第18話 トラン=キアにて その2


 空港は町の外郭にあり、中央にある商工区へと直結する石畳の道が繋がっている。


 カミュはその道を真っ直ぐに歩いていた。


 カミュは作った薬を売りにこのトラン=キアの町にはよく来ていたが、それ以外の用事で来ることはほとんどなかった。それ故に、このトラン=キアの地で育ちながら、飛空船が留まる空港を見たのも、そして空港から繋がるこの道を歩いたのも実は初めてのことである。


 空港に比較的近いところには木材を扱う店やら鍛冶屋など建ち並び、木を削る音やら槌を打つ音が響き渡っている。そこを過ぎれば、市場が見えてくる。大小様々なテントが立ち並び、売る者買う者で人がごったがえしていた。


 いやあ、結構騒々しいな……。


 カミュは、そんなことを思いながら、人の流れに混ざって歩を進めていった。そして、市場から離れて少々小綺麗な建物が整然と建ち並ぶ区画へと入る。そこに『マストゥール商会』はあった。大きな看板を掲げ、広く開放された店先にありとあらゆる商品が並べられている。マストゥール商会は今日も盛況だった。


 何かを専門的に扱っているというでもなく、かといって品揃えが悪いなどということもない。大雑貨屋である。


 生活に必要な物から嗜好品まで、あらゆる種類の商品が所狭しと置かれている。しかし、この店の最大の特徴は個人商店への卸業務を行なっていることだ。大都市に支店をつくり、一家でそれを切り盛りしている。それによって幅広い商品を欲しがっている場所へと的確適量に届け、商売を繁盛させているのだ。


 それを支えているのが、マストゥール商会自慢の飛空船による輸送網だった。


 目が眩むほどに高価な大型の輸送用飛空船を八隻も有し、それを輸送網のあちこちへと飛ばすことで大きく商売を展開させているのである。ヴァレリア王国も御用達の大商店の一つとして、この国経済を担っている。


 そして、ここトラン=キアの支店を、マストゥール家の三男マルクス・マストゥールが仕切っていた。


「よう坊主。今日も薬を売りに来たのか?」


 カミュが店に着くと、馴染みの売り子の一人に声をかけられた。


「やあ。今日は違うよ。マルクスさんいる?」


「ああ。ちょっと待ってな」


 そう言って男は店の奥へと消えていく。


 カミュはマルクスとは顔馴染みだった。それこそ、戦士になるはるか前から知っている。ブラムの子として、子供の頃に遊んでもらったことさえもあった。


 だから、薬作りを始めた時に、頼み込んで自身の薬を取り扱ってもらえたのである。


 しかし、薬を売りにこの店には来ているが、ここ一年ほどは直接に会ってはいない。カミュは、荷物の受領書へのサインも兼ねて、自身の部隊長就任の挨拶もしておこうと考えていた。


 しばらく待っていると男が戻ってきて、奥の部屋へと通される。


「ぃよう、カミュ。お前、ひっさしぶりだな~。また、ちょっと大きくなったか?」


「いや、そんな子供じゃないから」


 煌びやかなインテリアに囲まれて豪奢なソファーに腰掛けた美丈夫が、人なつっこい顔で腕を広げてカミュを出迎える。この黒髪の美丈夫こそがマルクスだった。


 腕利きの商人とは思えないほどに軽い雰囲気だ。どちらかと言うと、いやどちらかと言わなくとも遊び人という方がしっくりとくる。


 すでに四十代半ばであるにも関わらず、とても若々しい。


 着ている物も、よくよく見れば値が張るものではあるのだが、白のシャツに黒のズボンと簡素なもので、動きやすさを重視していることがわかる。


 もっとも、夜に女の下に通うときにはまた別の格好をしているようではあるが。


 なにせ彼は、若い頃から女遊びが激しかった。


 この店を任されたのも、まだ若かりし頃に女性関係にだらしない彼を矯正しようと、彼の父親が無理やり押しつけたからである。辺境の地の商売で強制的に財布を軽くしてやろうとしたのだ。


 ただ、その思惑は外れ、彼は血に溶け込んだ商才を存分に発揮し、使える金を逆に増やしてみせた。そして、それまで以上の女遊びに励んだのである。


「ははは。で、今日はどうした? またなんか新しいもんでも作ったか?」


 マルクスは爽やかな笑顔のままに、テーブルを挟んで反対側にあるソファーをカミュに勧める。


「いや、そうでもなくて。今日は群狼の荷物の引き取りで来たんだよ。だから、サインしにきた」


 久しぶりに直接会ったというのに挨拶をする間もなく、怒濤の質問攻めに遭ってカミュは流れに任せてしまった。そして、ソファーに腰を下ろしながら、そう答える。


「お? お前ついに部隊持ったの?」


 マルクスの質問が止まらない。


「うん。親父に押しつけられた。で、一応その挨拶もしたくて、顔を出させてもらったんだけど……」


「あはは。ブラムさんもとうとう我慢できなくなったか」


「笑い事じゃあないって」


「まあなあ。俺もおんなじだったよ」


 カミュは率直に、一緒にしないでくれと心の中で嘆息した。彼の武勇伝は、カミュも本人の口から嫌というほど聞いて知っている。


「まあ、そんなわけで。サイン」


 再度、受領書をよこせと催促する。


 そんなカミュに、マルクスは心底嘆かわしいと言わんばかりのオーバーアクションで、


「久しぶりに会ったというのに冷たいな~。そう淡泊だとお前、女にモテんぞ?」


 と言った。しかし彼は、一転すぐに身を乗り出してくる。


「そういやイリーナちゃんは元気にしているか?」


「今日も一緒に来ているよ。港で部隊の指揮を執ってる」


「あの娘もそろそろ年頃になって、綺麗になってきただろ?」


「まあ、綺麗なことは綺麗だと思う……ちょっとうるさいけど」


 イリーナの容姿を頭に浮かべながら、カミュは馬鹿正直に答えた。


 マルクスは静かに目を閉じ、ため息でも漏らさんばかりに小さく二度ほど首を横に振った。そして、


「バッカ。女の良さなんてもんは足し算しかないんだぞ? 引き算しているうちはまだまだだ」


 と絶対の真理を告げるかのように、そう言い切った。


「そんなこと言ってるから、色んな女の人に騙されれるんだよ」


「チッチッチッ。騙されたと思うからいけない。そこまで楽しんだと思えばいいんだ」


 マルクスはまったく動じない。カミュは空笑いをするしかなかった。


 しかし、あきれ果てるカミュを他所に、マルクスは少々だらしなく相好を崩して言葉を続けていく。


「そっかぁ……久しぶりにイリーナちゃんにも会ってみたいなあ」


 カミュは、なんとなく面白くなかった。


「港に行けば会えると思うよ」


 つい、ぶっきらぼうな口調になってそう返した。


 それを見てマルクスは、ふーんと小さく鼻を鳴らす。そして、ニカリと笑った。


「お前、昔からぜんっぜん変わらんなあ」


「何がさ」


 しかし、マルクスはそれには答えなかった。代わりに、


「お前も部隊長になったなら、もう少しうまく話ができるようにならんとなあ。あと、誤魔化すのも下手だ」


 とだけ言う。そして、ソファーから立ち上がり、奥にある机の棚から数枚の紙と蝋で閉じられた一通の封書を持ってきたのだった。

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