第30話 死線 その4


 カミュは剣を振り続けていた。


 影から影に飛び、その度に追ってくる異形なる者の攻撃を躱しながら、ひたすらに剣を振り続けていた。


 ただ、それをいつまでも続ける訳にもいかなかった。


 このまま続けても、いつかは力尽きて捕まる。そして一発でももらったら、そこで終わりだ。


 カミュは払っても切っても次々と迫る触手の相手をしながら、必死で考える。


 すでに剣はボロボロだ。


 虚無との戦いで普段使っていた剣は折っている。だから、いま振っている剣は、密かに用意だけはしていた紋章使いの力にも耐えられるように作られた特別製のものだった。ただ、その剣でも異形なる者の表皮と闇の紋章の力には耐えられなかった。


 もう切断する刃は残っておらず、力で無理やり叩き切りにいっている有様だ。そして、その使い方は更に剣の寿命を削ることになっている。もう間もなく折れるだろう。


 唸りを上げて振り抜かれる触手を潜りながら、カミュはちらりとソルウェインの方を見た。


 ソルウェインは、ドラゴとイリーナに挟まれて意識を集中し、何事かを呟いていた。


 それを見て、カミュは来ると察して後ろに大きく飛ぶ。


 刹那、ソルウェインの前方の空間が歪んだ。


 薄緑色の閃光が走り、そこから光り輝く巨大な鷲が飛び出してくる。


 鷲は、ソルウェインらを叩きつぶさんと振り下ろされた異形なる者の手の平を弾き飛ばし、そのまま遥か上空へと舞い上がる。


 そして――――、


 岩をも切り裂く鋭い爪を立てながら、異形なる者目掛けてそこから飛び込んでいった。


 その一撃は、初めて異形なる者を深く傷つけた。


 胸部を大きく裂き、赤茶けた色のなにかを噴き出させた。


 戦場に相応しくない甘ったるい香りが辺りに広がっていく。


 今までも、その香りは戦場にあった。しかし、それが胸焼けを起こすほどに色濃いものへと変わった。


 カミュは無意識に袖口で鼻と口を覆い、眉をしかめる。


 しかし、ソルウェインの顕現による攻撃は終わらない。


 むしろ、次の攻撃こそが本番なのだ。カミュは、それを知っていた。


 だからカミュは、更にに異形なる者との距離をとるべくとる即座に動く。怪異に向けた攻撃に巻き込まれたら、ただでは済まないからだ。


 離れると、カミュはとっさに蹲るようにして身を低くした。


 直後、周囲の空気が不自然に動き出す。それはあっという間に猛烈な勢いで渦を巻き、周囲の地面ごと異形なる者の巨体を天空へと舞い上げようと吹き荒れ始めた。


「くっ」


 カミュの体も、気を抜くと持って行かれそうになる。


 それでも、薄目を開けて彼は化け物を睨み続けた。


 大地すら削られ吸い上げられていく。


 しかし……、


 渦巻く暴風の中、異形なる者の巨体は地面から離れない。その気配すらない。


 巨体過ぎるのだ。


 風の勢いによたついてはいるものの、持ち上がるような気配は全くなかった。


 カミュの表情が険しくなる。


 大声を上げて毒を吐き散らさずに済んでいるのは、ただ彼にそれだけの余裕がなかっただけのことだ。


 吸い上げられた地面がバラバラに砕けながら天高く運ばれていく中、異形なる者はそれに耐えて続けている。その体の表面を無数の鋭利な礫に切り刻まれながら、ただひたすらに耐え続けていた。


 そして、


「これでも駄目なのかッ」


 ようやく風が収まると、カミュは解き放たれたかのように、思いを吐き捨てた。


 それで何が解決するわけでもなかった。ただ、溜めておけなかったのだ。


 顕現を戻したソルウェインは、崩れ落ちるように片膝をつく。もう、彼も戦力に数えるのは難しいだろう。側にいたイリーナとドラゴがすぐに寄って、彼を戦場から離そう動き始めている。


 ただ、ソルウェインは退こうとはしなかった。


 一度崩れ落ちた膝に力を込め、体を痙攣させながらも立ち上がろうとする。


 イリーナが慌てて支えた。


 それを見て、ドラゴとハスも再び戦場に戻ろうと動き始める。ただ、その三人共が、とてもではないが本来の動きが出来るようには見えなかった。


 カミュたちは、いよいよ追い詰められた。




 荒れ狂う風から解放された異形なる者は怒り狂っていた。


 顔がないから、表情もない。しかし、紛うことなく怒り狂っていた。それが分かった。


 それまでの異形なる者の動きも、カミュたちにとっては驚異そのものであった。


 しかし、離れて見ればどこか緩慢なものであった。


 払っても払っても纏わり付いてくるハエを人の手が追うような動きだったのだ。しかし、風の中から出て来た異形なる者の動きは、それ以前と違った。


 一言で言えば、カミュらを始末すべき者と認識していたのである。


 太い筋肉で縒られた異形なる者の腕が持ち上がる。四本の指が大きく開かれ、一番側にいるカミュへと向けられた。


 触手たちも、それまでになかった明確なる攻撃の意思を表明していた。


 まるで威嚇してくる蛇のごとく、無駄に動かず一番側にいるカミュに狙いを定めている。


 動き出せば、すべてが一斉に飛びかかってくると容易に予想できた。


 カミュも迂闊に動くわけにもいかなくなった。


 ただ、カミュが動けない本当の理由は別にあった。


 剣は通じず、ドラゴ、ハス、ソルウェインらが顕現による渾身の一撃を放っても倒すに至らない。これで駄目なら、カミュに目の前のモノを倒すアテは一つしか残っていなかった。


 ただそれでも、それを使うのは躊躇われる。


 それは闇の紋章を宿しているという事実以上に、教会との対立を決定的にしてしまうものだから。


 カミュの眼差しに苛立ちが滲んだ。


 目の前の異形なる者を睨み、お前さえいなければ……という不条理な言いがかりを脳裏でがなり立てた。


 だが、それで解決できるものは何もなかった。


 だから彼は、故郷だけでなく平穏な日々も諦めざるを得なかった。


 彼は真一文字に結んでいた口を開く。そして、力の限りに叫んだ。


「みんな、逃げろッ! 少しでも離れて、地面に伏せろ!!」

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