第3話 闇の紋章 その2
鉄騎兵団の名を上げ、吐き捨てるように言うカミュの顔は忌々しげだ。そんなカミュにブラムは独り言を呟くように言う。
「最近は良質な魔石も量が減ってきたからな。クズ石ばかりだ。奴らのように『シマ』を持たない者らでは、なおキツかろうな」
「掘っても掘ってもなかなか高濃度のものには行き着かないんだって?」
「ああ。幸いにも都市の連中らが使うに足る程度のものはまだなんとか採れているが、
「でも、赤字ではないんだろう?」
「クズ石でもそれなりの金にはなるからな。が、クズ石だけでは儲かるところまではいかない」
「それは俺でも知っているよ」
「……ふぅ。鉄騎の奴らの気持ちも分からんでもないわ」
そう言うと、ブラムは再び深いため息を吐いた。
「おいおい、なんて弱気な。そんな温いことを言っていたら、あっという間に鉱場を奪われちまうぞ」
「その時は一戦交えるのみだ」
「そっちの方がらしくていい。親父がため息なんかを吐いているのを見ると、明日にでも世界が滅びるんじゃないかと不安になる」
「俺にだって、悩ましいことの一つや二つはあるわ」
「それは初耳だ」
カミュは肩を竦めて見せた。
それを見て、ブラムはふんと鼻を鳴らす。
「たとえば、馬鹿息子が裏方に精を出していて一向に表舞台に立とうとしないこととかな」
ブラムは手の中にある袋の口を閉じると、真顔で再びカミュの顔を見る。
「また、その話かよ。この前ちゃんと説明しただろ。『執行人』は誰でもできるものじゃない。うちで余程の相手でもなければ勝てると断言できるのは、親父、ドラゴのおっさん、ハス姐、そしてソル兄に、自分で言うのも口幅ったいが俺だけだ。この連中は団を裏切ることはまずないから、そりゃあみんな執行人の条件にも合っている。でも、俺以外のみんなは各部隊の隊長ばかりで、そちらの仕事が忙しい。おまけに実績がありすぎて、探るために動きはじめれば確実に警戒される。その点、俺はずっと薬草採りしかしてこなかったから、探っていてもまたフラフラしていると思われるだけで誰も警戒しない。適任なんだよ」
カミュは、ため息をつきながらももう何度目ともなる説明を丁寧にした。しかし、ブラムは今にもため息を吐きそうな顔で零す。
「だが、お前は俺の息子だぞ。いずれは、この団を継ぐ身だ。確かにこの前、お前の腕は見せてもらった。役目をこなせぬとは言わぬ。しかし……」
カミュには、己の実力を開けっぴろげにできない理由が二つあった。そして、その二つの理由は一つの物へと収束する。
それは『闇の紋章』。カミュに宿る紋章である。
通常、紋章はもともと才能があるか、血の滲むような修練の果てに紋章を受け入れられるだけの器を作って、ミラ・インストレル――通称・
まず、これが非常に問題だった。
紋章は、千年の昔に人に与えられた奇跡の力である。『魔人』と呼ばれる魔法の力を手に入れた人々に対して、その力を扱う術を知らず『賤人』と呼ばれ奴隷として使われていた者たちに、反撃の刃として与えられた力だった。
紋章が宿った者は、常人では決して辿り着けない領域の身体能力を有するようになり、また紋章を発動させてまるで魔人が使う魔法のような超常現象を引き起こせるようになる。
その力を広めたミラ・インストレルによれば、主神・ミラ――光の神の祝福であるとされている。
弱き存在であった人間が知恵を武器に魔法を生み出し世界の頂点へと向かってひた走る姿をミラは喜んだ。しかし、人がその力に溺れて暴走させるに至っては、ミラも黙って見ていることができなくなり暴走する力に対抗する力『紋章』を与えたのだ――と彼らは説いていた。ミラは契約の他に秩序を司る神でもあるが故に。
その歴史を経て今に至っては、ミラ・インストレルの影響は人の世界で強大な物となっていた。そして、ヴァレリア王国にはミラ・インストレルの総本山があり、教皇もそこにいる。
ミラの祝福ではない紋章など、彼らにとって存在してはならないのだ。ましてや、このヴァレリアの地にあってよいわけがないのである。
更に、これ以上にカミュを悩ませる理由がもう一つある。
ミラ・インストレルの儀式を経て宿る紋章は『地水火風』。それぞれの宿主の資質に沿った紋章が宿る。
だが、カミュに宿る紋章は『闇』。ミラ・インストレルの教皇が宿すミラの紋章『光』と対になる紋章だった。
唯一ミラの光の紋章に抗することができるとされる紋章だった。ミラが光の紋章をつくり、その妻ルキアが闇の紋章をつくったとされている。ミラは己の力が暴走した時に止める役目として妻を選んだのだ、と。
しかし、このことは現在ミラ・インストレルではなかったことにされている。司教たちが大衆に向けて行なう説教の中では、故意に欠落させているのである。経典の中にはしっかりと記されているが、大衆に向けた説法の中で語られることはなかった。
そんな紋章を身に宿している。
もし、このことがミラ・インストレルの耳に入ったら、教会がどう動くか分からなかった。
この二つがあるため、カミュはどうしても実力のすべてを発揮するわけにはいかなかったのである。
そして、その様に他人に壁を作るように振る舞っているうちに、カミュは団の中でも自然と孤立していった。好んでカミュに近づこうする者は、ごくごく僅かになっていったのである。
「しかし、実力を示せぬ者には誰もついてこない。特に、実力がすべての傭兵団のような組織では……だろ。それは、この前も聞いたよ。そして、それに異論があるわけではない。俺もそう思うよ。でも、すでにこんなものを宿している以上、もう他には宿せない」
そう言うとカミュは意識を集中する。
カミュの黒い瞳は、うっすらと紫色の光を帯び、その体も紫色を帯びた黒い戦気をまとった。そしてその額には、同じく紫色の光を放つ闇の紋章が黒く浮かびあがっていた。
「紋章持ちと、そうではない者とでは発揮できる力が違いすぎる。紋章を発動させないまま、紋章の力を発動した紋章持ち以上の力を出すなど不可能だ」
「せめて、お前が紋章を二つ宿せる体だったならな……」
「無茶を言うなよ。確かにそれなら誤魔化せるかもしれないが、そんな奴見たことないぞ。どこぞの国の将軍様にいるらしいが、そんなものを期待されても俺にどうしろと」
「まあな……。だが、なんとかせねばならんぞ。紋章を二つ宿せというのは冗談にしても、今のままというわけにもいかん」
「そもそももう一つ宿しに教会などに行ったら、この紋章のこともまず間違いなく知られてしまうだろうよ。とりあえず、親父がくたばるまでにはなんとかするよ。でも、今はこれが最良なわけだから、しばらくは今のままで行くしかないだろう。幸い、親父のその太い腕を見ている限り、まだまだしばらくは俺の出番なんてないだろうしな」
カミュは発動させた紋章の力を抑えると、ブラムの右腕に目をやりながら、話はこれで終わりとばかりにそそくさと部屋を出て行こうとする。
「……ふぅ。報酬はいつも通り、あとで部屋に届ける。ご苦労だった」
そんな彼にため息を吐きながらそう告げるブラムに、カミュは振り返ることもなく左手を挙げて見せた。
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