第23話 黒の将軍からの手紙



 ブラムは本部でもある家の地下室に座り、ヴァレリア王国の紋章が描かれたタペストリーを眺めていた。


 背中にある大きいが飾り気のない机の上には一枚の手紙が一枚、ぽつんと所在なさげに置かれている。数日前、鉄騎兵団が第二鉱場を襲撃した日に、カミュによってもたらされた手紙だった。


 差出人はゴルヴァ・プロバンス。黒の将軍だ。


 彼とブラムは、未だに繋がっている。二ヶ月に一度、マストゥール商会を介して手紙が届く。


 最近、ブラムとゴルヴァは直接会っているが、それ自体が過去に例を見ないことであった。彼がブラムと名乗るようになって以降、初めての事である。


 それにも関わらず、定期便とは異なる手紙がブラムの元に届いている。ただ事であるわけがなかった。


 ブラムは悩ましげにタペストリーを見上げ続ける。その表情は、とても渋いものだ。


 手紙には、『異端者・元枢機卿ジョベルの捕縛または討伐』を非公式に請け負って欲しいとあった。可能ならば捕縛して欲しいが、それが不可能になった時には最悪でも討ち取ってくれという要請である。


 異端審問にかけられる前に逃走した元枢機卿ジョベルの居場所が判明し、それを討伐するべくミラ・インストレルの聖騎士団が動こうとしている。これを踏みとどまらせるためにはヴァレリアが動くしかない。しかし、王国の騎士団を使うとなれば宮廷内で教会親派の発言力がますます増していくことになる。それでは問題が入れ替わるだけとなるので、これも避けなければならない――と書かれている。


 そして最近、空賊と思しき船籍不明の飛空船がトラン=キア近郊を飛んでいるのをよく見かけると情報が上がってきているので、ジョベルに逃走されないよう注意されたし――との言葉で結ばれていた。


 要請自体はいいのだ。


 ただ、その手紙から漂うミラ・インストレルの脅威がブラムの気持ちを暗澹たるものにしていた。カミュを連れて城から逃げねばならなかったのも、カミュを守るために群狼を組織せねばならなかったのも、すべてはミラ・インストレルのせいだった。


 影響力が強すぎるのである。


 そして、この友からの手紙……。ブラムは、手紙から漏れ聞こえるゴルヴァのため息を感じずにはいられなかった。


 ゴルヴァら国王派も頑張ってはいるのだろう。それでも何も変えられていない。いや、それどころか自分が知っている宮廷よりも酷くなっているのかもしれない……そう思わずにはいられなかったのである。


 椅子に背を深くもたせかけながら、ブラムは目を閉じた。


 その時、部屋の戸がノックされる。


「誰だ?」


「団長、俺だ」


 ブラムに負けず劣らずの厳めしい声で返答がある。


「入ってくれ」


 頑丈さだけが売りと言わんばかりの扉の把手が握られた途端、みしりと鳴いた。


 戸を潜るようにして入ってきたのは、大柄なブラムよりも更に体格のいい巨漢――群狼の最古参・ドラゴだった。


 肩を越えるほどに伸ばされた髪の毛は見事なまでに真っ白であり、体躯とともに見る者に印象を焼き付ける。だが、それ以上に目立つのがその人相の悪さだ。厳めしさと視線の鋭さ。そして、左のこめかみあたりから頬まで大きく走る刀傷のせいで、気の弱い者が初めて彼に会うと大概顔を引き攣らせる。


 しかし彼は、人は見た目によらないを地でいくような男だった。今も昔もソルウェインは世話になっているし、カミュやイリーナに至っては、時には遊んでもらい、時には拳骨をもらって幼少期を過ごしているのである。名実ともに群狼の重鎮だった。


 昨夜まで彼は、トラン=キアから少し南に行ったところにある小さな町に団員を連れて出ていた。町の商工組合よりの依頼で、組合員の荷物を狙うことに味を占めた盗賊団の討伐依頼を片付けに行っていたのだ。


 現地で青年団を核に自警団が結成されていたが、素人が手を出すには少々相手が手強すぎたのである。


「こちらは片付いたぞ。受け取った報酬は蔵に運び込むよう指示してある」


「そうか。ご苦労だった」


「苦労などしておらんよ。いつも通りにメシも酒も旨い。むしろ団長……いや、カストル様の方が苦労してそうだが。さっき、坊主がイリーナと部隊を率いて出ていったが、とうとう覚悟を決めたか?」


 ドラゴは、ブラムがまだカストルであった頃からの腹心だった。生まれたばかりのカミュを連れて逃げると決めた時に、共についてきてくれたただ一人の人物なのだ。


「ああ。お前が出ている間に色々あってな。後で説教の一つでもしておいてやってくれ。俺が言うよりも、お前たちから言われる方があれには堪える」


 ブラムのその言葉にドラゴはうっすらと笑みを浮かべると、


「俺が最後か……わかった」


 とだけ答えた。以心伝心。長い付き合いだった。


「すべてを知っていれば、逃げられはしないのだと早々に悟れたのだろうがな。あれも、よく隠し通していたものだよ。十歳とおの時に発露したらしいぞ」


「それは……。坊主もなかなかやるじゃないか。俺たちは、まんまと騙されていたってわけだ」


「そういうことになるな」


 厳つい男二人が微かに相好を崩す。


「ま、坊主に先手はとられたが、今度は団長の番だしな。お互い様ってことにしておいてやろう」


「出自か……。それを教える日が来なければ、それに越したことはないのだがな。あの時サラ様は、我が子を教団の贄にするくらいならば、このままこの子とともに死にますと仰った。もしいま生きておられたとしても、カミュに王子として生きて欲しいなどと仰りはしないだろう……教団が滅びでもしないかぎりは」


「ユキ様をお産みになり、すぐだったなあ……本当に聡明でお優しい方だった……あのヴァレリアには勿体ないくらいに」


「不敬だぞ、ドラゴ」


 ドラゴの言葉に、ブラムは視線が鋭くなって思わず声が低くなる。


 サラ妃の死後、国を愛する気持ちや忠誠心と板挟みになりながら、どうしようもない寂寥感に苛まれ続けている自分を彼は自覚していた。


「……すまない」


 ドラゴは小さくため息を一つつきながら詫びる。そんなドラゴに、ブラムは目を閉じると小さく首を振った。そして、自嘲するようにぼそりと呟く。


「……いや、いい。多分俺も、本当は同じ気持ちなのだ……」

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