第26話 戦士
それは魔獣ですらなかった。
少なくともカミュの知るいかなる魔獣でもなかった。隊員からの報告が、あのような訳の分からないものであった理由を、彼は本当の意味で理解した。
確かに一番近いものは木であろう。二十メア……いや、三十メア近い大木がもっとも近い存在に見える。
遠目ではあるものの皮膚の質感も、確かにそれっぽい。
しかし、全体の姿は百を超えそうな触手がうねり絡み合い下半身となっている筋骨隆々とした巨人だ。
ただ頭はなく、太い首がそのまま伸びている。その長い首は先端に行くにつれて柔らかくなっているのか、鞭の先のように細く柔軟に揺れていた。
そして、そんな巨人が腕を振るえば、机上に山と積まれた品々を払い飛ばすように、造作もなく群狼の隊員たちを馬ごと潰しながら吹き飛ばした。
下半身の触手はやはり足なのだろう。怪異の巨体を思いの外機敏に動かしている。体と比べれば一本一本の足は細い。しかし、その一本一本が人の胴回りの倍以上ある。これも一振りされれば人を蟻のようになぎ払い、叩きつぶす。それどころか、大砲でも撃ち込んだように大地を抉っていた。
洒落にならない……。
カミュはそう思わずにはいられなかった。
多分、あれはやはり異形なる者なのだろう。
世界樹は種を作っていたのだ。ただ、伝承の中の異形なる者よりは若干小さい。伝承の中では五十メアとも百メアとも伝えられている。個体差というよりも、生まれたてだからだろうか。
しかし、それでも圧倒的な存在だった。少なくとも、人間にとっては。
ただ、どうやってこんなものを運んできたんだとと思わずにはいられなかった。
ジョベルが世界樹の種を何事かに利用しようとした。それは間違いないだろう。
だが、少なくとも目の前の巨人は落ちた飛空船と同程度の大きさがある。体積的にはむしろ大きいくらいだ。収まっていたとは考えられない。
あれは、どこから出て来たのか。
そうこう考えている間も、群狼の仲間たちは次々と異形なる者の餌食となっていた。
一纏めに叩きつぶされ、ゴミのように吹き飛ばされ、すでに隊形など跡形もなくなっている。すでに背を見せ逃げ出そうとしている者たちも、かなりの数いた。
カミュはそれらを呆然と眺め、思考に現実逃避をしてしまっていた。目の前のあまりの惨状に判断力を失っていた。
ふと気付けば、いつの間にか追いついた自由兵たちがカミュの周りにいた。ただ、皆一様に自失状態だった。
だが、とうとうその中の一人がポツリと呟く。
「な、なんだよ。あれは……」
それが引き金となった。
棒立ちになっていた自由兵たちは、雪崩打つかのように戦場に背を向け逃げ出し始めたのである。
「お、おいっ! 待て!!」
流石にカミュも現実に戻って来ざるを得なかった。
ただ、そのカミュの言葉に耳を貸す者など一人もいない。あっと言う間にカミュは一人になっていた。
カミュは、それを追わなかった。追えなかった。
カミュはただ一騎の騎馬。追いかけることは容易い。しかし、そのあとどうすることもできない。
こんなものを見せつけられて、自由兵たちが戦うとは思えなかった。
彼らにこれと戦えなどと、どう命じろというのか。彼らは金のために戦場には出る。だから、こんな化け物と戦うつもりなどさらさらないだろう……紋章を持たない彼らでは、あの場に近づいて生き残れる可能性はないに等しいのだから。命あっての物種。ほぼ生き残れない戦いに、金を求めて挑む理由などありはしないのだ。
カミュは噛みしめた歯を鳴らしながら、右の拳を握った。そして、己の頬に向かって、それを突き立てる。動かなくなった体を動かすために、そうせずにはいられなかった。力加減を間違え、口の中を切った。微かに鉄の味が口の中に広がった。
カミュは前方の化け物を睨み、赤く染まった唾を一つ吐く。そして、馬の腹を蹴った。
カミュらが追った飛空船は、化け物の足下ですでに原形をとどめていなかった。うねり蠢く化け物の足下で、へし曲がった金属質の物体と木材の断片にまで解体されている。燃えさかっていたであろう炎も完全に鎮火し、すでに煙すら上げていない。焼け焦げた草木の名残がまばらに確認できるだけだった。
化け物は四本の指を大きく開いて腕を持ち上げ、大地を叩く。地面が揺れた。
それに巻き込まれた群狼の戦士は馬ごと肉の紙となった。
化け物の足と思われる触手が一振りされると、その一振りで何人もの戦士が大きく宙を舞う。変な形に体をねじ曲げながら、体を破裂させ真っ赤な血を吐いた。
ブラムは率いる戦士たちのその姿を横目に見ながら、目の前に迫る触手に巨大な戦斧を叩きつけ続けている。その刃は太い触手を斬り飛ばしそうな勢いだった。とても片手で振り抜かれているとは思えない。異形なる者を深く傷つけ、血とも樹液とも言い難い赤い何かを吹きあげさせていた。
しかし、彼はすぐに後方へと大きく飛んだ。
彼が先程までいた場所に、何本もの次の触手がすぐに襲いかかったからだ。
そして、
「引け! 引けぇ!!」
立ち上るような橙色の光に包まれたまま、ブラムは戦場を満たす悲鳴と怒号を蹴散らすように声を張り上げた。
しかしブラムも、部下たちがその通りに動けないことは分かっていた。一度力と力がぶつかってしまえば、そこから引くということは容易ではない。
敵の追撃がある。そして、それ以上に『戦う者』には意地がある。
正団員たちには、戦士という称号が与えられている。その称号は伊達ではないのだ。
彼らにはそうであることを求められる。だが、そもそもその名のごとく『戦士』なのである。
矜持ゆえなのか、使命感によるものなのか、それとも責任感から来るものなのか……。
それは本人たちですら分かっていない。
だが、それでも彼らは一度敵の前に立てば戦士になる。実際彼らは、絶望的な戦いを前にしても、そのほとんどの者が背を見せずに踏みとどまっていた。
もちろん、いくらかの逃亡者は出た。しかし、残った者たちは圧倒的恐怖に勝る闘争心を支えに、顔を引き攣らせながらも手に握った剣を、槍を、斧を振るうことを放棄しなかった。
傭兵ではなく、まるで吟遊詩人たちが詠う騎士たちのように。
――――そして、雄々しくも儚く死んでいった。
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