第28話 死線 その2
「魔獣どもが可愛く見えるな……」
ソルウェインが眼差しを鋭くしながら呟く。
もうすでに何度も攻撃を繰り返しており、その息は荒い。その端正な顔も、すでに汗と土埃でグチャグチャになっていた。
彼はイリーナと合流し、ドラゴと共に騎馬の機動力を駆使して共闘していた。片方がこれ見よがしに攻撃を誘い、もう片方が後ろに回り込む。そんな攻撃を繰り返していた。
しかし、騎馬の突撃力をもってしても、異形なる者の体表を貫くのは困難を極め、怯ませることすらできていない。
いや、そもそも相手が大きすぎて有効な攻撃すらできていない。
振り下ろされる手や触手をどれだけ突こうとも、それ自体には大した効果などないのだ。体に攻撃を加えられるようにならねば、到底倒すことなど覚束ない。しかし、それが極めて難しい。
長い過去には、異形なる者が現れた記録は幾つも残っている。
為す術もなく、長い時間を蹂躙され続けたという記録もあれば、死闘の末になんとか食い止め退けたという記録もある。
しかし、それらの記録にある異形なる者は大きさも形もまちまちで一貫性はなく、また、そのいずれの記録でも倒せたとは記されていない。退けたと記されている。
それに、その食い止めたという記録もたった二つしかなかった。
片方は、少々古い時代のとある国の王都が襲われた際に、大勢の紋章持ちの命を代償に守りきったというものだ。
そして、もう片方は比較的新しく、大量の砲を駆使して迎え撃ったというもの。
砲や飛空艇を大量に投入し、紋章持ちも相当数動員され、とある大都市を騎士団が守り切ったという記録である。
しかし、どちらの前例も容易に真似できるようなものではなかった。まして、群狼ただ一つでは。
記録の中の異形なる者より、彼らの前に立ちはだかるそれはかなり小さめだ。しかし、それでも傭兵団一つで相手にするには荷が重すぎるのである。
「ソルウェイン。顕現は使うなよ。俺たちまで動けなくなったら、今度こそ打つ手がなくなる」
異形なる者の周囲をめぐり、少しでも注意を引きつけようと振る舞っていたドラゴがソルウェインの側まで戻ってきて言った。
「分かっています。しかし……」
ソルウェインは厳しい眼差しを異形なる者に向けたまま返す。
「うむ……」
ドラゴもソルウェインが言いたいことは分かっている。それでこの状況を打開できるのかと問われれば、否と答えるしかない。
しかし、ドラゴとソルウェインの二人が動けなくなったら、それこそもうそれまでなのだ。
ブラムとハスの二人は、先ほどの攻撃に力を注ぎ込んでしまっている。紋章の力は無限に使えるものではない。全力で発動させれば一度きりなのである。その後は……虚無化との戦いになる。
だが、いつまでも考え込んでいる訳にもいかなかった。
異形なる者は己の周りで騒ぐ小さな者たちがいなくなると、それまで激しく暴れさせていた巨体をのそりと北東に向けたのだ。
その先にあるのは――――トラン=キア。
どうして、そちらに向かったのかは誰にも話からなかった。しかし、そちらに向けて動き出してしまったのは誰の目にもはっきりと分かった。
「兄さん?!」
それを見たソルウェインは、即座に馬の腹に脚を入れた。それまで話していたドラゴを置き去りにし馬を駆け出させたのだ。
それを見たイリーナは驚き、声を上げずにはいられなかった。
ソルウェインには、その異形なる者の動きを看過できない理由があった。
彼の頭の中には一人の女性の笑みがあった。
何もせずにそれを失うことなど彼には許容できなかった。
大局から外れた些細な理由。しかし、彼にとってはこれ以上なく動く理由足り得た。
「くっ。一体どうして……付いてこい、イリーナッ」
突然のソルウェインの暴走に一瞬呆然としたドラゴだったが、すぐにソルウェインの後を追おうと馬首を返す。
「はいッ」
イリーナの返事を聞く前に馬を駆け出させたドラゴを追うべく、イリーナも馬を走らせる。
二人は前方を駆けるソルウェインの背中を追った。
異形なる者までの距離が二十メイルを切ろうかというところで、ソルウェインの体が薄緑色の光を帯びる。彼は駆ける愛馬の背に手を置き鐙から足を抜く。そして、馬の背から飛んだ。
ソルウェインは蠢く触手の中に飛び込んだ。
異形なる者の前方に回り込むように動く。そして、手当たり次第にその触手を斬りつけていった。動くなと言わんばかりに。
そして、そのまま触手の海から飛び上がる。
一閃。その刃は、異形なる者の体を薙ぎ倒さんとばかりに斬りつけられた。その動きはまるで剣舞を舞うかのように滑らかだった。
ソルウェインに斬りつけられた触手のうち、何本かは斬り飛ばされている。淡く光る魔法剣サル=イージャの切れ味は、丸太と呼ぶのも憚られる太い胴部にすらも鋭い切れ込みを入れた。硬さと柔軟性という異質な強さを併せ持つ化け物の体皮をまるで問題にせずに切り裂いたのだ。
しかし、異形なる者にとって、それは致命傷足り得なかった。
異形なる者の体は大きすぎた。
小さな切り傷。それが表現として正しいと誰の目にも映った。
ただ、鬱陶しく感じたのか。異形なる者は、新たに現れた小さき者に意識を向けた。
そして、先ほどにも増して激しい攻撃をソルウェインに加えたのである。
重く低く唸りながら、太い二本の腕がソルウェインを襲う。
うねる触手も、まるで一本一本が別の生き物のようにソルウェインを狙った。
ソルウェインの動きは速い。いや、疾い。迫り来る触手や太い腕をかいくぐり、時には身を翻し避けていく。しかし、息継ぐ間もなく襲ってくる攻撃に、ソルウェインもとうとう苦しくなって大きく跳びすさった。
ちょうどその時、ソルウェインと同じ風の紋章と水の紋章の輝きを纏ったドラゴとイリーナの二人が戦場に到着する。そして、紫色を帯びた黒の閃光も。
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