完璧な世界
綿貫 ソウ
百年後の未来へ
──未来研究センター所長室
そこで、所長とエヌ氏が難しそうな顔で向かい合っていた。
「君、完璧な世界とはなんだと思う?」と所長は問う。
「全ての人が幸せな世界、ですかね」
エヌ氏は笑みを浮かべた。
「そんな未来だといいな」
「はい、もちろん」
「期待してるぞ」
数分後、エヌ氏は百年後の未来に向けて旅立った。
1
エヌ氏は未来センターの研究員だった。
氏は五年前からそこで働いており、今回でやっと未来に行く許可が下された。エヌ氏の『未来に行きたい』という幼い頃から夢が、ついに叶ったのだ。押さえきれない胸の音を聞きながら、エヌ氏は未来に降り立った。
「うわぁ………」
エヌ氏が周囲を見わたすと、どうやらそこは住宅街のようで、アパートなどが整然と立ち並んでいた。そんな光景を見ながら道路で立ち尽くすエヌ氏の元に、一体の人型ロボットが近づいてくる。
「ようこそ、ココは完璧なセカイです。」
何事かと身構えるエヌ氏に、ロボットはそう言った。そして、役目を終えたとばかりに、そそくさと去っていった。
エヌ氏は首を傾げる。
「どこが完璧なんだろ……」
もう一度、エヌ氏はあたりを見渡す。
ビルのような高いものはなく、平屋が立ち並んでいる。僕らの時代となんら変わらない、平凡な風景だ。
あまり文明は進化してないのか、とエヌ氏は思った。
2
少しして、エヌ氏は人を探した。
未来研究で、人は重要な資料なのだ。
「すいません」
近くで散歩していた老父に、エヌ氏は声をかける。
「ええ、なんでしょう……」
「ここはどこでしょうか? 東京ですか?」
「いいえ、完璧な世界ですよ」
「はい?」
「じゃあ、また」
「え、ちょっと待って!」
エヌ氏は呼び止めるが、老父は走り去ってしまった。
3
どういうことだろう。
エヌ氏は顎に手を当て、思考を巡らせる。
「文明は発達してないし、言語すら同じだ。進化は止まってしまうのか……」
未来がそれほど変わってないと知ったら、所長は何というだろう。もし未来に価値がないと知ったら、研究は打ち切りになってしまうかもしれない。
「このままではまずいな……」
エヌ氏は駆け出した。
未来の有益な情報を集めるために。
4
住宅街を抜けると、エヌ氏の前に大きな広場が現れた。広場にはすべり台や砂場があり、大勢の子どもたちが声をあげて走り回っている。
そんな平和な風景の中に一つ──黒い影が混じっているのを、エヌ氏は認めた。
「お前ってほんとキモいな」
「ウザいし」
「早く死んでくれよなー」
広場の一角、大きな木の陰に、中学生くらいの男たちが一人の少年を囲っていた。それは、はた目にもいじめだと分かった。
エヌ氏は憤慨した。
百年後にもいじめがあるとは!
「いじめはだめだろう!」
近づいてそう言うと、いじめのグループはあっけなく散っていく。残ったのはボコボコにされたいじめられっ子、ただひとりだ。
「大丈夫かい?」
エヌ氏はそう言って、優しく手を差し伸べる。
だが、その手は握られなかった。
「聞こえるかい? 大丈夫?」
少年は微動だにしない。
ただただ、気味の悪い、薄ら笑いを浮かべているだけだ。エヌ氏はそれが気持ち悪くて仕方なかった。
「なあ、ここはどこなんだ?」
エヌ氏は問う。
すると少年は急に満面の笑みを浮かべた。
「完璧な世界さ」
5
その後もエヌ氏は未来を駆け回った。
コンビニ、病院、牢獄。
「ここはどこですか?」エヌ氏は聞いた。
店員に、病人に、囚人。
その誰もが「完璧な世界」を口にした。
もう、なにがなんだか分からなかった。
6
このままでは、未来の研究はお破産である。エヌ氏は広場に戻り、顎に手を当てて思案した。
「なにか見つけなければ」
エヌ氏は考えて、ナイフを取り出した。
刃渡り10センチの小型である。
そして、広場のベンチに座っていた小学生くらいの少女にそれを突き刺した。
「なんで……っ?」
少女は驚いたような顔をして、すぐに歪めた。痛みに耐えられないのだろう。
「さあどうだ……痛いだろ? 苦しいだろ? 完璧じゃないだろ?」
少女の腹から血が溢れ出る。
苦痛のせいか、少女がうめき声をあげた。
「さあ聞こう。ここは、一体どこなんだ……?」
エヌ氏はぐりぐりと、ナイフを押す。
少女はこの世の終わりとばかりに顔を歪めている。
そして、
「完璧な世界よ」
笑った。
7
しばらく悶えた後に、少女は死んだ。
なんの役にもたたずに死んでしまった。
「どこが完璧なんだよ!」
エヌ氏は怒りにまかせてナイフを投げ捨てる。
手には赤黒い血が、へばりついていた。
8
「キンキュウジタイ。」
エヌ氏がそうしていると、何処からともなく機械音が近づいてきた。
「キンキュウジタイ。キンキュウジタイ。目標を捕獲シマス。」
どうやら、この世界の警察が来たようだ。
しかし、どこかで聞いたことのある声だった。
「なんだ、おまえか」
エヌ氏の前に現れたのは、初めて未来に来たときに会った人型ロボットだった。
「タイホします。あなたは人を殺しました。」
ロボットは機械音を鳴らしながら、エヌ氏の腕を掴み、手錠をかける。
「抵抗シテモ無駄です、大人しくしてクダサイ」
「わかってるよ」
エヌ氏はうなだれる。
こんな未来に来て逮捕なんて、最悪だ。
でも、それよりも──
「なあ、それより……」
「ナンでしょう?」
「この世界、どうなっているんだ?」
エヌ氏の質問に、ロボットは黙った。
「おい、説明してくれ。俺は過去から来たんだ」
その途端、ロボットは動きを止めた。
エヌ氏を見る目が変わったのである。
「ソウでしたか。誠に申し訳ありませんでシタ。拘束を、解放シマス。」
手錠が、外される。
わけも分からぬままエヌ氏は解放された。
「この度は遠いところから、アリガトうございます。」
ロボットはお辞儀。
「なんだよかしこまって……それより説明しろよ。これは一体どういうことなんだ」
「ナニか、おかしいですか?」
「おかしいよ。この世界が! ……なにが完璧だよ。みんな狂ってるよ」
完璧な世界です。
この世界の住人は口を揃えて言う。
たとえいじめられても。
刺されていたとしても。
死が迫っていても。
完璧です。
この世界は完璧です。
みんな、狂ったみたいに──
「狂ってナドいません。」
ロボットは顔色ひとつかえない。
「この世界は完璧なのです。」
「どこがだよ?」
エヌ氏が聞くと、ロボットは言った。
「たとえば、この世界の人はみんな幸せデス。我々AIが開発した、『幸せな空気』を吸って、充実した日々を送っています。人間は幸せが好きです。だから、この世界は完璧なのデス。」
……………。
「幸せな空気って、なんだ……?」
エヌ氏は息を止める。
嫌な予感がしていた。
ロボットが口をひらく。
「『幸せな空気』はAIシステムが作り出した、科学物質です。その空気を吸うだけで、幸せを感じるホルモンが分泌され、人間は幸せになりマス。今の世界はこの『幸せな空気』が覆っているのデス。」
「それを皆は知っているのか?」
「知りません。私たちAIの判断デス」
「そんなことが許されると思ってるのか」
ハイ、とロボットは言う。
「2xxx年、世界政府は政治のすべてをAI──つまり私たちに任せました。そうすれば公平で最善な世界になると思ったからです。──だから私たちは多くの人が『幸せ』になる方法を考えて、それを実施しているのデス」
「でも……」
「私たちが生み出した『幸せな空気』によって、全人類は幸せになりまシた。よって自殺者がゼロになり、不幸な人もいません。文明の進化も、もう必要ではないのデス。」
9
「さあ、この技術を過去に持ち帰り、アナタの世界もいち早く『幸せ』ナ世界にしましょう」
どこまでも機械的、つまり技術力のないロボットだ。
エヌ氏は怒りに震えていた。
「そんなのは幸せじゃない。幸せは自分たちで作るものだ! 機械なんかに操られてたまるか!」
エヌ氏は大声で言い切る。
途端、ロボットが首を傾げた。
「幸せってなんですか? ロボットに操られる『幸せ』は幸せじゃないのデスか?」
ロボットは言う。
「そもそも、個体によって『幸せ』の量が異なるのは不平等デス。運動や勉強ができない、夢が叶わない、そんなのは産まれる時に決まります。そんな世界、完璧じゃありませんよ」
それにほら、とロボットは続ける。
「あなたも、いま、幸せでしょう?」
10
──未来研究センター所長室
百年後から、エヌ氏は帰った。
「所長、ただいま戻りました」
「おかえり、百年後はどうだった?」
エヌ氏は所長の前に立ち、研究の結果を報告した。
「なに!? 文明が進化してないだと?」
エヌ氏がまとめた資料を片手に、所長は声を荒らげた。
エヌ氏もそれに賛同する。
「まったくですよ!」
「こんなんじゃ研究しようもない。ヤメだヤメ!」
「そうです。もう研究する必要なんてないんですよ」
予想外の結果に、所長は意気消沈するようにうなだれる。期待していた未来は裏切られ、研究する資料もない。未来に良いことなんて、一つもないのだ。
「まったく……どんな世界なんだ…………」
そうしてうなだれる所長を前にして、エヌ氏は落ち着いていた。しかも、なぜだか微笑んでいる。その幸せそうな表情をたたえ、エヌ氏は満足げに答えた。
「完璧な世界ですよ」
完璧な世界 綿貫 ソウ @shibakin
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