第5話 蛍
セツは蚊帳の中に、蛍を三匹、二匹、四匹と放しながら、遠くに蛙の鳴くのを聞いていた。
傍らには、つい、先刻(さっき)まで、蛍狩りに小川や田圃まで出掛けた娘のチヨが静かな寝息をしていた。
蚊帳の中に放ったのは、ゲンジボタルに較べて小柄で、灯りも柔らかなヘイケボタルであった。
時代は大きく変わっていた。
年号が、慶応から明治に変わり、将軍はいなくなり、天皇が京都から江戸という名であった東京へと遷都してきた。
藩はなくなり、県となった。
その少し前には官軍と名乗った、薩摩や長州を中心とする兵隊達が、この奥州を蹂躙し、北の島、蝦夷地(えぞち)に残って最後まで抵抗した旧幕府軍を制圧した。
多くの血が流れた。
セツの夫、徳太郎は奥州連合軍の一兵士として、奥羽山脈を越えて出掛けたが、五年経っても杳として所在はわからないままであった。
風の噂では、太一や主水、与助とともに蝦夷地まで転戦していったとも言われていた。
縁側からは、夜の涼しい風が吹いて来ていた。
セツはチヨの寝顔を覗きながら、蚊帳の裾を上げて、蛍たちを蚊帳の外へ逃がしてやった。
蛍たちは青白い仄かな灯りを消したり、点したりして、セツに礼を言うように飛び回りながら、蛙の鳴く方に遠ざかって行った。
薄暗い夜景を眺めていると、夫の顔が目の前に浮かんだ。
その顔を見るのは今夜が初めてではなかった。
夢に見ることもあった。
ある時は笑顔でこっちの方を眺め、ある時は血だらけで恨めしそうな顔をしていた。
セツは三十路にまだ届かない、大柄で、目の大きな、色の白い、まだ女の盛りであった。
村の若い男たちからも、中年の男寡からも、それ以上年上の男達からも好色な視線を投げ掛けられることも多くなっていた。
男達は亭主が行方不明になった女の魅力の虜になっていた。
村には若い女も多かったが、男達はセツだけがこの世の女に見えるようであった。
昼間にセツが農作業を始めると、何処からともなく男達がやって来て、全ての作業をしてくれる始末。
セツの性格が幸いして、面と向かっては亭主や男達を叱る女たちはいなかった。
それでも、セツは女達の我慢の限界が近づいて来ているのを感じて、「ふっ。」とため息をついた。
新政府になって、身分制度は大きく変わった。
士農工商という身分は無くなり、武士は刀を差すこともなくなった。
誰もが四民平等という制度の中に戸惑っていた者も多かった。
皆、誰でも苗字が許され、檀家(だんか)寺での人別登録が、役場というところで戸籍を届けるようになった。
セツは遠い親戚で苗字帯刀を許されたところが「小野寺」であったので、「小野寺 セツ」と届けた。
長女は「小野寺 チヨ」となった。
その時、役場の戸籍係りから、尋ねられた。
「小野寺 セツさん、戸籍筆頭は当分の間、小野寺 徳太郎さんで登録しておいて良いですか。」
「はい。そのようにお願いします。」
「蝦夷地も、北海道となってから、少しずつ帰ってきている人も出てきているようだから、気をしっかりして旦那さんの帰ってくるのを待てば良いと思うよ。」
「ありがとうございます。」
役場の戸籍係の老人は太一や主水、与助と徳太郎のことを良く知っていた。
暗がりで、昼間、戸籍手続きをしていた時のことを思い出し、亭主は必ず帰って来ると信じた。
そうこうするうちに、セツは眠りに付いた。
庭にいた雄鶏の声で目を覚ました。
チヨを起こして、鶏たちや馬に餌をやり、アヒルを池に放した。
チヨと二人だけでの朝御飯は五年になろうとしていた。
父親を知らないチヨは父親の消息を訊ねることがないのがセツの心を苦しめないで済んだ。
朝御飯を済ませると、一尺以上にも伸びた稲の様子を見に行かなければならなかった。
今年は稲の生長も順調で、もう少し暑くなると、雑草を取る作業が待っている。
今は比較的農作業も暇な時期であった。
セツはチヨを連れて町へ出掛けることにした。
畑で採れた野菜を抱えて、それを町の市場で売り、その銭でチヨのために何か購おうと思った。
それに繕いものをするための針や糸も買わなければならないと思って、去年畑で採れた小豆も背中に背負った。
それでも、握り飯と飲み物を抱えての一里半ほどの散歩はセツ親子には楽しいものであった。
強い日差しを防ぐために二人は菅笠(すげがさ)を被って歩くと、すれ違う男達はそれぞれに声を掛けてきた。
「今日は、いい日和ですね。町へお出かけですか。」
それに対して、セツがいちいち対応している母親をチヨは見上げながら懸命に歩いた。
一里ほど歩いたところで、木陰に座って、早い昼ご飯を食べることにした。
六月の終わりになり、夏も近づいているが、木陰に座って、頬に当たる風はまだ心地が良かった。
遠くで、郭公の声がした。
「カッコウ。カッコウ。カッコウ。」
チヨが鳴声を真似た。
「カッコウ。カッコウ。カッコウ。」
そう、叫びながら、母親を笑顔で見上げた。
セツも、チヨに合わせて叫んだ。
「カッコウ。カッコウ。カッコウ。」
親子が声を合わせた。
「カッコウ。カッコウ。カッコウ。」
「カッコウ。カッコウ。カッコウ。」
すると、何処からか、太い声で同じような声が聞こえた。
「カッコウ。カッコウ。カッコウ。」
怪訝な顔をして、チヨが母親の顔を覗き込んだ。
セツは、その声に聞き覚えがあるような気がしたが、それを懸命に打ち消した。
早い昼飯を終えて、二人は宿場町へと歩き出した。
そこから五町(約5百メートル)ほど離れた松の木陰に三十半ばの男が空を見上げながら、寝そべっていた。
「カッコウ」という声がしたので、幼い頃を思い出して、大きな声で応じた。
「さて。」と、独りごとを言った男の身なりこの地では珍しい洋装であった。
ズボンを履き、筒袖の上着にはボタンがついていた。
洋装は明治になって制定された巡査の服装や、裕福な男が革靴やマントを着るようになってきたので訝る者は少なくなっていた。
男は背中に皮製の兵(ひょう)嚢(のう)(ランセル、今のランドセルの原型)を背負いセツたち親子と同じ方向に歩き出した。
男は、そう、徳太郎であった。
太一や主水、与助とともに仙台湾から蝦夷地、北海道の函館へと渡り、函館戦争で官軍に敗れた後、北海道の各地を彷徨いやっとのことでこの地に戻って来たばかりであった。
函館では、元、新選組のあの土方歳三に会うことが出来た。
彼は、京の都へ多摩の在所から繰り出した時のことを話してくれた。
近藤勇も土方も幼い頃は平和な在所であったそうだ。
黒船が来て、日本中が騒がしくなり、平和だった多摩にも物騒な連中が我が物顔で跋扈するようになってきた。
試衛館では在所にある古い武術を習うなどしていたが、村を荒らす連中を排除するには役に立ったそうだ。
それを聞いて、与助はまるで太一さんや主水さんのようだと話していた。
土方もまた、与助と同じで、大儀とか正義などを口にしながら人を殺し、人を脅し、火付けするあつかましい連中が許せなくて、勇を焚き付けて上洛したのだそうだ。
ところが、有志を募って京都に着いたとたん、食わせ者がいて、尊王攘夷を言い出すのが現れた。
清川八郎と彼に鼻毛を抜かれたような連中が正体を現した。
今にして思えば、これがケチの就きはじめだった、と歳三は寂しく笑った。
近藤勇は幼名を勝太と言ったので、土方は二人きりでは彼を勝ちゃんと呼んでいたが、
勝ちゃんと自分達は京都に残ることにしたのだそうだ。
そのうちに、仲間だと思った芹沢鴨とその一派が無法者としか言いようのない連中だったので、これを機会を見て排除した。
その後は、京の都での治安の維持を任されたそうで、池田屋事件などはその中の一つでしかなかったそうだ。
その後は自分の思うままには行かなかったと寂しそうに言っていた。
故郷を離れて、故郷の平和を守るために京洛に来て、繰り返されるのは殺戮と裏切りの連続。
終には、一番上に抱いていた将軍にも裏切られて、後は意地でこの地に来たのだそうだ。
自分の意地で随分、友や部下達を道連れにした、と、俯いた。
彼の最後の日の朝。
太一たち、百姓からやってきた兵隊を集めて、彼は言い聞かせるように、命令するように言った。
「武士として、意地を掛けて命を捨てるつもりであれば、ここに残れ。そうではなくて、故郷に明日を見るものは無理せずに、いや、絶対にここから去ってくれ。」
「太一さんたちはここから故郷に帰ってくれ。頼む。」
すると、太一は言った。
「わかりました。歳三さんの言うとおりにしないと、他の百姓、町人衆も無駄に命を落とすでしょうからこの地を離れましょう。」
「判ってくれたか。太一さんたちの力を借りれば一時は凌(しの)げようが、皆さん。明日のために生き延びてください。後は意地の塊で戦います。」
皆は笑っていたが、心の中では、残るものも去るものも号泣していた。
そして、太一たちと、他の人々は五稜郭を密かに立ち去った。
昼過ぎには砲煙を遠くに見るところまで逃れた。
翌日、長万部にたどり着いたところで、土方歳三の戦死を聞いた。
その一週間後、五稜郭は新政府軍に降伏した。
太一たちは新政府軍からの追跡を逃れるために北へと向かった。
五月の中頃を迎えてようやく、北の大地にも春がやって来ていた。
彼等の命を助けたのはこの地に昔から住んでいるアイヌと呼ばれる人たちであった。
アイヌとは彼らの言葉で、人間という意味だそうだ。
アイヌは彼らの神であるカムイと対照して呼ばれるそうだ。
太一たちのように、南の島からやってきた人たちはシャモとよんでいた。
カムイの元に生まれた者ではないと言う意味だそうだ。
彼等は主に狩猟を生活の中心としていた。
アイヌの人々には将軍もなければ、天皇もなかったけれど、この地を勝手に蝦夷地と呼んでいるシャモたちによって住むところを追われている。
しかし、彼等は旅人や訪問者には親切で、礼儀を心得ていた。
お陰で太一たちも飢えずに旅することが出来た。
彼等の神、カムイは自然の恵み、逆に荒ぶる自然であった。
熊もまた、カムイの化身であった。
熊は太一たちが自分達の山で出会った月の輪熊が小さな犬にしか見えないほど巨大であった。
それをアイヌの男が短い槍と小さな脇差で仕留めるのには太一たちの目を瞠らせた。
太一たちは何時しか、新政府軍に追われているのを忘れて、北へと向かった。
旅の途中では、富士山に似たアイヌ語でマチネシリ、シャモたちが羊蹄山と呼ぶ美しさに見惚れ、洞爺湖の大きさに驚き、登別では温泉を楽しんだ。
北上しながら、遅い春が雪を溶かして彼等の行く手を楽しいものにしてくれた。
小樽の港に着いたときに、望郷の思いが蘇えり、そこから塩釜行きの船に乗ったのは徳太郎であった。
残りの三人はもっと北を目指すつもりだと言って、夫々が彼に手紙を託した。
徳太郎は呆れながらも、手紙をポケットに塩釜港に着いたのはもう夏に入っていた。
そして、遠くに女房の声を聞いたような気がした。
その声は悲鳴に変わっていた。
セツ親子が、町のはずれに差し掛かった時だった。
嘉永(かえい)の松と地元の人が名付けている松ノ木の街道並木の陰から、兵隊崩れと思しい男達が三人親子の前に現れて、通せん坊のように両手を広げて立ちはだかった。
セツは思わず、悲鳴を上げた。
そして、わが子を引き寄せた。
「おい、女。何もとって食おうとしているのではないぞ。」
「俺達を少しばかり慰めて欲しいだけだ。」
「おとなしくして、一緒にいい目を見ようや。」
そんなことを言いながら、三人はじりじりと迫ってきた。
彼等は奥州戦争の官軍の服装をしていた。
戦争中は略奪の限りを尽くして、夢中になっていたために軍隊から離れた男達であった。
セツが娘のチヨを懐にしっかり抱きしめているので男達には邪魔であった。
一人が無理やりチヨを引き剥がそうとした。
チヨは大きな声を出して、泣いた。
「うるせえ。このガキ。」
今度は二人がかりで、親子を引き剥がそうとした。
それでも、二人は離れないので、業を煮やしたのが刀を抜いた。
セツは我が子の命を守ろうと、覚悟を決めてチヨを離した。
男達はチヨを縛って、草むらに転がした。
そして、セツのところに来て、やおら、セツを転がした。
セツの顔を覗き込んで、一人が思わぬ戦利品に喜びの声を上げた。
「いやー。なかなかにいい女だな。色は白いは、腰つきも、乳の大きさも絶品だ。」
「誰から先だ。」
なぞと、勝手なことを言いながら、下帯までも外し始めた。
セツは悔しさと恐ろしさで目を閉じた。
早く、この忌まわしいことが終わってしまい、親子の命が無事であれば儲けものだと、観念した。
一人が、セツの腰紐に手を掛けた。
臭く、荒い息がセツの顔を撫ぜた。
男がセツの両足の間に入ろうとした。
そのとき、風を切る音がして、男の後頭部に何かが当たった。
「ぎゃっ。」
男は仰向けに倒れた。
そして、そのまま気絶した。
残りの二人は下半身裸のまま、立ち上がり、振り返った。
「誰だ。」
叫びながら、遠くから何かが飛んで来たのを察知して、草むらに転がり、相手を探した。
しかし、飛び道具は音がしなかったので、何処から飛んできたのか知ることが出来なかった。二人の男は恐怖を覚えながら、ズボンを穿きなおし、身構えた。
最早、セツにかまっている余裕はなくなっていた。
そこから、三十歩程の草むらに、一人の男がスリングショットという武器を構えていた。
男は徳太郎であった。
スリングショットは徳太郎が函館戦争の時にフランスの将校から直伝の武器である。
これはゴムの弾力を利用した投石器で、後にパチンコと呼ばれる物だが、殺傷力は強い物だ。
徳太郎は鉄の玉を番えて狙いを付けていた。
このとき、セツは誰か味方が現れたことを知った。
すばやく身の回りを整えて、チヨの手を引いて逃げた。
「しまった。」
と、二人の男の一人が、セツを追いかけた。
親子を人質にしようと思い、立ち上がって追いかけた。
「びゅっ。」
と、また音がして、鉄の玉が男のこめかみに命中した。
鉄の玉はそのまま、男の頭蓋骨を砕いていた。
残る一人は手を上げて叫んだ。
「降参。降参。」
しかし、彼もまた、非情な鉄の玉を喰らって息を引き取った。
徳太郎は官軍の姿を見て、反射的に戦闘の中に入っていた。
敵軍の兵士は徳太郎の前では殺戮の対象にしか見えなかった。
官軍の兵士に襲われる女たちを何度も見ていた。
今度も同じであった。
まさか、その女が自分の女房であるとは気が付かなかった。
セツは思いもかけない災難で、家に戻ろうとも思ったが、町での買い物があることを思い出して
二人で町に向かった。
後は振り返らなかった。
セツのこのような性格が、今日まで親子二人で暮らすことを可能にしていた。
二人は店で針と糸を買った。
すると、通りで、一人の女の姿に気が付いた。
与助の女房、タネであった。
主水の娘トキも一緒であった。
トキは今では、結婚してこの町に住み着いていた。
主水から読み書きを習っていたので、小学校の教師をしていた。
新政府の元では、この田舎でも学校教育が行われるようになったが、教師不足は深刻であった。
トキは忙しい身の上であった。
女達は今では北海道と呼ばれる蝦夷地(えぞち)へ行ったまま消息の知れないままになっている男達のことを話し合っていた。
その様子を見ながら一人の男が近づいてきた。
男を見て、チヨは吃驚(びっくり)して泣いた。
男の服装がさっき自分達を襲った男達と同じような格好をしていたのだ。
「もしかして、与助さんのところのタネさんですか。それと、主水さんのところのトキさんではないですか。」
そう言いながら、男はポケットから託された手紙を取り出した。
すると、トキは男の顔を穴の開くほど見ながら言った。
「あら、あなたはもしや、徳太郎さん?」
「えっ。」と、絶句したのはセツであった。
タネは思わず吹き出した。
「徳太郎さん。ほら。あんたのおかみさんの顔を忘れたの?」
徳太郎は改めて、セツの方を振り返った。
「セツか。」
「ハイ。」
「すると、この子がチヨか?」
「はい、はい。おセツさんと、娘さんのおチヨちゃんですよ。」
タネは真面目な顔で言った。
そして、皆は涙をいっぱい浮かべて再会を喜んだ。
徳太郎は預かった手紙を渡しながら、北海道に残った男達の無事を報告した。
それから、一月位経って、与助と主水が戻ってきた。
新政府から呼び出しが出たのは更に半月ほど後であった。
三人は朝敵として呼び出されたのだと覚悟した。
県庁舎に二、三日滞在の命令が出された。
しかし、帰ってきた時、主水は学校の校長に、与助は県庁の役人に任命された。
徳太郎は三人の脱走兵を殺害したので逮捕されると思い、そのことを県庁の担当役人に自供した。
ところが、役人の方は怪訝(けげん)な顔をした。
そのような事件はなかった、と言うのだ。
新しい時代になって、政府は脱走兵や戦中の政府軍の無法や狼藉には手を焼いていた。
彼等は政府の役人によって秘かに処分されることが多かった。
それよりも、脱走兵などの犯罪に関わっている暇などなかった。
消えてしまえば、それはそれで不問にされることが多かった。
徳太郎は面接の末、巡査として採用された。
長い警棒を持ち、髭を生やして偉そうにして帰ってきたので、セツもトキも驚いたが、そのうちに大笑いされて、彼は頭をかいた。
それから数年の月日が経った。
維新は終わったが、騒乱は収まらなかった。
不思議なことに、倒幕をした仲間の内から新政府に対して反旗(はんき)を翻(ひるがえ)すものが現れた。
佐賀の乱、萩の乱、など不平士族の乱が続き、そして西南戦争で維新の主役であった西郷隆盛が消えた。
皮肉なことに彼等を討伐したのは、かつての族軍であった旧幕府の子弟たちが中心であったという。
ようやく、世情が落ち着いた頃、横浜の港に一人の男がアメリカ船から下り立った。
フロックコートを着て,山高帽を左脇に抱え、右手にステッキを持ち、ボーイに大きな旅行鞄をもたせていた。
通関の手続きを済ませて、人力車に乗り、列車に乗り換えて、横浜駅から東京、新橋へと向かった。
季節は初夏であった。
新橋駅に着いた時には、ダンディな格好で、同じような恰好を見なれた町の人にも目を引くほどにあった。
まるで、日本人では無いようで、洋装した女性たちも彼を見て感心し、囁(ささや)き交わすほどであった。
当時、東京には富士屋ホテルだけが唯一、洋式のホテルであったが、男はそこを宿とした。
すると、男の顔を見て驚いたように声を上げたのはここの受付であった。
「もしや、人違いでしたら失礼ですが、太一さんではありませんか?」
宿泊の手続きをしていた男は、記入中の筆を止めて目を上げた。
「はい。私は太一ですが、何方でしたかな。」
「ずいぶん昔のことで、お忘れになったのも無理はありませんが、佐々木主水様のところでお世話になったことのある、孤児だった巳の助ですよ。」
太一は遠い記憶を呼び戻すような眼をしながら、やがて、にっこりして言った。
「思い出しました。巳の助さんですか。そう言えば面影があります。それにしてもずいぶんご立派になられましたな。」
「いえいえ、太一さん。いや、太一様とお呼びしなければならないほどご立派になられて、そこらの官員風情には遠く及ばないほどのご様子で感心させられました。」
「巳の助さんはこのホテルで支配人をなさっておいでですか?」
「はい、曲りなりに、務めさせていただいております。」
「お暇になりましたら、昔話でもしましょうか。」
「それはこちらからお願いしたいほどでございます。」
巳の助はホテルのレストランを借り切って、太一の土産話に聞き入った。
太一は函館戦争で官軍と戦い、そこを去って北海道を彷徨(さまよ)い、ついにはカムチャッカ半島に渡り、そこでは富士山そっくりの山々を見たこと、ロシア人と友になり、そこからアメリカの西海岸に着き、そこではアメリカ人と仲良くなり、ロシア語も英語もどうやら使えるようになって、地元の人々から多くの知識を得、逆に日本古来の武術などを手ほどきしたことなどを話した。
一度はアメリカに住みつき、そこに骨を埋める覚悟をしたが、人種差別を目の辺りにして、将来に不安を覚えて帰国したという。
巳の助は維新を迎え、学問を修めて、これもアメリカでホテルの経営のために留学し、つい三年前に帰国したばかりだと言うことだった。
「これからは巳の助さんが日本のホテルを動かす力になるでしょうから頑張ってください。」
「太一様はどうなさるのですか?」
「実は、悩みはそれなんです。この恰好で帰郷したら、目立つことでしょう。昔の太一に戻って、ひっそりと余生を過ごしたいと思っております。」
「それはもったいないことでございます。国のために一肌も二肌もお脱ぎ頂いた方がよろしいかと存じますよ。」
太一は少し寂しそうに笑った。
文明の先駆者として、当時の日本では憧れていたアメリカにも太一には違和感を覚えた。
ここもまた、力の強いものが上に立ち、自由とか平等などは無いも当然に映った。
遠いアフリカから奴隷商人によって売られてきた黒人は綿の栽培や紡ぐ機械の代わりにされた。
それは牛や馬と同じ扱いが当たりまえのように扱われていた。
また、この地に古くから住んでいた人々は銃や軍隊によって僻地へと追いやられていたし、後からやって来た東洋人なども、黄色い猿扱いされることが多かった。
太一はアメリカで得た知識が今の日本で受け入れて貰うのはあまりに早すぎて、誰も聞き入れてくれないだろうと思っていた。
かえって、国益にならないなどと、誤解されかねないと恐れた。
アメリカでさえ誤解された太一の考えがこの国で容認されることはあるまいと思った。
翌日、ホテルから出て、横浜から再び船に乗った。
その時は、太一は着物姿になっていた。
そのなりは昨日からは想像も出来ないほどの様子になっていた。
ただの初老の日本人の旅姿であった。
横浜からの船が塩釜に着き、太一は故郷へと歩いた。
我が家に着くと、そこはいつでも太一が帰って来ても良いように手入れがされていた。
太一は普段のように我が家に入った。
雨戸を開けて、眼下には懐かしい夜の田畑の風景があった。
蛍たちが遠く、近く、薄い緑の仄かな灯りを点滅させながら、三匹、五匹、二匹、と飛び交っているのが目に映った。
今と昔のはなし、そして里守(昔のはなし) フレディオヤジ @fredy2011
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