キンポウゲのせい


 ~ 一月三十日(木) 十五年 ~

 キンポウゲの花言葉

        子どもらしさ



 あと二日。


 いえ、明日は大学受験組には内緒で。

 打ち上げランチに行く予定ですから。


 今日が最後。

 そう、最後のチャンスなのです。



 ――お昼休みに。

 並べに並べた目玉焼き。


 俺がいくつも焼き上げたのですけれど。


「……全部違うっぽいの」

「そうでしたか」


 結局、最後の最後まで。

 食べづらい目玉焼きを見つける事はできませんでした。



 そんな、いびつな目玉焼きを。

 片っ端から平らげていくのは藍川あいかわ穂咲ほさき


「このために、朝ごはん抜いてきたから」

「そう言いながらお箸を置かないで下さい。もうちょっとだけ頑張って」


 キンポウゲがいくつも揺れる、軽い色に染めたゆるふわロング髪。

 それをフライパンの形に結って。


 中にはプラスチックの目玉焼きを入れているのですが。


 今日は、君が挨拶するたびに。

 目玉焼きを拾わなければならなくて面倒だったのです。


「しかし、予想通りと申しますか……」

「結局、めっかんなかったの」


 残念というよりは。

 どこか達観した眼差しで。


 窓から灰色の空を見つめる穂咲さん。


 そもそも、一ヶ月やそこらで見つかるはずもない。

 俺はそんなふうに考えていましたけれど。


 これはこれで。


「残念ではありますね」

「そうなの。残念なの」

「思い出の目玉焼き探しに付き合ってあげる機会も減ることでしょうし」


 俺が、複雑な思いのままにつぶやくと。

 穂咲は、ぼけっとした顔をこちらに向けて。


 ……いえ。


 一瞬にしてニヤニヤ顔になるとか。

 なにそれ怖いのですが。


「ふっふっふ。これからも、ずーっと手伝ってもらうの」

「無理ですって」

「だってこっちには、こいつがあるの! ……あれ?」

「ねえ。映画監督さんが、あちゃーって顔するからそういうのやめて」


 完全にNGシーンとなったのですが。

 どうやら穂咲は、何かを颯爽と取り出したかったようで。


 膝に鞄を抱え込んで。

 中身をガサガサ漁ります。


 これは時間がかかりそう。

 放っておいて。

 不良在庫処分に取り掛かりましょう。

 

「それ、この前見つけたって騒いでいた品のことなのですか?」


 俺は、嫌がるクラスの皆さんに。

 お手製の目玉焼きを配り歩きながら。

 ちょっと大きな声で穂咲へ訊ねると。


 返ってきた言葉も。

 クラスの皆に聞こえるほどの大声で。


 ……そのせいで。

 地球の上と下がひっくり返るほどの騒ぎが始まったのです。


「そうなの! ママがね? 証人は多ければ多いほど追い詰められるって言ってたからここで読もうと思って!」

「え? 証人ってなにさ」

「やっとこ見つけたから、ここで読むの!」

「だから。何を」

「道久君がくれたラブレター!」



 …………は?



「「「なんだってえええええ!?」」」




 穂咲が投じた魔球が。

 一斉にみんなの腰を浮かせると。


 途端に始まる。

 呆れた大騒ぎ。


「道久! ラブレターとか何考えてるんだ!?」

「そうよ! 直接告白しなさいよ!」

「っていうか、今更!?」


 ああ、頭痛い。


「しかし、ほんとに告白していなかったとは!」

「穂咲! 早く見つけて聞かせてよ!」

「いいな! いつもむっつりした秋山がどんなの書いたか知りたい!」

「ええい、しずまれしずまれい」


 俺は手にしたお皿を六本木君の机に置きながら。

 荒ぶるみんなをなだめます。


「お待ちください、いつもの穂咲の妄言ですって。きっと、破れたーとか下らないオチが待っているに決まっています。そもそも俺は、ラブレターなんてものを今まで一度だって書いて……、あれ? 書いて…………」




 る。




 ……待て待て! そうだ、忘れてた!

 学校のシュレッダーにかけようと思って。

 鞄の中敷きの下に入れっぱなしだったラブレター!


 俺は、最近はやりのラグビーよろしく。

 迫りくる手をするりとかわし。


 タックルしてきた幾人かをずるずると引きずりながら。


 鞄を開いて、中身を放り出して。

 中敷きを引っぺがすと……。


「あった! 処分しないと! ……はっ!? しまった!!!」


 そして、十数人に押しつぶされると。

 ラブレターを奪われて、穂咲に手渡されました。


「……これ、なに?」

「自分が見つけたと言っていたのにどういうことです!? 返しなさい!」

「返せと言われたら返したくなくなるのが人情ってもんなの」

「それは薄情というものです!」


 俺は必死に崩れたスクラムから這い出そうとしたのですが。


 抵抗すればするだけ。

 抑え込む方も必死になるもので。


「ええい、抵抗するな道久!」

「暴れれば暴れるだけ抑え込みたくなるのが人情ってもんだぞ?」

「このひとでなしっ!」

「もういっそ、これ使っちゃえば?」


 そして女子が運んで来た。

 モップと箒で。

 十字架に磔なのです。


「くそう! 解放するのです! リリースミー!」

「うるさい奴だな」

「あれ、なんの手紙なんだよ」

「話の流れ的にラブレターなんだろ?」

「藍川だってそう言ってるし」

「口が裂けても言いません! ……あ、渡さん! こいつらをとめて!」

「……言いなさいよ。卒業式の時に、この姿で出たくないでしょ?」

「渡さんまで!?」


 俺に味方はいないの!?

 とは言え、開封のうえ音読されたら最悪なのです。


 ここは理屈で説き伏せてみましょう。


「そいつは八歳くらいの時に書いたものですから時効です! ねえ、六本木君?」

「無期の懲役に当たる罪の場合は十五年だ。まだ時効じゃねえ」

「無期刑にあたるのですか!? おかしいでしょ!」

「いや、結婚は無期刑だろ」


 うんうんと頷く男子一同に。

 女子が噛みついていますけど。


 言い出しっぺが渡さんに。

 お前ちょっと顔を貸せと教室の隅に連れていかれたせいもあり。


 各所でにわか土下座が発生中。


 そんな中で。

 ひとり、きょとんとしたままの穂咲さん。


 今日もぽつりと。

 見当違いなことを言い出します。


「……ねえ、さっきも聞いたけど」

「はあ」

「これ、なに?」



 ……は?



 今度は。

 一同がきょとんとする番で。


 そんな全員の視線が。

 穂咲が手にしたラブレターではなく。


 逆の手に握られていた。

 ぼろぼろになった画用紙に固定です。


「……なにそれ?」


 思わず質問を質問で返した俺に。

 穂咲は、えへへと画用紙を広げて言うには。


「これ、三才ん時に道久君がくれたラブレター」

「三才? 三才でラブレターって……、なんて書いてあるの?」

「明日も遊ぼうねって書いてあるの。すんごい嬉しかったやつなの」



「「「ラブレターじゃねえ!!!」」」



「ラブレターなの。こいつのおかげで、道久君は明日も遊んでくれるの」

「藍川よう、なんか違うと思うんだけど……」

「そうよ穂咲。ラブレターっていうのは、もっとドキドキするような……」

「ラブレターなの」


 そう、平和な声音で返事をされたら。

 一同揃って、苦笑いするより他になく。


 嬉しそうにする穂咲を中心に。

 今、平和に幕が下りました。



 ……いえ。

 下ろしましょうよ。


 お願いですから。

 気づいちゃダメ。


「じゃあ、そっちの手紙は何なんだ?」

「ちょおっ!!! それはダメなのでもがっ……!」

「うるさいなてめえは」

「藍川、開いてみろよ」


 やめてっ!

 それだけは!


 俺は無駄と知りつつも。

 必死に暴れてみたのですが。


 その甲斐もなく。

 穂咲は雑に封を切って。

 中身を見た直後に。


 顔から火が出たかと思う程真っ赤になって。


「こここ、これっ!!! ラブレターなの!!!」


 一同を大喜びさせるセリフを吐いたのでした。


「やったな藍川!」

「良かったね、穂咲!」

「道久~! にくいねこの~!」

「ですから小学生の頃に書いたものですってば!」


 どれだけ大声を張り上げても。

 それを軽々と打ち消す大騒ぎ。


 そんな中。


 穂咲はぽてっと椅子に落ちると。

 左手に持った手紙を何度も読み返しながら。

 余った目玉焼きを口に運んで。



 ……そして。

 ぽろりと涙を零したのでした。



「穂咲?」



 どんちゃん騒ぎで盛り上がっていた一同も。

 穂咲の様子に気が付いて。

 しんと静まり返ると。


 涙をぽろぽろ流しながら。

 そのくせ、ニヤニヤとしながら。


 手紙を見つめたまま。

 目玉焼きを箸で唇のそばまで運んでは。

 口に入れずにその手を元に戻す穂咲の姿を。


 じっと見つめるのでした。


「穂咲……、どうして泣いているのです?」


 そして、俺が訊ねると。

 涙に濡れたタレ目で見上げてきて。


 えへへとにやけながら。

 訳を話してくれました。


「思い出したの。……これなの」

「食べづらい目玉焼き? ……まさか、にやけてたせい?」


 うんと頷く穂咲は。

 再び目玉焼きを口に運んだのですが。


 やはり、えへへとにやけてしまい。

 口からぽろりと白身を落として。


 そして、頬を赤くさせながら。

 再び俺を見上げて言うのです。




「……こっちの画用紙のラブレター貰った時にね? パパが、ずっとあたしを冷やかしてたの。……良かったねって。お嫁さんになるのかい? って。……だからあたしは、照れくさくって、嬉しくって。お昼ご飯の目玉焼き、食べれなかったの」




 ――三才の頃の俺が。

 どんな気持ちで書いたものか。

 それは分かりませんけども。


 でも、その手紙は。

 君とおじさんに。

 あたたかな時間と思い出を。

 あげることが出来たのですね。



 ……明日も遊ぼうね。

 そんな落書きが。


 陽だまりの中で、いつまでも幸せそうに笑う二人の時間を。


 十五年もの間。

 ずっと二つ折りになって。

 隠していたなんて。



「…………見つかってよかったですね」

「えへへへへなの」

「そうですか。ずっと明日、遊ぼうねと約束していたのですね」

「そうなの。パパがね? 良かったねって」

「おじさんが……。そうだったのですね」

「うん。だから、これからもずっと、明日、遊ぼうね?」


 真っ赤な顔をして。

 穂咲が微笑んだので。


 俺もにっこりと笑いながら。

 大事な気持ちを伝えました。



「ずっとなんて無理に決まってます。三才のころに書いたものなので無効です」



 ……もちろん。

 この一言を皮切りに。


 クラス一同。

 窓ガラスをすべて吹き飛ばすのではないかというほど大爆発。


 泣きじゃくる穂咲すら放置して。

 十字に縛られた俺を担ぎ上げ。


 掲揚ポールの紐に括って。

 天高く吊るし上げたのでした。



 ……でも。

 分かって下さいな。



 恥ずかしかったのですから。

 しょうがないでしょう。



 そんな俺は。

 ローカル局のニュースで。


 卒業を前にした暴走高校生というタイトルで醜態をさらして。


 人生最大の恥ずかしさを。

 体感することになりました。




 ……まあ、それはいいとして。

 ラブレター返して。

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