第29話 死線 その3
カミュは馬を駆けに駆けさせる。ひたすらに追い、真っ直ぐに異形な化け物へと突進していく。
ブラムとハスはなんとか無事に離れた。
しかし、化け物がトラン=キアに向けて動き出すと同時に、ソルウェインが飛び出してしまっている。
ソルウェインはなぜ飛び出したのか。
カミュには容易に予想が付いた。もし、化け物が動いた方角が北東以外であったなら、ソルウェインはあのような無茶はしなかっただろう、と。
それだけに焦っていた。
ソルウェインはなんとしてもあの化け物の動きを阻止しようとするだろう。少なくとも化け物の進む向きは変えようとする。しかし、いかなソルウェインでも、あんな化け物相手に一人ではどうしようもない。
ヴァレリアの騎士団でもいれば、セレンのことがあっても、ソルウェインはここまでの無茶をしようとはしなかったはずだ。また違った行動に移ったことだろう。
馬を追い立てながらも、カミュの頭の中を様々な事が駆け巡っていた。
そして、気付く。
カミュは一振り鋭く、自身の頭を振った。
ソルウェインのことももちろん大事だ。でも、そうじゃない。そうじゃないんだと。
ここには自分たちしかいないのである。
トラン=キアに置かれている兵は群狼よりも少ない。
この化け物が町に到着したらおしまいなのだ。いくら町とその守備隊が防衛に特化していると言っても、こんな化け物と戦うには彼らの戦力は小さ過ぎるのである。
ここで尻込みすれば、トラン=キアは壊滅する。
大勢の人が死ぬ。生き残った者も、それぞれがそれぞれの理由で絶望に嘆き苦しむことになる。
――――自分には戦う力があるというのに。もしかしたら、何とかできるかもしれないのに。
そう思った時、カミュの焦る心が変質した。何かが吹っ切れた。そして、違う何かが宿った。
傭兵が金にもならない戦いに命をかける。結構な事じゃないか。自分は、傭兵である前に人なのだ。
戦う理由など人それぞれ。
カミュは聖者でも勇者でもない。
だが、ソルウェインの命も、無慈悲に失われる命も、黙って見ていられない程度には純粋だった。嘆き悲しむ人々を望まぬ程度には善人だった。
カミュは鋭く前方を見据えた。
そして、決める。今まで育った故郷を捨てる覚悟を。
出し惜しみなどしていられなかった。
例え数多の目があろうとも、使わずにどうにかする方法などカミュには思いつかなかった。だから、彼は使った。
内なる者に呼びかけた。『来い――』と。
カミュは心の中で己を馬鹿にする。
達観を気取っていたが、蓋を開ければこのザマだ。ちょっと危機を迎えれば、頭と体でやっていることがバラバラである。
未熟の極み。
だけど――――、それでもいいか。
そう思った。
彼の額に闇の紋章が浮かび上がり、その体が黒紫の輝きを纏う。
そして、先ほどのソルウェイン同様に彼も馬の背から飛んだ。
カミュは足の裏が大地を掴むと同時に一気に加速する。
乗っていた馬を置き去りにし、黒い光の矢となって異形なる者へと突っ込んだ。
ドラゴとイリーナがソルウェインの下へと駆けつけるのが、カミュの目に入る。
ブラムとハスも、戦線復帰すべく態勢を整え直しているのが見えた。
ただ、ドラゴはともかく残りを戦力と数えるわけにはいかなかった。イリーナでは少々苦しいし、残りは力を使い切っている。
カミュの、異形なる者を睨む目つきに殺気がこもる。
表情が消えた。
否定の言葉を述べ立てる理性を殴りつけ、馬鹿になって腰の剣を抜き放つ。
ソルウェインの目が、そんなカミュの姿をとらえた。
一瞬目を見開く。しかし、彼はすぐに追撃してくる何本もの触手の対応に戻った。
カミュには、それが有り難かった。今、己を庇う言葉をちらつかされたら、簡単に乗ってしまいそうだったから。その結果がどうなるとしても――――。
走る。走る。
紋章の力が通った剣を振りかぶった。
そのまま、触手蠢く異形なる者の下半身へと飛び込んでいく。振り下ろし、払い、そのまま切り上げつつ飛び上がった。
異形なる者は、新しく現れた小さき者が気に入らなかった。
うっとうしそうに四本の指を開いた。大きく振りかぶった手の平をカミュに叩きつけようとする。
その手の平には、まるで『うろ』のような穴が一つ空いていた。しかし、その直撃を受けたら、人の体など簡単に四散する。形も残らぬ肉片へと変えられてしまう。
カミュの体が朧になった。
その姿が霞み、異形なる者が作る影の中へと溶けこんでいった。
異形なる者の手の平は空を切る。次の瞬間、カミュの体はやはり異形なる者が作った別の影の上に現れていた。
それを横目で見ていたソルウェインは、再び目を見開いた。
しかし、ただ驚いてばかりもいられなかった。奇怪なカミュの動きに、異形なる者の意識が完全に彼の方へと向いていたからだ。
ソルウェインは跳びすさり、顕現を呼ぶ体勢に入る。
カミュの力を信じて役目を代わり、己が勝利の礎となる道を彼は選んだ。
同じく飛び込んできたドラゴとイリーナはカミュの戦いぶりに驚きを禁じ得ず、一瞬体の動きを止めてしまっていた。しかし二人は、ソルウェインの動きを見ると、即座に彼の前へと躍り出たのである。
ブラムとハスは、脱力感と無気力感に襲われる体を無理やり動かして戦いの場に復帰しようと向かっていた。
しかし、飛び込んできたドラゴ、イリーナ、そしてカミュを確認し、少し離れたところで様子見に入る。
今の自分たちでは足手まといにしかならない。かといって、砲がない今、紋章を持たない普通の兵たちでは、こんな化け物相手に戦いようがない。
だから、兵の指揮で貢献することもできない。
二人は兵らを安全圏へと逃がしながら、万が一に備えることにしたのである。
「あの子ったら、よくあれで戦えませんなんて言ってたわよね。イリーナが怒っていた意味がやっと分かったわ」
まだ辛そうにしながらも、ハスが苦笑いを浮かべて言う。そんな軽口を隣のブラムに叩ける程度には回復してきていた。
「あれもあれなりに考えていたのだろうがな。が、どう腹を括ったのかが問題だ。他に手がなかったとはいえ、あれではもう隠せない」
カミュを追うブラムの視線には、驚きと共に険しいものも含んでいた。
「別に隠さなくてもいいでは? なるようにしかならないものでしょうに」
「そうなのだが……。あれは群狼を、もっと言えば俺たちを巻き込むことを恐れていたのよ」
「十年早いですよ。そんなこと」
「手厳しいな」
ブラムは、目の前の戦いから目を外すことなく微かに笑んだ。
しかし、ハスがそれを見ることはなかった。彼女の目もまた、一時も離されることなく目の前の戦いを追い続けていたからだ。
二人とも、カミュやソルウェインらに何かあれば、すぐにでも飛び込むつもりでいた。
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