第32話 生と死 その2



 ブラムが走るのを見て動き出したハスは、彼がその光に呑まれて消えるのを目の当たりにすることになった。


 ブラムは一声を発することもなく、まるではじめからいなかったかのように存在がかき消えていた。


 彼女をして、声なく膝から頽れる。


 目の前には、右の肩から袈裟斬りにされて上半身を失ったような異形なる者が残っていた。


 己の状態が理解できないのか動きを止めている。


 しかし、すぐにそんな状態でもなお動こうとしては、よろめくという動作を繰り返している。


「……そんな……頭部も失っているのに……」


 ブラムの死。半身を失って、なお動く化け物。さすがのハスも、真っ当な思考など出来ずに、そう呟くことしか出来ない。


 そんな中、カミュが地面に倒れる姿が彼女の目に入る。すべての力を使い果たし、糸の切れた人形のようにばったりと倒れ込んでいったのである。


 それを見て、ようやく本来の自分を取り戻す。彼を助け出すべく、動かぬ頭を無理やり動かして前に出ようと体に力を込めた。


 その時、横から薄緑色の気をまとった者が二人、いち早くカミュの下に飛び込んでいくのが目に入った。


 ソルウェインとドラゴだった。




 異形なる者は残った片腕を振り上げる。


 頭部と思しき部分を失い物事を考えられているようには、とても見えない。しかし、はっきりと分かる形で怒りを表していた。倒れたカミュに向けて、まるで明確な意思を持って腕を振り上げたかのように動いたのである。


「カミュっ」


 ソルウェインの隣で呆然としていたイリーナが、それを見て悲鳴に近い声を上げた。しかし、彼女の体は動かない。いや、彼女の意思が体の隅々まで辿り着けないとでも言うべきか。


 だが、ソルウェインとドラゴの二人はカミュの技が異形なる者を仕留めきれていないのを冷静に見て取った。そして、即座に次の行動に移った。イリーナを置いて飛び出したのである。


「ソルウェイン! お前は下がっていろ!」


「そうもいかないでしょう!」


 すでに力を使い切っているソルウェインが自分と一緒に飛び出してきたことにドラゴは警告する。


 しかし、ソルウェインは止まろうとしなかった。


 こんな好機は二度と訪れない。倒すなら今しかない。彼の戦士としての感がそう判断させたのだ。


 退く気のないソルウェインを見て、ドラゴは動きを変えた。


 最初は昏倒しているカミュを安全な場所に救出するつもりで彼は動いた。カミュの顕現だと思われるローブの女もすでにいなくなっている。


 正常な状態で顕現した紋章は、主の意思なくして動く事はない。


 カミュが意識を失っている今、彼の紋章が再び顕現し何かをするという事はないのだ。


 だから、彼を助けねばならなかった。まだ動く異形なる者を何とかするのはその後だというのがドラゴの考えだった。


 しかし、ソルウェインまで飛び出してきてしまった。


 かといって、彼にこのまま戦わせるわけにはいかない。もうすでに、彼は消耗しきっている。だからドラゴは、向かう先をカミュから怒れる異形なる者へと変えたのである。


「なら、お前はカミュを安全な所へ! 化け物の方は俺が引きつける!」


 ドラゴはソルウェインの返事も聞かずに、更に加速する。


 今度はソルウェインもドラゴの指示に従った。


 彼は自分が戦うつもりだったが、もう幾ばくも力が残っていないことは誰よりも自分が分かっていた。だからドラゴの言葉に甘え、自分の方がカミュの下へと向かうことにしたのである。


 カミュは完全に意識を失っていた。声を掛けても、一切の反応を示さない。

 ソルウェインはカミュを脇に抱える。そのまま異形なる者の手の届かない場所まで飛ぶように駆けて離れた。


 紋章を宿していればこその芸当だった。そして彼が振り返ると、ドラゴと異形なる者の戦いが再び始まっていた。




 上半身を半分近く失っている異形なる者は、そうと思わせないほどに激しい反抗の意思を見せる。ただ、実際に体を失っているので先程までの安定感はない。


 ドラゴは、そんな怒り狂える異形なる者の周りを、容姿の厳つさからは想像も出来ない華麗な体捌きと速度で跳ね回る。巨大な戦斧を振り回しながら、下から跳ね上がってくる触手を払いのけ、時折振り下ろされてくる右の腕の一撃を躱す。


 戦斧を使う剛健な戦闘スタイルでありながらも、彼はやはり『風』の戦士だった。


 ソルウェインはそれを横目に見ながら、意識を失ったカミュを戦場から少し離れた場所に下ろした。再び声を掛け軽く頬を叩いてみるが、カミュの意識が戻る気配は全くない。


 彼は、カミュを少し離れた場所にあった岩と岩の間に隠すように置いた。


 異形なる者は、目の前で挑発する小虫を払おうと盛んに攻撃を仕掛た。


 払いのけようと残った右腕を振り回し、無数の触手をのたうたせて小虫を薙ごうと次々と繰り出した。


 小虫――ドラゴはそれを必死に躱し続けることに腐心させられ続ける。


 異形なる者とドラゴでは、現状の認識に差があった。


 ドラゴにとっては、自分に迫る攻撃のどれもが必殺のものだ。まともに直撃を浴びれば、その一撃で己の命など簡単に吹き飛んでしまう。どれほど鬱陶しがられても、躱し続けるしかないのである。すでに勝負をかけて顕現を使用することもできないのだから、今はそれしか手がなかったのだ。


 ただ好機を待つ。それのみである。


 まともに動ける者が彼しか残っていない以上、どれほど歯がゆくとも、相手の攻撃を躱しつつ隙を見て化け物の胴部に斧を叩き込んでいくことしか出来ないのだ。


 ただ、彼もそれが有効だとは思っていない。現状それしか出来ないから、そうしているだけだった。


 しかし、それで事態を好転させられる訳もなく、ただ時間が過ぎていった。


 そしてそんな状況は、ドラゴの体力だけでなく心も確実に蝕んでいっていた。


 どうする……。


 ドラゴも焦れてくる。


 森の大型魔獣だって、紋章の力を発動させて戦斧を叩き込めば、某かの傷を負わせて相手の命を削り取ることが出来る。しかし、目の前の化け物との戦いではそれが実感できない。彼が武器を手にとって戦い始めて何十年という時間の中で、こんな戦いなどしたことはなかった。


 それ故に、どうすれば決定的な解決へと持って行けるのかを見出せずにいた。


 だが、そんなふうに悩むことができる時間も贅沢というものだ。


 異形なる者も、そうとは感じさせないままに焦れていたのだ。


 残った右腕の先。その手の平に再び光が宿り始める。


 先ほどのアレが来る。ドラゴもいよいよ覚悟せずにはいられなかった。


 異形なる者が右腕を突き出し、その狙いを己の周りで跳ね回るドラゴへと向けた。しかしその間も、無数の触手は別の生き物のようにドラゴへの攻撃を緩めることはない。


 動き続けることを強いられて上がった体温が一気に冷めるような感覚を、彼は味わうことになった。


 ただ、異形なる者の手の平は二度目の光を放つことはなかった。


 光に満たされた砲身が『風』で斬り飛ばされたのだ。


 突然吹き抜ける突風。


 その煽りを受けて、その近く跳ね回っていたドラゴは少し飛ばされた。


 そのとき彼は、己と異形なる者の間を駆け抜けた風に力の奔流と言っても過言ではないものを見た。


 それは形として見えるものではない。


 だが、彼は『見た』。そう知覚せずにはいられなかった。それほどの魂の力の塊が駆け抜けていったのである。


 もし、異形なる者の放つ光の先に何もなかったならば、それは放たれなかったことだろう。


 もし、そこにその人がいなければ、彼も流石に少しは躊躇ったに違いない。


 しかし、現実にそこには町があり、その町には彼の守りたい者がいた。だから、彼は使った。『力』を。


 躊躇わなかった。


 ただ、その代償はしっかりと取り立てられる。

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