第27話 死線 その1



 そんな勇者たちを化け物の腕と触手が執拗に襲い続ける。


 ブラムは意識を集中させた。


 彼の前方に十メアはあろうかという巨大な亀のようなものが顕現した。


 厳めしく精悍な顔つき。てらてらと光沢を帯びた真っ黒な甲羅に金色の鱗。四肢の付け根から生える赤茶けた体毛は関節にかかろうかというほどだ。


 それらだけでも亀と呼ぶのは憚られるが、尻尾があるべき所から八岐の大蛇が鎌首を持ち上げている。


 そのブラムの顕現の目が妖しく光った。


 直後、大地が大きく揺れる。夥しい箇所で、まるで湧き出すかのように地面が盛り上がり、瞬く間にその頂を鋭い剣先へと変えた。


 そして、それが突き上がる。


 その大地の剣は、団員たちを襲おうと伸ばされた十を超える触手のすべてを斬り飛ばしながら、なおも突き上がった。


 それは、化け物の巨体をも大きく傾がせる。


 団員たちは立っていられない揺れの中で、這いつくばるようにして、それを見ていた。顔を青ざめさせながら、その様に呆然としていた。


 しかし、我に返った。


 大地の剣は、彼らに傷一つ付けてはいない。そして、怪異の腕や触手の追撃を一時見事に止めてみせていた。


「ぼさっとするな! 早く逃げろ!」


 ブラムの額には脂汗が吹き出している。そんな彼は、顔を歪ませつつも大喝した。我に返った団員たちは、今のうちにと這々の体で化け物から離れていく。


 それを見て、今度はハスが飛蟲隊に総攻撃の命を下した。


 一斉に投げ槍を化け物へ投げつける。しかし、彼女の投げた物以外は、やはり化け物の体表にすら刺さりもしない。


 ハスは歯噛みをした。


 飛蟲隊は蟲で空を駆けるだけに、こんな化け物相手でも地上の戦士たちよりずっと戦いやすい。しかし、どれほど戦いやすくとも、傷つけられなくては意味がない。彼女も隊の者たちに撤退を命じ、自身のみで戦うことを選ばざるをえなかった。


 ブラムの攻撃を受け、ハスの飛蟲隊の攻撃を受け、いま異形なる者の意識は上と下に分かれていた。攻撃を通せるならば、間違いなく好機が訪れていた。攻撃を通せるならば。


 触手を切断され、悶えているのか、怒っているのか。怪異は腕を振り回して大地を割る。触手も群れをなして再びブラムに襲いかかる。


 それを見て、ハスは迷わず騎乗する蜻蛉の背から飛び降りた。そして、落下しながら顕現を呼ぶべく意識を集中する。


 彼女の顕現は、少々特殊だった。


 彼女の纏う気が一層燃えさかるように輝きだす。そして、その気がまるで生き物のように彼女の体に纏わり付き、不規則に彼女の体を覆った。


 彼女の顕現は、無形の『炎』そのものなのだ。


 ハスは炎を纏い落下しながら、腕を一振りする。


 すると、炎はしなり、化け物の頭部に襲いかかった。


 まるで巨大な炎の鞭。それも三十メアはあろうかという化け物を打ち据えられるほどの太く長い鞭だった。それは、彼女が普段、顕現を出さずに放つ炎の鞭とは何もかもが違った。それも桁違いに。


 一振り、二振り――――。


 化け物は棍棒で殴られた人のように頭部を仰け反らせる。脇腹と思しき部位に当たった一撃は、化け物の巨体すらもくの字に曲げた。攻撃が当たった場所は、狭くない範囲で一瞬で炭化している。


 だが……そこまでだった。


 顕現による攻撃は、ハスの体と魂を蝕んだ。


 彼女が地面に着く頃には、彼女も先ほどのブラム同様に、消耗が顕著に出ていた。苦しげに眉根を寄せている。


 そんな彼女には、化け物の攻撃圏内から飛び逃れることだけで精一杯だった。顕現を出して全力の一撃を振るった以上、もうそれ以上に動く力は残っていないのだ。


 ただ、彼女の渾身の一撃は無意味なものではなかった。


 ブラムに襲いかかろうとしていた触手どもを足の役目に引き戻し、ブラムが元いた場所から飛び退く隙を作ってみせたのだから。




「嘘でしょう……」


 イリーナははっきりと怯えていた。その顔ははっきりと青ざめている。


 逃れた二人ともが、はっきりと消耗している。それなのに……。


 彼女の認識として、あの二人が全力行使した顕現の力をもってしても致命傷を与えられていないのが信じられなかったのだ。


 しかし現実に、化け物――異形なる者は健在である。


 しかも、もう今のあの二人を戦力と見なすのは難しい。これ以上の無理をさせれば、その先は……。


 それだけに、彼女は恐れおののかずにはいられない。


 あの二人をしてあの程度にしか傷つけられないのでは、自分などではものの数に入らないと思わずにはいられなかったのだ。それはつまり、ソルウェインとドラゴしか、もうこちらに戦力は残っていないことを意味しているのである。

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