モノクロのわがまま

権俵権助(ごんだわら ごんすけ)

モノクロのわがまま

 みのりが彼女を最初に見かけたのは下校途中の公園だった。腰まで届く艶のある黒髪と、対称的な真っ白なワンピース。ベンチに腰掛けて本を読んでいる姿に、つい足を止めて見惚れた。時折まばたきをする度に、長い睫毛が揺れる。その膝の上には、珍しい冬の陽気に心を許した黒猫が、気持ち良さそうに寝息を立てていた。その光景は、まるで美しいモノクロの絵画のように見えた。


「あの……隣、いいですか?」


 みのりは思い切って声をかけた。こう見えて、クラスいちの人懐っこさで知られている。彼女は、人見知りや物怖じは人生から多くのチャンスを奪うと考えていた。


「ええ、どうぞ」


 その柔らかい笑顔は、先程までの荘厳な雰囲気とは良い意味で違った印象を与え、みのりはそのギャップにまたドキリとした。


「いきなりごめんなさい。あんまり綺麗な人がいたから……」


 みのりはこういう時、嘘と回り道ができない性格だった。その急な告白に、黒髪の女性は一瞬目を丸くした後、いたずらっぽく笑った。


「ふふっ、ちょっと急ぎすぎね」


 言いながら、白く細い指をみのりの髪に挿し入れて、頭頂部からゆっくりと首筋の出口まで下ろした。


「あ、あの……」


 自分の告白よりも大胆な彼女の行動に、みのりは両の頬が熱くなるのを感じた。


「でも、ごめんなさい。私、長い髪の人が好きなの」


「えっ、あっ、そう……ですか。あの、こちらこそごめんなさい! 突然変なこと言って! それじゃあ、さようなら」


 みのりはわたわたとベンチから腰を上げて、逃げるように公園を出た。


※ ※ ※


 翌日。


 ポジティブさが長所であるみのりはめげずにまた公園にやってきた。今日も、あの女性は同じベンチに座って本を読んでいた。昨日とは対称的な黒いワンピースで、白猫を膝に乗せている。


「こんにちは。今日も隣、いいですか?」


 女性はみのりを一瞥すると、また本に視線を戻して静かに頷いた。なんだか昨日とは雰囲気が違っていて、みのりはまた胸の鼓動が高なった。


「あの……どうですか? これ」


 みのりは少し恥ずかしそうに視線を逸らしながら、ウィッグで長く伸ばした髪をつまんで見せた。


「……好き」


「えっ!?」


 好意的な反応がもらえたらいいな、くらいに考えていたみのりは、そのストレートな一言に心臓が飛び出るかと思った。


「……長い髪は、好きよ」


 自身のことではなかったので少しがっかりしたけれど、それでも嬉しい言葉だった。


「あっ、あの! 今はまだ短いけれど、これから伸ばします! 何年かかるか分からないけど、必ず伸びるので! 髪の毛は!」


 その頓珍漢な言葉選びに、女性は今日初めて表情を崩して、思わずフフッと声を漏らして肩を震わせた。


「面白いのね、あなた。……うん、そうね」


 女性はみのりの目をまっすぐに見つめると、ぐっと顔を近付けた。彼女から漏れた白い吐息が、温もりを保ったままみのりの唇に触れた。


「……っ」


「睫毛は、もう少し長い方が好きね」


「じゃっ……じゃあ、明日はマスカラっ……頑張ってつけてきますっ!」


「本当に可愛いのね、あなた。……でも、明日もきっと、また新しいわがままを言うと思うわ」


「わがまま上等です! だって、わがままを一つ聞くたびに、あなたに好きになってもらえるんですから! それじゃあ、また明日です!」


 元気に手を振って公園を出ていくみのりの後ろ姿を眺めながら、女性は小さく呟いた。


「あんないい子、あまり困らせちゃダメよ。ねえ」


 膝の上の白猫を、優しく撫でた。


※ ※ ※


「ふふっ」


 翌日、再び公園に現れたみのりを見て、白いワンピースの女性はつい吹き出してしまった。つけすぎて滲んだマスカラが、みのりを小さなパンダにしていた。


「えっと……初めてだから、あんまり上手にできなくって」


「ふふ……それも可愛いと思うけど。うん、また今度、私がやってあげるね」


「本当ですか!」


「うん」


 優しい笑顔。今日は、また初めて出会った時の彼女に戻っていた。


「じゃあ、次のわがままを聞かせてください!」


 どこまでも前向きなみのりに、女性は少し困った表情を見せた。


「それじゃあ……読書が好きな、物静かな人がいいな」


「えっ、それは……」


 見てくれは変えられても、内面はそうはいかない。いくら前向きなみのりでも、その言葉が持つ意味は理解できた。女性は続けた。


「あのね……私、好きな人がいるの。髪が長くて、睫毛がピンと立っている、物静かで読書好きな人が」


「……そうですか」


 自分が彼女の好みからかけ離れていることは初めから分かっていた。それでも、直接その口から聞くのは辛かった。


「でも、困ったことがあって」


 膝の上の黒猫を撫でながら言った。


「だんだん、あなたのことも好きになってきちゃったみたい」


「ええっ!?」


「今日の深夜……日が変わる前に、またここで会えるかな?」


※ ※ ※


(……いた!)


 その日の夜、こっそりと家を抜け出したみのりは、心細さと戦いながらどうにか公園に辿り着き、いつものベンチに彼女の姿を見つけて、ようやくホッと一息をついた。真っ暗な公園でひとり、暗い照明に照らされた彼女……白いワンピースと膝の上の黒猫……そのモノクロの世界は、昼間よりもずっと神秘的に見えた。


「ありがとう。来てくれて」


「いえ! でも、こんな寒い日の夜にだなんて、どうして……?」


「……ほら、日付が変わるわ」


 彼女が見上げた公園の時計塔が、ちょうど0時を指した。と同時に、黒猫が彼女の膝から勢いよく飛び降り、地面の上で毛を逆立てて震え始めた。その姿はみるみる大きくなり、そして"人"を形作っていった。立ち上がったその人は、黒いワンピースに身を包んだ……もう一人の彼女だった。みのりは、自分が見ているものが信じられなかった。


「紹介するね。私の双子の姉さん……私の好きな人」


「あの……えっと……どういう……」


「私達は、神様に怒られたのよ」


 静かな口調で、黒い彼女が言った。


「……怒られた?」


「女同士だからか、姉妹だからか、それともその両方か。分からないけれど、私達が一緒にいられるのは日付が変わってから一時間だけ。1時を過ぎれば、今度は妹が猫になるの」


「そんな……」


 理屈は分からなくても、意味は分かった。


「私も姉さんも、あなたのことを好きになってしまったの。だから、お別れする前に本当のことを伝えたかったの」


「私達に巻き込まれたら、あなたは幸せになれないから」


 みのりを自分たちの事情に深入りさせない。それが二人で決めたことだった。けれど。


「巻き込んでください!」


 みのりはそういう子だった。


「好きな人と一緒にいられないことが辛いって言うなら、それ、私だってそうです! っていうか、私なんて二人ですよ? 私の方が二倍辛いです!」


 そのおかしな叫びに姉妹は一瞬あっけにとられて……それから、同じタイミングで笑った。


「フフッ、そうね、そうかもしれないわね」


「私ね、あなたのそういうところが好きなの」


「えっ? えっ?」


 言った本人は困惑していたが、その深刻さを感じさせない妙に前向きな言葉は、姉妹に絡みついていた鎖を解きほぐす力を持っていた。


「うん、分かった。それじゃ、一緒に神様を怒らせようか」


「……はいっ!」


※ ※ ※


 それから、春が来て。


「姉さん、今日はどこに行こうか」


「そうね、桜でも見に行きましょうか。……あなたも、それでいいかしら?」


 振り返ると、姉妹の後を小さな三毛猫が小走りで付いてきていた。幸せそうに笑うその子は、猫には珍しい人懐っこさだったという。

 

-おしまい-

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モノクロのわがまま 権俵権助(ごんだわら ごんすけ) @GONDAWARA

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