第34話 死闘を越えて




 異形なる者との戦いから丸一日、カミュは眠り続けていた。


 彼は、ドラゴ、ハス、イリーナの手によって生き残った者たちと共に拠点へと帰ってきていた。


 ただ、群狼はほぼ壊滅したに等しい状態だった。


 自由兵の多くは去り、残った戦士たちと合わせても、半数以下となってしまったのだ。


 カミュが連れていた兵たちは戦いになる前に去った。


 戦場にいた僅かな自由兵たちも戦士たちともにドラゴらが退かせたため、異形なる者との直接的な戦いで深刻な被害を受けたわけではない。


 しかし、間接的な被害が甚大だった。


 心に絶望を植え付けられた。


 死をも覚悟していたはずの者たちが、抗うことも出来ずに死ぬとはどういうことなのか。それを正面から見せつけられた。それは、戦って死ぬということとは違うものだった。


 克服できない恐怖だった。


 去った者のうちの半分は、その恐怖に耐えられなかった者たちだった。そして、残り半分は冷静に今の群狼を見た者たちだった。


 今の群狼に鉄騎兵団とやり合える力はあるのだろうか。彼らは、それを考えたのだ。


 彼らは単純に金目的で団に所属している者たちである。それ故に、弱体化が避けられぬ現状を鑑みて、彼らは群狼を見限ることを選んだのだった。


 それ故に、群狼の拠点はひどく閑散としたものとなっている。


 急に何がどうなったということはない。そこにあるものは何も変わっていない。ただ、人がいなかった。


 先日までは仕事で部隊が出ていても、戻ってくる部隊もあってそれなりに賑やかだった。休暇を楽しんでいる者、仕事終わりの酒を楽しんでいる者がいた。拠点内の仕事に勤しんでいる者たちもいた。しかし、今は人の気配そのものが希薄だった。


 そんな拠点で、カミュは目を覚ました。


 家にあるベッドの上で目を開ければ、そこには見慣れた景色がある。強いて言えば、ベッドの脇で生気なく無表情に自分を見下ろしているイリーナの姿が本来ないものであるだけだった。


「……んあ? イリーナ?」


 カミュは体を起こしながら彼女に呼びかける。その声が、自分が出そうとしたはずの声音と違って、酷くかすれ気味だったことにカミュは驚いた。


「カミュ……」


 イリーナもそれに応えるが、その表情も声も本来の彼女らしからぬものだった。快活さというものがまるで感じられない。


「……どうしたんだ?」


 気怠そうに手で目を擦りながら、感じた違和感のままにカミュは尋ねた。ただ、尋ねたところでカミュもようやく記憶がはっきりしてきた。自分がここにいる訳がないこと。とんでもない化け物と戦っていたこと。それらが頭に戻ってくる。


「……っ。おいっ! 異形なる者はどうなったっ」


 頭の中でガチンと記憶が繋がったカミュは、それまでの寝ぼけた目を一瞬で大きく開いて、呆けた目をしたままのイリーナを問い詰める。しかし、イリーナの反応が鈍い。カミュは彼女の肩を掴んだ。


「おいっ、イリーナッ!」


「あ……」


 イリーナは両肩をつかまれ軽く揺すられたが、ただ為すがままだった。それを見て、カミュはベッドから飛び降りようとした。埒が明かぬと自分で確認しようとしたのだ。


 しかし、丸一日昏睡していたカミュはベッドから離れ自分の足で歩こうとした瞬間、目眩に襲われる。ぐらりと体が大きく傾いだ。


 その段に至って、イリーナがようやく動いた。


 反射的にカミュの体を支えようとしたのである。カミュの体はイリーナによって背中から抱きかかえられた。


「すまない。なあ、イリーナ。一体どうなっ……た……」


 ようやく反応したイリーナに、カミュは自身の頭に手をやって小さく頭を振った。そして振り向き、再び彼女に問い掛けようとした。


 しかし、カミュは彼女の方を向くことが出来なかった。


 イリーナは小刻みに震えて、カミュにすがりついてきたのだ。


 じわりと濡れ広がるものを背中に感じて、カミュは彼女が泣いているとようやく気付いた。


 カミュはしばらく動けなかった。


 ただ時間だけが過ぎていった。しかし、その時間はカミュに冷静さと物を考えるゆとりを与えた。


 しばらくして、ゆっくりと振り向きカミュがイリーナの方を向くと、ようやく彼女は口を開く。


 無理やり作ろうとした笑みを失敗しながら、


「兄さん……死んじゃった……私……本当に一人になっちゃった……」


 と嗚咽交じりの言葉を無理やり吐き出したのである。


 カミュは、その言葉を聞いても驚かなかった。


 与えられた時間が、カミュにその言葉を予期させていた。しかし、次の言葉は彼にとっても目を見開かずにはいられないものだった。


「虚無になっちゃった……」


 カミュの頭の中は真っ白になった。


 そして、その直後には聞きたいことが胸の奥から次々と湧き出してきた。


 しかしカミュは、むせび泣くイリーナが落ち着くのを待つ。彼には、今のイリーナが二人が出会ったばかりの頃の幼いイリーナの姿に重なって見えていた。いつも何かに怯えていた頃の彼女に。


 しばらくして、カミュが気を失った後の戦いがイリーナの口から訥々と語られる。


 ブラムの死。


 目の前の戦いに集中していたカミュには、その瞬間のはっきりとした記憶はない。しかし、異形なる者と必殺の一撃の撃ち合いになったあの時、自分を守ろうと父が動いてくれたような気がしていた。


 イリーナの話を聞き、それが確かに起こったことで、その時にブラムは命を失ったと知ると、カミュは自身も気付かぬままに視線を落としていた。


 そして、聞かされるソルウェインの最期。


 己が仕留めきれなかったばかりにと、カミュは思わずにいられなかった。もっと早く己の運命と向き合えていれば、もしかしたらあの一撃は異形なる者を屠れたかもしれないと悔やまずにはいられなかった。


 確かに隠さねばならない秘密だった。それ故にカミュは積極的には闇の紋章を使ってこなかった。しかし、それが原因で届かなかったのではと己を責めずにはいられなかった。


 秘匿するにせよ、もっと錬磨できなかったのかと己を責めずにはいられなかった。


 それは、ソルウェインとイリーナに闇の紋章のことを打ち明けた時に、イリーナに説かれたことそのものだった。


 カミュの頭の中で、もしもが止まらない。


 もしも己が力を隠すような真似をしていなかったら、前枢機卿ジョベルの討伐計画もやり様が変わったのではないか。もしも己が運命と向き合えていたら、あの化け物との戦い方も絶対に変わったはずだ。


 もしも……もしも……もしも……。


 ただ、そのすべては、やはり『もしも』であり、すでに突きつけられた結果はブラムの死、そしてソルウェインの虚無化だった。


 目の前で涙を流しながら語るイリーナにかけられる言葉が、カミュは何も見つけられなかった。彼に出来たことは、肩を震わせ続けている彼女をそっと抱きしめることだけだった。

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