第22話 割れた教会



 その後、ウルカはすぐに鉄騎兵団の拠点を出た。


 トロットに跨がり、草原を駆ける。地面から突き出す岩が目立つようになり、フラーベ川が見えてくると彼女はようやくトロットの手綱を緩めた。


 この周辺では川は暗き森を縁取るように流れ、森の蟲や魔獣たちに自らの住処を教えている。


 フラーベ川は大河と言うには少々川幅が狭い。しかし、対岸を歩く魔獣が麦の一粒に見える程度には広い。この川に住まう生き物たちもユドに生きる者たちにとって安全というわけではないが、この川幅こそが間違いなくユドの秩序を保ってくれているのである。


 川辺についたウルカは、そんなフラーベ川でもっとも危険な川の住人の住処を目指していた。


「これはこれは、ウルカ様。本日はどのようなご用件で。生憎とかしらはいま仕事に出ておりますが」


 川沿いの小さな漁村にウルカが入ると、岸辺で網を直す少々人相の悪い男に声を掛けられた。


 頭には布を巻き、ボロボロの貫頭衣にズボンと粗末な身なりだ。そして、その目は異様にぎらついている。


 それなりに川幅の広いフラーベ川には湾のような地形もある。そこが海賊のアジトとなっていた。


 フラーベ川はトラン=キアより西に行ったところで外海に通じており、彼らは海賊稼業の傍らに川賊もやっているのだ。更には時に漁民であり、輸送業の担い手でありと……おおよそこの辺りで水に関わることにはすべて手を出している。


「ああ、今日は大きな話じゃない。ちょっと向こうまで私を運んでくれればいい」


 そして、川の渡し守もやっている。


 鉄騎兵団が兵団を送る場合にも、彼らの持つ中型、大型のガレー船が使われていた。火石を使った蒸気船は彼らが外洋に出て仕事をするときに使われているが、未だ人力もちょっとしたことには重宝されているのである。


 もちろん、今のウルカのように単身対岸に向かうときにも彼らの力を借りることになる。


 もっとも、鉄騎兵団ばかりではなく、旅人、商人あらゆる者がこれを利用しているのが現状だ。ここらの水域を仕切っているのは彼らであり、金を出す者には安全を保証し、金を払わない者には容赦なく襲いかかる。彼らにとって、金を出すか出さないかが客と獲物の差であり、それこそが彼らの持つ正義だった。


「左様でございますか。では、こちらへ」


 男は、言葉遣いと合わぬぞんざいな態度で自分についてくるようウルカに指示をする。ウルカも黙ってそれに従った。


 途中男は一つのボロ小屋で仲間に声を掛けると、ウルカを水辺に停めてある一艘の手こぎ船まで案内した。そして、乗るよう指示を出す。


 彼女が乗り込むと、声を掛けた三人の仲間とともにフラーベ川へと船を漕ぎ出した。




 フラーベ川から六キロメアほど森の中へと入ったところに、遙か昔に委棄された廃坑がある。


 すでに森の木々に周囲を侵食され、繁茂する草木の中に突然現れる野天の大穴だ。


 そこでも、かつては魔石が掘られていた。しかし、森に埋もれてからは大型の蟲や魔獣の格好の住処となっていた。


 そんな廃坑跡は、今そこで魔石の採掘がされているがごとく、綺麗になっている。


 前の所有者が作った大穴の底には真新しいリフトが設置され、錆びつき朽ち果てかけていたトロッコのレールは、陽の光を受け輝きながら穴底にある横穴に向かって伸びていた。


 そこで、二十名ほどの男たちが土に汚れた衣服で汗を拭いながら、仕事に励んでいる。魔石を乗せたトロッコを押し、穴の奥へと向かって走らせていた。


 レールは穴の奥の方へと続く。


 奥へと進んでいけば陽の光はすぐに届かなくなる。しかし、ただ歩いて進む分には困らない。壁面が薄く緑色に発光しているのだ。魔石の鉱床としての名残であった。


 色彩豊かな苔のようなものが壁よりにじみ出る水を奪い合っている。


 堆積した蝙蝠の排泄物には長細い何か、やたらと足の多い何か、そして握り拳大はあろうかという丸い物……それらが集り蠢いている。松明などなくとも、それらがうっすらと目に入った。


 しかし、そこを抜けると高く積み上げられた魔石の山がある小綺麗な空間へと出た。


 そこでは数名の男たちが、積み上げられた魔石の山を逆に崩しては、更に奥へと運んでいる。そして彼ら胸には、揃って月桂樹とオリーブのペンダントが光っていた。


 そんな廃坑の奥で、ウルカは一人の男と会っていた。


「そろそろですぞ」


 穏やかな笑みを浮かべた初老の男が言う。しかし、魔石の光を映す瞳はとても常人のそれではなかった。表情と目が一致していないのだ。


 しかしウルカは、それを気にもとめずに、


「それは朗報にございます。ヴェイロンも喜びましょう」


 と頷いた。


 男はその言葉にとても満足そうだ。


 後ろで一つにまとめた白髪を揺らしながら振り返り、目の前にある世界樹の種を見る。世界樹の種は山と積まれた魔石結晶の中に埋もれるように置かれていた。


 大きさはここに運び込まれたときの二倍以上に膨れあがっている。外観は植物の種というよりも、まるでえぐり出されたばかりの心臓のようだった。脈動してさえいる。その心臓が、触手のような根を無数に魔石の山に向かって伸ばしていた。


 これを見て、植物の種だとは誰も思わないだろう。


「ヴェイロン殿のご助力のおかげだ。彼にミラ様のご加護があらんことを。これならば千年生きるあの化け物をも殺せよう」


 男、ジョベルは穏やかな笑みを浮かべたまま、そう言った。


「貴方様は仮にも元枢機卿……その様な物言いをなされては信者が泣きましょう」


「ほほ、何をおっしゃるか。ミラ様を滅ぼしかねないあの化け物を除くのは、ミラ様の僕たる我らの使命というもの。あのような者を放置したままにしておいては、逆に我々はミラ様の寵愛を受ける資格を問われましょうぞ」


 ジョベルはそう言い切る。


 彼は三年前に失脚している。


 十八年前にミラ・インストレルの存亡に関わる方針で教皇ユラ・アグネメスと意見を違え、深い溝を作った。以降、教皇派と枢機卿派の派閥に教団が割れていたが彼の愛弟子とも言える現枢機卿の裏切りによって派閥も乗っ取られ、教団を破門されているのである。


 かつてはミラ・インストレルの強大な力を振るったその手には、現在たった十一人の直弟子しか残っていない。


「現枢機卿も?」


 ウルカは漏れ出そうになる侮蔑の笑みを堪えながら尋ねる。ジョベルは顔色一つ変えずに答えた。


「無論。不出来な弟子にもミラ様の神罰は下りましょうな」


「……信心というものは難しいものにございますね。我々凡人には神の言葉を聞く術もございませぬゆえ、尚のこと」


「その為に我々がいるのですよ」


 笑みを崩さずそう嘯くジョベル。ウルカは微笑みを浮かべたまま応えた。


「なるほど……。我々もジョベル様にご協力できて光栄にございます。計画の成功をお祈り申し上げております。……我々としては貴方様に約定を守って戴ければ、それで十分。ミラ・インストレルに戻られた際には、くれぐれもよしなに……」


 ウルカは慇懃な態度で一礼して見せた。


「ミラは契約を司ります。貴方がたの信心は、きっとミラにも届きましょう」


 そう答えるジョベルは、とうとう最後まで同じ笑みを浮かべたままだった。


 ウルカはジョベルらの地下教会を発った。川を渡り、トロットを走らせる。


 彼女はようやく自由を得ていた。漏れ出る怒りは眉を這い、目は進む先を鋭く睨みつけている。


 吐き気が止まらない。


 聞かねばならなかった耳が腐りそうな言葉。自身の舌を切り落としたくなった醜悪な科白。すべてが彼女を苛立たせていた。


 そして、とうとう彼女は我慢していた言葉を無意識のうちに小さく吐き捨てた。


「……俗物が」


 低く重く吐き出されたそれは、疾走する風の中にかき消えていった。


 それから数日ほど経った日、一隻の飛空船が暗き森から飛んだ。

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