校が終わる前に聞きたかったのです!!!」
「秋山が立たされた理由」欄のある学級日誌 28冊目!
おしまい♪
……最後までお付き合いいただきありがとうございました!
二人の距離は、永遠に十五センチ!
そんな締めくくりのあと、二月はエピローグ的なお話を……。
「あ、そうだ。道久君、パパが出してくれたなぞなぞがあってね?」
うおおおい!?
ねえ、穂咲さん?
いまさら、何をねじ込んできたの!?
「寒いとまっすぐのびるものって、なあに?」
しらんっ!!!
縮むものなら知ってますけど……? いや、分かった!
つららなら下に伸びますから! それでおしまい!
「……上にって言ってたの」
ぎゃあああああ!!!
「秋山が立たされた理由」欄のある学級日誌 29冊目✨
2020年2月3日(月)より本編開始!
こんな流れですが、テイストはいつも通り!
なんとなくの日常(か?)。何となくのラブコメ(か?)。
いつもの秋立をお届けする予定です!
二人の卒業式まで、もうあと一ヶ月。
どうぞのんびりとお付き合いくださいませ♪
「秋山が立たされた理由」欄のある学級日誌 28冊目! 如月 仁成 @hitomi_aki
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